智ちゃん、そんな声掛けに、朝から縁側にいて頻りに床を見詰めていた私は、振り向いて祖母の顔を見ると、なあんだとつれない言葉を返した。丁度床の観察が興に乗り出した所だった。私は誰にも邪魔されたく無かったし祖母と話をするのが物憂かった。折角年輪の話をしても、彼女から愛想無い返事を貰いそうな気がしていた。
私の意識の中で、もう祖母は霞つつある人だった。それは何時も彼女が身に着けている地味な衣類の様だと思った。祖母は私の世界でその価値観が目立たないものとなっていた。こんな希薄な感情を祖母に持つなんてと、そんな自身の変化に多少は罪悪感を感じたが、それも私自身のせいではないと思い打ち消した。
その後の私は意識して祖母から遠ざかろうと思うと、顔を背けたり、気の無い返事や、頓珍漢な受け答えを返す等して、彼女からの愛想尽かしに努めた。また、私は自分の観察の時間を誰にも邪魔されたく無かった。そこで祖母に早めにこの場から退散して欲しいと考えると気が急いた。当然私の言葉は邪険で荒い物となって行った。遂には廊下を通りかかった父から咎められたりした。その為私は、祖母や家の大人が手薄な時に縁側での観察をする事にした。
そんな数日が過ぎたある日、私は何時もの様に外遊びに出かけた。すると、驚いた事にご近所の大人達の様子が激変していた。
「やぁ、あんのお母さん、偉いねぇ。」
というような言葉から始まり。見上げた人だねぇ。立派だね。いい人だねぇ。あんないい人この世に中々いないよ。大事にしてあげなよ。等言われた。しかもこれが近所のお店のご夫婦からの、私への朝の挨拶代わりだったのだから、私は目を白黒させて面食らってしまった。おはようは?、何故無いのだろうかと、私は常とは違う彼等の対応に違和感を持った。
母が?偉い人?、えっ、何、何の事?。という具合で、私は彼等の言葉が全く飲み込めないで困ってしまった。自分の置かれた状況がまるで分らないのだ。困惑した私は、この店の主夫婦に今言った言葉をもう1度繰り返して欲しいとお願いした。
朝から荷解きの作業中だったらしい夫婦は、かなり忙しかったのだろうが、不承不承で、私が彼等の言葉を聞き逃したのだと思った様子になった。奥さんが仕様が無いねぇと言うと、智ちゃん、今度は確り聞くんだよと言ってくれた。そして、行くよ、いいねと、奥さんの声を皮切りに、渋々ながらご主人から2人で掛け合いの様に、…そう言った、その後はこっちが…言った、それで私が…と、口にした言葉を順に繋ぎ合わせてくれた。
それでも、私は相変わらず彼等の言葉の意図するところが理解できなかった。眉根に皺を寄せて困り切るしかなかった。その日は本当にこのお店は忙しかった様子だった。何時も愛想のよい奥さんにしても珍しく、私に向かって素っ気なく、忙しいから帰った帰ったと荒い言葉を寄越して来た。私はすぐさまこのお店から追い出されて仕舞った。
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