それはある日の事でした。商店街のお店で友人達からそのお店のお嬢さんを友達にと紹介されました。
「私達はこれ以上何時までも彼女に構っていられないから、お願いね。」
という事でした。彼女達は去り、そのまま私だけ商店に置いて行かれた事があります。私はこの友人達の言葉の中にあった「彼女」が、商店の同学年の女子の事なのか私自身の事なのか判断が付かず迷ったのですが、商店での出来事だけに商品の購入をお願いされたのだと判断しました。この当時商品の購入をするなら母に任せるに限りました。商店での商品の購入を母に依頼して私は一安心していました。友人達からの頼みもこれで果たせたと考えていたのです。私の判断した通り商品の購入の依頼だったのか、彼氏のいない者同士が押し付け合われたのか、今でも何が如何なっていたのかは不明です。
結局、当時の出来事は一過性の現象であった様です。程無くして彼女達は皆夢から覚めたような状態になり、私にも落ち着いた日常生活が戻って来ました。それと同時に私の登下校の顔ぶれもいつも通りになりました。当時何人に彼が出来たのか、その後どうなったのか全く知りようもありませんが、友人達の男女交際が日常飯事の事にでもなったのかもしれません。それが思ったより良いものでは無かったのか、慣れてしまい生活にゆとりが出来たのか、潮が引いた様に彼女達から何かしらの焦燥感というものは全く感じられ無くなりました。そしてこの時迄浮いていた私はまた元の彼女達の流れの中に溶け込んだ形になりました。思えばこういった思春期の前後の渦巻く荒波?の中で、日常に何の変化も無いこの時期の私だったのでした。可笑しいでしょうね。
異性について、社会人になるまで私には焦る気持ちが湧いてこず全く成り行き任せでした。嫌なものは嫌、男女交際は自然であればよいという考えでした。どちらかというと、嫌な物は嫌が好きな物は好きに勝っていたこの時期というべきでしょう。
当時も感じましたが、この時期は誰か音頭を取る人がいて、皆が踊らされていたのではないかと感じます。よく言われるマスメディア、周囲の何らかの環境が影響を及ぼしていたのでしょう。返って私が影響を受けなかったのは不思議な事かもしれません。唯、私も職員室で先生に2、3の男子生徒の名前を挙げられ、彼等をどう思うかと打診されたらしい経験はあります。この時私はそれを同級生の目からみた生徒間の素行話の調査だと思いました。指導関係の参考に質問されたのだと思っていたのです。この件に関しても、未だに実際はどうだったのかさっぱり分かりません。でも、私達はこんな事もしているから、と先生に言われた覚えは確かにありますね。可なり後になって、もしかしたらと思い当たったものです、時既に遅しですね、それは確かに過ぎ去った過去の出来事です。
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