1月21日は「久女(ひさじょ)忌」。〈谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ〉
の絶唱で知られる女性俳句の先駆者、杉田久女の命日です
ではじまるのは今日の赤旗「潮流」欄です、このあとを読んでいただけるの
でしたら、下記を。
(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-21/2013012101_03_0.html
松本清張の短編に久女を書いたものがあったはずと短編集をめくってみました。
「菊枕」と題し新潮文庫の傑作短編集(一)に収録されていました。この短編集
の解説をしている平野謙はこの(一)巻の「或る『小倉日記』伝」「菊枕」「断碑」
「笛壺」「石の骨」を「いわば松本清張をして松本清張たらしめたおもおもしい作
品に属する」と評しています。
他の短編は別にして「菊枕」の久女(小説ではぬい)と夫(同圭助)そして虚
子(同栴堂)を描きつ、夫婦関係の重さと師弟関係の重さと男女関係の重さ
を俳句という軸を中心に書いています。 地球が地軸を中心にして回転してい
るくらいの確実性をもって久女は俳句を中心に自分が回転するものと、そして
地軸は虚子に支えられていると信じていたのでしょう。しかし、「師の虚子に疎
まれて「ホトトギス」同人を除名され」(「潮流」)、その後鬱鬱と過ごします。
「菊枕」にかかれた久女。
その後も、ぬいはしきりに栴堂に手紙を出した、その数は前後二百数十通に
達したという。終わりになるほど常態を失った。文面は前後の意味がわからな
くなり、一通一通、哀訴したり、憤激したり、電報で前便の手紙を取り消ししたり、
また以前にかえったり、支離滅裂であった。(略)
ぬいは昭和19年、圭助につれられてある精神病院にはいった。
1946年・昭和21年に病院内で亡くなりました、生れは1890年。
ちなみぬふ陶淵明の菊枕
白妙の菊の枕をぬい上げし
ぬい上げて枕の菊のかほるなり