kaeruのつぶやき

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天気予報が「軍事秘密」になった日。

2013-11-04 17:17:09 | せいじの政治カフェ

全国の雨雲の動き

 四日続きの「雨雲の動き」です。これまで「画像URLをコピー」で写して来

ました。今回は「画像をコピー」です、違いはあるのか?

1日付の画像が昨日・一昨日と消えてしまいましたのでやり方を変えてみま

した。説明が遅れましたが、この画像の元は

天気図 - 実況天気図 - Yahoo!天気・災害 - Yahoo! JAPAN です。

 

 今日は、話を変えまして「天気予報」が「国家の秘密」となり国民に知らされ

なくなった時代のことです。そういう時代が始まったその日は昭和十六(1941)

年12月8日(月)です。山下文男さんの書かれた本(『隠された大地震・津波』・

新日本出版社・1986年12月刊)に、ご本人がこう書かれています。

【山下さんについては下記を参照にして下さい】

http://ja.wikipedia.org/wiki/山下文男

 

≪昭和十六年(1941)十二月八日(月曜日)の朝、〔略〕 盛岡市内の下宿屋の

二階で目を覚まし、茶の間に降りた。いつものようにラジオが鳴り始める。朝一

番のニュースの時間だ。と、何とも不思議なことが起こった。ニュースに続く天気

予報が放送されずクラッシック音楽が流れ出したからである。

 「あれ、天気予報がないね」

 他の下宿人が言う。そのうち音楽も終る。〔略〕ついに天気予報が流れて来ない

まま午前七時、耳なれぬチャイムが入り、臨時ニュースとなった。〔略〕太平洋戦

争の開始を告げる「大本営陸海軍部発表」であった。

 〔略〕天気予報は以後、ついにラジオから出て来なかった。新聞の方は当日の

朝刊にいつもと変わらぬ天気予報欄があって、予報が出ていた。極秘裡に進め

られた開戦準備であったため、新聞に対して開戦を匂わすような指示を出すわけ

にも行かず、そのまま掲載されてしまったのであろう。が、これもその日の朝刊だ

けのことで、以後、新聞からも「天気予報」は一切消えてしまった。〔略〕

 こうして日本国民は、それが復活する終戦後の昭和二十年(1945)八月二十

三日迄、約三年八カ月にわたって、全く天気予報のない日常生活を送ることと

なった。≫ 

 

 さて、山下さんの本のつづきはかなり大切なことが書かれています。

 引き続き紹介したいのですが、かなり長くなりますので、明日以降にします。