Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 6

2019-06-27 14:17:42 | 日記

 その時の事を思い出していた私だが、お寺に遊びに来てはいけなかったのだろうか、そんな疑問が頭をもたげて来た。

「お寺に遊びに来たら駄目なの?。」

「駄目なんですか、だ。言葉もよく知らないのだな。」

とお寺さんは手厳しい。

「皆3歳で寺の門を潜るんだ。」あなたの様に1つ鯖を読むからこういう事になるんだ。と、その後は、皆昔通り数え歳で回っている物を、あんたは1年遅れている、だからこうなるんだ。外れるんだ。真面目な者達からよく思われていない。等々、私には訳の分らない苦言が並べられた。

「大体、何で4歳になってから入門して来たんだ。」

そう言われても、事情がさっぱり分からない私には何とも答えようが無かった。

「事情が分からないあなたでは答えられないのでしょう。」

お寺さんの言う通りである。『え!。』と私は思った。

「何故私の考えていた事が分かったの?。」

初めて尊敬の眼でまじまじと住職さんを見上げると、お坊さんってやっぱり偉いんだなと私は思った。そして父の言った通りだと感心した。

 何しろ常日頃の父の言い分では、「世の中で立派で偉いのがお坊さんだ、お寺に通っていればお前も立派な人になれるんだ。」だった。これは、本当にそうらしいと私はこの時思った。何しろ目の前の人はお坊さん、お坊さんは私の思っている事が分かるんだから、と。

 「やっぱりお坊さんって偉いんだね。」

私はこう尊敬の言葉をかけると、それは何故かと住職さんに問われるままに、常日頃自分の父が口癖のようにしている言葉を並べた。父は仏教に対して愛着が深かった。

「成程、これで分かった。」

と、住職さんは膝を打つと、

「あなたの入門を許可しましょう。」

と、決定打の様に決意の一言を発した。そして、普通は私のこの言葉があって後に初めてこの寺の門が潜れるのだよと言うと、まぁそんな事はこの際もういい。あなたは知らなかったのだから。それよりと、本堂の戸が開いている時はこの寺に入ってはいけない。そうなっているんだ。あなたはこれも知らなかったようだから、今、私が直々に教えておいて上げます。そう言うと、じゃあこれで話は済んだからと、住職さんはくるりと私に背を向けてしまった。

 この様な相手の所作への対応も、勿論私には経験が無く全く知識も無かった。私はまだ何か話が続くのだろうか?、これで行ってよいのだろうかと、住職さんの背後でにっちもさっちも身動き出来ずに畏まっていた。

 やや間があって、振り返った住職さんは、

「話は済んだよ、済んだんだよ。おや知らないの?。済んだと言われたらもう行っていいんだよ。」

と私がその場に立ち止まったまま居残っているのが如何にも解せないという風に言うと、「まだ何か私に取り入りたい事でも…、」と言い掛けて、にこりとした。

 「そうか、ほんとに何も知らないんだな。」

と爽やかに明るく頷くと、私の仲良しの名前を2、3人聞き出し、その内の1人に目星を付けると、この様に私があなたと直に話せる事は殆ど無いだろうから、彼をあなたへの伝令役にしておくからねと言った。

「じゃあさようなら。」

今日は本堂の戸が開いているんだ。戸が開いている時はこの寺は仕事中なんだ。寺で遊べないよ。もう帰りなさい。こう言うと住職さんは私を寺から送り出してくれた。


うの華 5

2019-06-27 13:36:59 | 日記

 「あんたは嘘を吐いたね。」

あのおじさんが私に向かって言った。私は何の事か分からずおじさんを見詰めた。

 私がこのおじさんを寺の本堂付近で見掛けるのはこれでもう3回目位になると思う。彼と初対面した後日、幼馴染の史君と境内で遊んでいた時、本堂の入り口を出入りする彼の姿を遠くから2人で目にした事があった。その時の史君曰く、

「あの人この寺の住職さんだよ。」

だった。私の幼馴染で遊び仲間の史君は、極めて活発なタイプだった。それだけにおっとりした私の知らない事を何でも良く知っていた事だ。折に触れて、私は彼から色んな遊びやこの界隈の諸事について迄、様々な事を教えられる事が多かった。

「住職さん?。」

お寺さんの事さ、まぁこのお寺のお坊さんだな。彼にそんな事を教えられてから、2、3日位経った頃だったろうか、私はそのお寺の住職さんという人物から、つまり本堂の入り口で泣いていた男の人から、こう嘘つき呼ばわりされたのだ。私はさっぱり訳が分からずきょとんとして佇んでいた。

 「あんたはこの前私に合った時、私に嘘を吐いたでしょう。」

遊び仲間と墓所で逸れた私は、当てもなく墓所から出て来て1人本堂の側面をとろとろと歩いていた。屋根下から続く全面の壁が終わり、本堂の側面から正面へと続く生成りの欄干が有る場所に差し掛かった時、私は欄干の下、石造りの基礎から続く漆喰の上に腰を下ろして、どうやら一服しているらしい人影に気付いた。私はその人の顔を見て、『ああこのお寺の住職さんだ。』と理解した。と同時に住職さんから先の言葉を掛けられて、如何やら初対面時の私への文句が始まったのだ。

 「あんたは4歳でしょう。」

この言葉を掛けられて、私には漸く私の歳の事で苦情が出ているのだと理解し始めた。それにしても、私は確かに満3歳だった。

「満3歳だよ。」

こう私が言うと、住職さんは眉に皺を寄せてほらまた嘘を吐いたなと口にした。

「あんたは数えの4歳だろう。」

こう言われれば、私は確かにそうだと言わねばならない。私は大人の人達が言っていた言葉を思い出した。

 我が家に限ると、明治生まれの祖母と昭和生まれの父が、折に触れて満と数え歳の歳の話をあれこれと何度かしていた事があった。それで自分が満3歳、数えで4歳になるという事は理解していた。また、私は普通、人に歳を聞かれた場合、満年齢を言うようにと父から教えられていた。

 そこで私は住職さんに満で3歳だと言うと、父からそう言うよう教えられていたと説明して彼に弁明した。そして自分は決して嘘を吐いたのではない、世間の通例にしたがったまでだという事を理解してもらおうとした。しかし住職さんは何やら不機嫌らしく、その後も暫し四の五のと私に文句を並べていたが、私があれこれと答える内に案外そうかと了解してもらえた。

 その後、歳の事は分ったがと、

「今もそうだが、この前も何で寺に入って来たんだね。」

と言われる。

 『何で?』、「遊ぶ為に。」と答えながら、これはまた奇妙な事を言われると私は思った。家では毎日のように寺に行って遊んで来なさいと追い出されるのだ。皆そこで遊んでいるから、と。事実、近所の子供達は皆申し合わせたようにこの寺に集まって来ていたし、最初に子供達だけで外遊びに出た時も、この寺の墓地が集会所になっていた。

 初めての集会で、私は家の近隣の世の中に、こんなに沢山の幼い子供がいるのかと驚いたものだ。いつも見慣れている隣近所の子供は勿論、その他、相当遠い場所に家があるらしい見慣れない子供まで含まれていた。歳の差は少々あるが、年少の子は私と大体同じ位の子供達らしいという事は分かった。


今日の思い出を振り返ってみる

2019-06-27 13:30:26 | 日記
 
土筆(113)

 「いやいや、叔父さん、お前達女子供の事も馬鹿にしてはいないよ。」彼は姪に言い当てられた心の深部に何となく思い当たりながら、自分の後ろめたさを隠す為、真顔で朴訥として、ゆっくと......


 

 

 曇っていても蒸し暑い、梅雨さながらの不快感です。