そろそろ寒中見舞いの執筆にとり掛かろうと思います。
執筆という程の事も無いのですが、それなりに何かしらの一筆書きを考える訳です。
現在印刷機が不調です。すべて手書きです。宛名だけですが。
今年は裏は印刷された物で間に合わせました。昔は自分でデザイン作成するのが楽しみだったのですが、
今や購入して楽をするという方向に転じました。()
寒中見舞いを出す方は昨年ご不幸があり年賀遠慮の方が殆どです。
そう思うと赤目の色合いやコミカルな絵柄は避けてしまいます。
そうかといって寒色系の色では、視覚的にも益々冷えが身に応えそうです。
葉書の絵柄がいろいろあったので、選ぶにも時間がかかりました。
ついついお値段なども考慮してしまうのは、この辺主婦感覚です。
もう眠い時間なのですが、一寸ブログに寄ってみようとやって来ました。
パソコンの置いてある机上を眺めると、この寒中見舞いの葉書の束が目に入り、
早速明日書く枚数を取り出し、こうやって目の前にバラバラと並べてみました。
ペンを葉書の上に置くと、いかにも雑然として白い表面が書き込みを待っているように感じます。
物書きの机上になりました。
「物を書く人になりなさい。」
かつて私は見知らぬ人にこう声をかけられて驚いたものです。
私が小学生の頃でした。4年生の頃だったかなと思います。
私には何故その人がそう言ったのか全然思い当たる事が無かったのですが、
それは本当に見知らない人が突然そう言ったからでした。
ただ、その人は私が書いた作文等を何処かで読んだ事があるようでした。
実際に君の作文を読んで…と仰っておられました。
父も、小学校の頃、中学校の頃、高校の頃と、何故か私に3度鉛筆をくれ、
この鉛筆で何か書いたらどうだ、と言ったものです。
そこで私は、小学生の時には何を?プリントを書くの?と答え。
中学生の時には、作文や感想文?と答え。
高校の時には、さて、どう答えたでしょうか?自分でも覚えがないのです。
その頃には創作文など全然思いつきませんでした。日記?と尋ねると、
自伝、そんな事を父も言っていましたが、
人は自分の自伝を書く事で誰でも1つ作品を書く事が出来るが、作家は沢山の作品を書く事が出来る、
それが普通の人と作家の違いだと、妙に2回程私に言ったものです。
3回は言わなかったかなと思うと、父の助言も何とかの顔も3度までに近いものがあったのでしょう。
実際に私が物を書き始めたのはかなり後年です。40代になってからでした。
実話はかなり楽です。思い出して書けばよいのですから。確かに、創作できる域にまで達するのは難しいでしょうね。
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