松島は芭蕉が「おくのほそ道」への旅発つ時から 「松島の月先(まず)心に
かゝりて」と期待していた歌枕でした。来てみて期待以上の喜びを得て 「松
島は扶桑第一の好風(日本一の風景)にして」 と賛辞をささげています。それ
にも関わらず芭蕉は松島のくだりに句を出していません。 松島で詠んだ句も
出していないのです。
その理由を長谷川さんは「古池の句」に溯って述べています。「古池」の句
で芭蕉は≪俳句に心の世界を切り開いたのです。≫その世界を詠わない句
を松島のくだりで出すわけにはいかなかった、と長谷川さんは指摘しました。
さらに論をすすめて、芭蕉が自分の句をいれなかったのは、そのことで松島
をいっそう引き立たせたのだ、と述べています。
≪では、なぜここに自分の句を入れまいと思ったのか。それを解く手がかりが
すでに通り過ぎた笠島のくだりにあります。≫
「笠島のくだり」 とは 「松島のくだり」 を章だてで21とすれば15に当たる一
文です。ここで芭蕉は 「此比(このごろ)の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、
〔笠島を〕よそながら眺(ながめ)やりて過るに、」 と述べ、
笠島はいづこさ月のぬかり道 と詠みました。
笠島の歌枕としての由来はここでは省略しますが、芭蕉の旅が歌枕を訪ねる
旅でもあったわけですから、笠島を見ることができなかったのは残念はことで
した。 同時にそれによって笠島にある藤原実方の墓は芭蕉にとって想像の世
界で生き、「おくのほそ道」の読者をも同じ思いに誘います。
それによって、と長谷川さんは言います ≪この悲運の歌人(実方)への思いも
いよいよ深まります。ぴたり合わせず、ちょっとずらす、このかすかなズレが文章
に奥行きと広がりをもたらすことになる。≫
この笠島での現実に起きた「ズレ」を≪松島のくだりで意図的に、しかも大胆に
実行されているのです。≫と述べ、さらに広重の富士の絵の例をもってその意図
を裏付けています。その絵の富士は山頂が画面からはみ出している、見る人の
目に雲海の中に突き入れているように感じられる。
≪松島のくだりで芭蕉が自分の句を出さなかったのは、これと同じと考えてもいい。
自分の句を出せば、きちんとまとまります。しかし、それでは富士山の頂上まで画面
にいれるように小じんまりと完成してしまう。そこで自分の句をわざとはずして、いわ
ば文章を破って大きな風穴をあけたのです。≫
芭蕉の次の句をあげて、長谷川さんのこのくだりでの話は終わります。
霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
≪これを絵にたとえるなら、画面全体に霧雨だけを描いて「富士」と題をつけるような
ものです。≫