「鳥の目」というのは鳥瞰のことで「鳥目(とりめ)」とは違います。「鳥の
目」に対して「虫の目」が対置されます。このブログを書くのでググッた時
「魚の目」という言葉があるのを知りました。「ヒトの目」は「人目を気にする」
の「人の目」ではなく、鳥虫魚という動物類のひとつとしての「目」を人はどう
使うのか、を考えたいからです。
同級会の帰り頭に浮かんできたのが「鳥の目」で、言うならば人生の俯瞰
を感じながら帰ってきました。二次会の場で隣の婦人の友が私と同じ戦争
による疎開者であって、疎開時も同じ昭和19年だったことなど、それに一時
葉山に別荘的な家宅があって、幼いころ葉山の海辺で遊んだ記憶があると
の話しなど、未知の過去から色々なものが現われ出るという興味尽きない
場となりました。
彼女の話はさらに展開し、偶々「なんでも鑑定団」の話になったときです、
自宅の蔵から出た武市半平太の手紙が150万円だったという。 帰って来て
調べてみたら武市半平太の家系に彼女の旧姓の家名がありました。
中学校時代にはまったく没交渉であった者が、こうして60年後の秋の一夜
に、ここで飲み交わし酔い心地のなかで長い人生の道のりを鳥瞰しつつ、同
時に「虫の目=複眼」で今を楽しんでいることに、この妙味は堪えられない、
の感を深くするのです。
そして、これからの人生のなかで中学校の同級会をはじめ、いとこ会、退
職者の会などが様々な彩りを添えてくれるように願ったとき、「魚の目」とい
う言葉が意味を持ってきます。「魚の目」もちろん皮膚病のアレではありませ
ん。鳥の目、虫の目、と来て「魚の目」とは「魚は流れを見ておのれの位置を
決める」の意味での目です。多分流れの強弱方向などを感知するのは全身
によってでしょうが。
人生の流れもいよいよ大海に入り込む河口へと向かっているわけで、その
方向を誤らず出来るだけゆっくりと注ぎこんでいきたいものです。 そのために
は流ればかりか地形全体を見る目が必要で、その目を名付けるとすれば「ヒト
の目」と呼べるでしょう。 鳥瞰し、現場を複眼で見、流れを感じとり、そのなか
で己の舵を取り続けたいと思います。