チョン、チョン、チョンチョンチョンチョン、チョン!…
うーん、五月蝿いなぁ、人が寝てるのに…。うーん。…チョンチョン…、音は続く。
遠くから小さく聞こえて来るあの音は、木の音?、かな。チョン…、そうだ木を打ち合わせる音だ!。あれは、ころっとした小さな角材、下に紐が付いている。角が丸くなった二本の棒。その音を出す物が、形を取って脳裏に浮かぶと、私は、『そうだ、あの音、あれは拍子木を打ち合わせる音だ!。』と気付いた。音の正体をそれと認識すると、霞がかっていた私の意識はハッキリとした。音は闇の向こうに聞こえる。
それにしても暗い。この目の前に広がる黒い闇は?、…そうか、黒い幕なのだ!。とすると、ここは宴会場だ。私は事を独り合点した。宴会場の前に在る舞台が今から始まるのだ。『早く目を覚まして会場の前に見物に行かないと。』私は気が早った。
「早く早く、目を覚まして、智ちゃん、お芝居が始まるよ!。」
「お芝居面白いんだよ。見逃すなんて手は無いよ。」
そんな事したらとんだお馬鹿というもんだよ、等。過去に町内の催事で皆で出掛けた温泉での事、宴会場で行われていた愉快なお芝居の舞台は、私の脳裏に未だ鮮明だった。そこには母や伯母、先達の従兄弟達がいた。未だ場に物慣れない私は、皆に盛んに観劇を薦める声を掛けられたのだ。当時湯疲れして寝込んでいた私に、起きろ起きろ、見逃すよ。面白いのに、見ないのかいと、その時私が聞いた皆の声が、私の耳に蘇った様に響いて来た。
そうだ、起きなくちゃ!、私はハッとして目を開いた。だが、また直ぐに睡魔に襲われる。私の瞼はちょんと落ちた。チョンチョン、拍子木の音が、今度はハッキリと近い場所から私の耳に響いて来る。これは、今度こそ早く起きなければ、と、私は面白いお芝居を見逃したくないと気が早る。その時に見た芝居の滑稽な場面が目の前に思い浮かんだ。『早く早く、起きるんだ!。』、この時の私は、目覚めへの抵抗感を感じながらも、よいせとばかりに自分の重い瞼を持ち上げた。
私は首を上げて、次に目を擦り、宴会場へ行くのだと身を起こした。私はぼんやりする頭でねぼけ眼だった。よろけながら急いで立ち上がると、拍子木の音のする辺り、そちらの方向を向いた。そこは温泉の宴会場…⁉︎、では無く、では無い?。あれ?、私はキョロキョロと辺りを見回した。ここは、家だ!。そう、そこは私の家だったのだ。
何だろう、私は合点がいかずその場に佇むと考え込んだ。温泉は気候の良い頃、暑い季節の頃行ったのだ。今は?、それらしい気候の時期だな。でも、ここは温泉とは違う。如何見ても私の家だ。
チョン、チョン。拍子木だ。音は?、座敷から聞こえて来る。私は慌てて座敷に向かった。家の座敷でお芝居が有るのだろうか?、私は半信半疑だった。
座敷の入り口に立つと、部屋の入り口付近、押し入れの中に設置された仏壇の前、何時も閉ざされている襖が大きく引かれている前で、座布団の上に祖父が座っていた。
チョン。祖父の手元から音がした。見ると彼の両手には、大人が使うには小さ過ぎる使い込まれた様子の古い拍子木が1組握られていた。もちろん紐で繋がれている1組だ。彼はそれを仏壇に両手を合わせる様な要領で打ち鳴らしているらしいのだ。
チョンチョン、『ほら、やはり私の祖父が打ち鳴らしている。』、私は思った。やはりここは私の家だ。あんな可愛い拍子木が家にあったなんて、私は今の今迄ついぞ知らなかった。面白そうに私はその祖父の手にある小さな拍子木を見詰めた。『私も打ってみたいな。』。
そこで私は、祖父の側に徐に歩いて行った。いつも敏感な筈の祖父だが一向に私には気付かない。彼の直ぐ真横に並んでさえ、全く彼は気付いた気配がなかった。私はお祖父ちゃんと声を掛けた。それでも彼は微動だにしなかった。じいっと、一心に仏壇の中を見詰めている。私はそんな祖父の肩に手を掛けた。
私は祖父の肩をそうっと揺すってみた。次に、お祖父ちゃんと声を掛けた。だが、祖父は動じる気配がない。私の目に、彼に変化は全く見られなかった。『お祖父ちゃん、冷たいじゃ無いか。』、私は思った。
さて、座敷でむくれた私は、不快に感じながら元の階段の部屋に戻って来た。そこでパッタリと、そこにいた私の従兄弟の1人に出会った。「おや、来ていたの?。」と聞くと、その子は目を丸くして私に言った。
「智ちゃん生きていたの」
と言うのだ。私は面食らった。縁起でも無い。
仏間の祖父といい、目の前の従兄弟といい、何だというのだと、私は怒りを通り越して不可解に思った。
「生きているに決まっているじゃ無いか。ほらこの通り。」
と私は言った。そうだよね、と従兄弟。変だなぁ、智ちゃんのお母さんが内に来て…。従兄弟はそう言いかけて、仏間にいる祖父に気付くとそちらに視線をやり口を閉じた。
「おう、お前来たのか。」
祖父の声が聞こえて来た。こっちへおいでと従兄弟を呼ぶ様子だ。従兄弟はうんと、智ちゃんも行こうと私の腕を取った。