昨日に続き神保町時代の思い出話です、お付き合いください。
昭和31年(1956)の11月号雑誌「中央公論」に深沢七郎の「楢山節
考」が発表されました。それは中央公論新人賞受賞作としてでも、ふるさと
信州の姥捨山伝説を素にしていたこともあって当時の私は強い衝撃を受
けました。読んだその夜、なにやら興奮して神保町から神田界隈をどこと
なく歩き回ったものでした。小説とは関連もないことですが、自分の十代も
終わりに近づいているとか、このまま今の仕事に就いていていいのだろうか、
とか人生の分岐点で出会った文学でした。
「楢山節考」は棄老伝説を素にし、小説家によって物語としてありうべき世
界を描き出しています。「棄老」とは加齢によって生産能力を失った者をひとつ
の共同体の中から外していくことです。物語のなかでは家族のなかからという
形を取りますが、その共同体を維持していくための「掟」とでもいうべきこととし
て作用したと想像できます。
先日kaeruがクリニックに診察を受けに行った時、はじめて「後期高齢者医療
被保険証」を持参しました。この保険制度の導入にあっては「姥捨て山だ」との
批判が起きました、現代の「棄老」制度です。民主党はこの制度の廃止を公約
していたが棚上げされたままです。
kaeruが「楢山節考」を思いだしたのは、神保町の思い出や民主党の「公約」
だけではありません。仕事の現場で重症心身障害者それもかなり年齢のいった
方の姿に触れるからです。この人たちの姿に社会の在りようや政治の課題を考
える基本があると思うからです。長くなりそうなので明日「つぶやき」ます。
なお、『楢山節考』については下記を参照して下さい。
(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83