木曜日脳梗塞で倒れ、金曜日は集中治療室で安らかに眠っているようだったボランティアの仲間が、月曜日に見舞った時にはしっかりこん睡状態になり、その夜遅くに、『今息を引き取りました』と息子さんから電話を頂いた。
火曜日がお通夜。水曜日が葬儀と何だかここ一週間彼女の事が頭を離れない。
ボランティア室に葬儀の模様を写した写真をA4判に焼いて置いておいた。
みんな突然のことだったので、いつも一緒にランチした仲間たちもショックを受けている。
自然と食事中にも話題はそちらのほうが中心です。
亡くなった彼女も一生けん命昭和を生き抜き、山も谷もあった人生を、平均寿命を上回り、たった4日間を、酸素マスクすら付けずに、最愛の一人息子に看取られて、しっかり趣味の友人たちにも見送られて、一生を終えた。
≪終わりよければすべてよし≫というではないか。 一週間に一度ランチするのを楽しみにボランティアをしている仲間たちも色々の事情を抱えて一生懸命生きている。
今施設に入所中の夫を持つ仲間は毎日見舞いながら、”何か”が起きた時の事を話し合っている。
彼女の夫は心臓発作で緊急入院した時も苦しい息の下から
『人工的な延命治療はして下さるな』と頼んで先生をびっくりさせたのだそうだ。
彼女たちも子供もいなかったり、後継ぎの息子さんにも子供がいなかったり、将来お墓を守ってもらえる家族がいなくなってしまうのです。
又全く一人の仲間には『”エンディングノート”を書いておきなさいよ』と少し辛口の忠告をしている。
遠く離れて住む子供たちには迷惑をかけてはいけないと、先祖代々の墓を捨てて夫婦で共同墓へ入ることを選択して、赤字で書いた名前の人たち同士が楽しく交流を持っていたりする姿をテレビのニュースで報じていたことがあったけれど、何だかさびしいけれどしまい方も真剣に考えて行かねばならない時代の様です。
”今日のホッとしたこと”
今日病院の外来の前を通ったら、各診療室のドアに担当の先生の≪似顔絵≫が張ってありました。
先日行われたホスピタリティアートプロジェクトの一環で美大の学生サンに書いて頂いたのそうで、とても温かくて、そっくりだったので思わずクスリと笑ってしまいました。