「触っちゃダメだ!。」
と透かさず祖父の大きな声。ハッとした顔で私の従兄弟は宙へと視線を泳がせた。そうしてパッ!と手を開き、私の腕を離した。従兄弟は緊張して身構え、思わずその身が固くなった様子だった。祖父の姿を後方に、私の目の前で視線を宙に浮かせた儘、従兄弟は自分の耳に全神経を集中させている様子だ。
「亡者に触れてはならん。」
祖父がこう口にすると、はっとして従兄弟の視線が定まり、それは私の顔へと注がれた。今迄ごく普通、生真面目な顔付きだった従兄弟の目の中に、急に猜疑と恐れの色が浮かんだ。そうしてジロジロと私の目を見詰めて来る。それは何事か探る様な気配だった。私は思わず、「なあに?」と尋ねてみる。
従兄弟はそんな私に何か言おうと口を開けた。が、そこでまた祖父が声を掛けて来た。「霊と口を聞くんじゃ無い」と言う。祖父にしては珍しくキッパリとした命令口調だった。私は、今迄この様な祖父の呼び掛けを家で聞いた事が無かった。おやっと思う。私達孫と祖父の間の距離が急に遠ざかった気がした。私が見ると従兄弟は見事に萎縮して、おどおどとした目付きに変わっていた。私はあっけに取られ、そんな従兄弟の顔をポカンとして見詰めた。
すると祖父の方は、こっちへおいでと、これは私の目の前の従兄弟にだけだろうと私は感じたが、こちらに向けてまた声を掛けて来た。この声に、日頃向こうの家族の声には従順な従兄弟の事、直ぐに私達の祖父の命令に従うのだろう、こう思っていた私の予想を裏切って、この時従兄弟の方は一切動きを見せなかった。如何したんだろう?、私は思った。
「如何したの?。」
私は座敷にいる祖父に聞こえない様そうっと小声で尋ねてみる。すると従兄弟は今行きたく無いのだと答えた。
「今行くと何か言いつけられるんだ。」
あんな声で呼ばれると、そうなのだと言う。そうなんだ。と私は徐に、ごく自然に相槌を打った。それに、それにと、従兄弟は言い淀んだ。「それに?」、私はそんな従兄弟に尋ねた。
「お願い事があるんだ。」
漸くの事で、思い切った様子で頷いた後、やっとこう口を開いて従兄弟は私に言った。この時私は、そのお願い事というのは祖父に対しての物だと感じた。それなら尚の事早く向こうへ行って、祖父にそうだと言えば良いのにと思った。
おねだりかしら。それで言い出し難くって、ここでおろおろと躊躇して、従兄弟は手を小招いているのだろう。『遠慮者だなぁ』、可笑しくなった私はふふっと笑った。祖父とは、同居しているという気安さがあった私である。従兄弟と私は同じく彼の孫同士だが、従兄弟の方は他所に家が有り、そこで普段住んでいるだけに、私達の祖父に対しては遠慮があるんだと、私はこう考えてこの従兄弟に不憫な物を感じた。そこで私は、自分だったら遠慮等しない、私達は同じく彼の孫に変わりはないのだからと、従兄弟に率直になり、勇気を出して、直ぐに彼におねだりに行くべきだと勧めた。
「お祖父ちゃんに?。」
私の言葉を聞いていた従兄弟は不思議そうな顔をした。自分は特に祖父に願い事は無いと言うのだ。では、何をそんなに迷っているのだろう、その疑問を私は尋ねてみた。
「お願いをしたいのは智ちゃんにだよ。」
私に⁉︎、これは意外だ!、私は驚いた。何故私に?。
実はこの従兄弟は、私の父の直ぐ上の兄、同町内に住む三郎伯父の家の子供の1人だった。私より一つ上であり、私とは最も年が近かった。彼ら従兄弟達の間でも私とは1番仲が良かった。私より年上の従兄弟が?、年下の私に頼み事とは。私は何だろうと不思議に思うと同時に、その願い事の内容という物には全く想像だに及ばなかった。年下の私に?、一体全体従兄弟の願いを叶えるという事が出来る物なのだろうか。甚だ疑問に感じて私は目をパチクリとした。正に狐につままれたような気分となった。
と、チョン!、チョンチョン。拍子木が鳴った。もちろん鳴らしたのは祖父だ。もう仕舞いにしなさい。私には彼がそう言っている様に聞こえた。
「拍子木だ!」
なぁに、如何したの、と、目の前の従兄弟も先程の私同様に、如何にも興味を惹かれた様子で目を輝かせた。そんな従兄弟の浮き立つ様な様子に、座敷からそれを眺め、従兄弟の気配を読んだ祖父はほくそ笑んだ。チョンチョンと、如何にも楽しそうな音色で拍子木の音を響かせて来た。
「ちょ、ちょっと、」
従兄弟は私に向けて言い出し、ソワソワ座敷の方向へ背伸びなどし始めると、間なく、次に響いて来た音に釣られて、行って来るねと透かさずこの場を後にした。それは何かに驚いた鳥がその場を飛び立つばかりの素早さだった。