そして、この事が私の人生において遠い過去の出来事になるだけに、私は何時しかこの出来事を忘れてしまいました。約束という言葉について纏わる私の決心についての経緯や、その時抱いた感情も全て忘れ去ってしまい、当時の親戚達とも長く交際が途絶えてしまい、私に取って全ては忘却の彼方に葬り去られてしまったかの様にみえました。これを書きだした梅雨空の候、それ以前の暑過ぎる五月晴れの頃迄は、です。
私は何故今になってこの約束のエピソードを思い出したのだろうか?、思い出す事が出来たのだろうか?。それは長い年月の後に、何時しか回復したらしい私の約束ボックスの内に、又は潰れたままの約束ボックスの空間の片隅に、記憶に残るハッキリとした1つの「約束」が存在するからかもしれません。
何しろこの経緯の後に、私自身が確りとこの2文字を口にして「約束する。」と言ったのですから忘れる訳がありません。そして、私はこの約束を果たしたく無い為に、果たさないでよい様な歳月を約束履行予定の先に据えたのでした。相手が忘れるに十分だろう、気持ちが変わるに十分だろう歳月。相手、若しくは私のどちらかがもうこの世にいないであろう先の歳月。
約束相手から、私と直接約束したいと申し出られた時、私は何の約束かもわからない事を約束すべきではないと感じていました。約束という言葉に嫌な予感を感じていました。それは訳の分らない事を約束しなければならないという不安からでしたが、その不安とは別に、私の心の中には、漠然としてこの言葉に引っ掛かりを覚える何かが存在しているように感じていました。
相手はその後、何度か約束して欲しいと繰り返してから、向こうの約束の内容を話し出すのでした。私はこれから約束の中身が語られるのかと、相手の話の前後の繋がりを考えながら耳を傾けていました。が、向こうの話を聞く内に私は段々と、徐に、腹が立ち、相手に対して酷く意地悪い感情が湧き起こって来るのでした。
当時の私は何故こうもかっかと来るのか、何故何時に無くこうも酷く感情的になっているのかと、自らの心の動きに自らに不思議な気持ちを感じてもいました。そして何故こう酷く目の前の相手に対して意地の悪い感情を自分が持つのだろうかと、自分にしては珍しく激高した自身の感情に驚いていました。
今になって思えば、相手の「約束」の言葉の繰り返しが、私にこの過去の記憶、その内の過去の感情の方だけを甦らせたのでしょう。この時私の脳裏には、過去に起こった出来事等は全く思い浮んでは来ませんでした。
当時の私は親戚のした事と思い、怒りの感情は内面に抑え込んでいました。目の前の相手が赤の他人であるという現実が、その子供時代当時の私の怒りを、親戚から受けた意地悪への仕返をするという報復行為の感情だけを、抑える事無く私の内にムラムラと燃え上がらせたのでしょう。目の前で私との約束を口にした相手は良い面の皮だったわけです。
私はじぃーっと相手の顔を見詰めてその表情を観察していました。子供時代の昔と同様にです。私はそれ迄その相手の顔をよくよく見詰めた事はありませんでした。遠くから、近くでも、それなりにその様な人物として漠然と目に留めていただけなのでした。
この様に相手の顔を具に観察してみると、その顔には私が過去に係り合った様々な知人の面影が浮かんでいました。あの人にも、あの人にも似ていると感じ、それは私が嫌な思いをした人物の面影の方が多いと感じ取ると、私はこの人とは関わり合いにならない方が良いと判断しました。この人に係り合うと、過去に鑑みて自分が嫌な思いをするだけだと判断したのでした。
そこで、私は心中湧き起こっていた意地の悪い感情に押される儘に、果たす気の無い約束をしたのでした。この時、私は過去に抑え込んでしまった親戚への怒りを、目の前の相手にぶつける事で憂さ晴らししたのでした。果たさなくてよくなる様な遠い時を据えて。
さて、相手は微笑みを浮かべ、私から直接約束を取り付けた事で満足したようでした。そして期日の遠さに一寸不満足で不安気でもありました。私の方もにっこりと笑い、期日の遠さでは満足し、それが自らも相手に対して口にした約束するという言葉で完結した事で漠然とした不安を感じてもいました。しかし、共に満足のいく結果、取り決めとなった様でした。