男客が側を去ってから、暫く不満気にその場に立ち竦んでいた彼だったが、その内何すると無く厨房の中をウロウロし始めた。あっちのフライパン、こっちの鍋、流しの下の調味壺等、ガタゴト彼の片手を出しては弄り戻すという、所在の無い行動を繰り返していたが、自分は親切でああ言っていたのにと思うと彼は段々腹が立って来る。遂に彼の癇癪玉に火が点いた。あちらこちら弄る手に力がこもると、彼の身振りも大掛かりとなった。ガシャン!、バン!、と音高く、狭い厨房の中で派手に彷徨き始めた。彼が手を上げて、上方の棚の上に勢いよく調理具を放り投げ始めると、それはさながら厨房という檻の中、猛り狂うゴリラが喧嘩相手に果物等投げつける様相その物となった。
店主が立てる派手な音に気付いた男客は、店の厨房に目を遣り驚いた。店主のの怒りが弥増す様に、彼は不安を掻き立てられた。
『まずいな。』
彼は連れの女性客である息子の嫁と、その彼女の子供達、彼の孫に何かしら危害が及ぶのを恐れると、今話している話を切り上げ、早々に彼女達を店外へと出そうと考えた。
「今日はこの辺で止めておこう。」
え?と聞き返す嫁に彼は言った。
「今話している話だよ。」
話していた、かな。そう続けて言って、彼は彼女を安心させる様に微笑んだ。「それより、お前さんする事があったんだろう、私もだよ。」、この話は後日改めてという事にして、そう言うと彼は横目で厨房を指した。
舅の目での合図に、でもと言い掛けていた彼女は、何だろうと厨房に目を向けた。そこには荒れ狂う店主の、派手に動いて弧を描き、鍋等あちらこちらに投げつける姿があった。まぁと彼女は眉を顰めた。『乱暴な人だ事。』
「お前さん、子供連れだろう。」
彼女に危険を悟らせる様に舅が言葉掛けした。お陰で彼女もハッと悟った。『早めにここを出たほうがいいわ。』
「では、お義父さんのおっしゃる通りに。この件は後日改めまして。」
言うが早いか、彼女はさぁと娘2人に椅子から立ち上がる様促した。「お題は私が済ませるから。さぁ、早く。」、舅は手を振って彼女達に早めの退出を促すと、自身も店から出て行きたそうに身を捻り、この店の往来の方の戸口を眺め遣った。
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