『うつる?すると祖父は病気なのか。風邪だな。』
しかし…。妙だなと、私は思った。
昨夕迄は、目立った目の下の紅色のたるみ以外は、特に祖父の身に何かの異変は無いようだった。身体的には健康そのものだった祖父である。私は風邪しかうつる病気を知らなかった。故にうつると聞くと、その病気は風邪ぐらいしか想像出来ない。しかし、風邪ならそれなりに兆候がある事を私は経験上知っていた。それは咳や喉の痛み等の症状だ。風邪を引くと、大抵寝込む前に周りの人間にそういった事を訴える物だ。昨日の祖父にはそれが無かったでは無いか。この点を私は訝しく思った。
私は祖父の病気を確認したくて、祖父達の部屋へ行こうと決心した。自分の目で見ないと納得出来なかったのだ。それで祖母の様子を窺って見ると、祖母は2階の父の様子を窺いつつ、私の方へも横目を向けて注意を払っているのが分かる。そんな注意怠りない祖母の目を盗んで、私が祖父母の寝所へ近付く事は到底出来そうになかった。『駄目だな。』この時点で私は自身の目で直接祖父の病状を確かめる事を断念した。
祖母に呼ばれた父は静かにゆっくりと階段を下りて来た。そんな父の浮かない顔が階段に見えて来た。父はまた自分の母から何かしらの苦情か文句を聞くと思った様だ。そんな彼に、居間にいた私の姿が目についたらしい、彼はちらりと私を見た。きっと自分の子供に対しての母からの苦情の話が始まるのだ、と彼は明らかに察知した感じだった。ほうっと溜息を吐いて階下に降り立った。
「また智の事かい。」
そんな事を父は祖母に言ったので、父のこの言葉が聞こえた私は内心不愉快になって眉をしかめた。
「違う、お父さんの事だよ。」
何だい溜め息なんかついて、そう祖母が父に聞くと、父は小声で何かぼそぼそ言っていた。私の苦情はうんざりだとでもいったようだ。そこで祖母も声を低めて何やら言っていたが、はっしと、今回は違うという様な言葉が聞こえた。
彼女は両手で口を覆うと、父の耳に自分の顔を近付けるようにしてぼそぼそと内緒話を始めた。「何だ父さんの事か。」そんな言葉を呟いて、父は最初気乗りなさそうに祖母の話にうんうんと耳を傾けていたが、一瞬ハッと目を見開いたようになると、「そんなに!」と大きな声を出した。そして自分の母の顔を正面から見て、彼女の言葉に注意して耳を傾けていたが、
「大袈裟だなぁ。」
心配させようと思って言ってる?、本当はそんなじゃないんじゃないか。等と、自分の母をしげしげと見詰めて言った。そして母を探るようにその顔色を窺っている。
「本当なんだよ。」
祖母は父に言った。「全然大袈裟じゃないんだよ。」そう言うと、祖母は「本当に酷いんだよ。」と息子にしんみりと言い項垂れた。疑うんなら自分の目てみると言い。彼女そう言って目を伏せた。
父は何やら嫌な顔をしていたが、それならと歩き出そうとした。祖母はそれを、「やはり止したら。」と引き止めていたが、ほらやっぱりねと父に疑いの目を向けられると、
「本当に真実なんだよ。」
だから、ね、お前驚くと思うから、それでも何とか感情を抑えて、ね、お父さんにはそう酷く驚いたお前の顔を見せないようにしておくれ。ね、頼むから。後生だからと両手を合わせて祖母はそう息子である私の父に頼んでいた。
私はその母子の遣り取りする光景を物珍しく不思議に思って見詰めていた。それにしても、私は思った。何時もよく出来る子、お前はよい子だ、等と持て囃されていた私なのに、祖母は父に向けて、何かしらの文句なりをあの様によく言っているのだろうか?あの父の言葉と様子ではそうらしい。と察知した私は、不愉快な感情に襲われて眉根に皺を寄せ祖母を見詰めた。
それにしても、祖父が病気なら早くお医者さんに行かなくていいのだろうか?、私は首を傾げながら考えた。病院に行くにしろ、医師に往診してもらうにしろ、家の誰かが早く何かしらの行動を起こさなくてよいのだろうか?
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