「行雲流水」、手元の 『ことわざ大辞典』(小学館)に依ってみます。
≪空に浮かびただよう雲と流れる水。他の力にさからわないで、滞りなく動く自然の
ゆうゆうとした姿。自然のまま、なりゆきにまかせて行動するさまなどをたとえていう。
/出典/「嘗自謂、作文如行雲流水、初無定質」〔宋史-蘇軾伝〕≫
さて、この出典の部分、どういう意味なのか?
以前なら図書館にでも出かけて〔宋史・蘇軾伝〕とやらを探し出し、あれば頁をめくっ
て書き写してきたのでしょう、こんなふうに。
≪自分に言い聞かせていました。
文を作ることは、行く雲や流れる水と同じなのだと。
初めより定質なし
物には定まった形はないのだから、物の表面の形に惑わされてはいけない。
って、ことなのでしょうね。
物に囚われずに自由に生きる(あるいはこの場合は文章を作る)ということ。
これから、禅僧が気ままに修行を積むために遍歴すること、あるいはその僧を指す言葉になりました。
宋史は1345年に完成しています。≫
この【出典元】は下のURLです。
これは地上から雲の動きを眺めての心境です。
現在、特に専門家ではなくてもこうして「行雲」の跡を追い、俯瞰する位置から
確かめることが可能な時代になって、「行雲流水」への理解にもあらたな面が
拡がっていく感じがします。
さて、今日の東京の天気は「曇時々晴れ」ということで、半分「晴れの特異日」
になったということでしょう。