半月ほど前喪中はがきが届きました。 12月に入って亡くなったYさんの
息子さん名で母享年80余歳と記されていました。頂いて思い浮かべたの
は、YさんはやはりY家の墓に入ることになったんだろうということでした。
数年前、数人の顔なじみの年寄り仲間と話しているうち、自分の墓の話
になり、ある人が亭主の墓に入りたくないと言いだし、Yさんも同意したの
でした。
ただ入りたくない理由は先に言いだした人は、散々夫には苦労させられ
た「あんな亭主と……」というが、Yさんは「それが嫌なのではない、姑が一
緒にいると思うとたまらない」というのです。生きているということと死後と
は一直線でつながっている、と感じ印象に残っているのです。
その後Yさんと会う機会が少なくなり、これは半年ほど前、Yさん宅近くの
人から「あの家には誰も居ないようだよ」と聞き、別の人は「郵便物は届い
ているから居るんじゃない」という程度の消息できていたのでした。
人間は生まれた時は意志はないが、亡くなる時は自己主張があり得ま
す。 ある意味ではそこに向けて人生を集約させていくのではないでしょう
か。 墓の話はともかくとして「人生最大の自由」を発揮して臨みたいもの
です。