「kaeruのつぶやき」 を振り返ってみましたら、2013-10-08 の「いとこ会」
2013-10-15 は「職場の退職者の集り」でした。 今回の同級会で二ヶ月に
三回も人生を振り返るような機会があったわけで、収穫の秋に相応しい時間
を過ごしました。
各々に参加してみて、「我が人生に悔いなし」 どころか 「素晴らしきかな我が
人生!」 との思いを強くしたことが何よりの収獲で 「実りの秋」であったといえ
ます。
それぞれの集まりから今日と明日を生きるエネルギーを受けてきました、其々
ちがっているのは当然で、「生きる」という意味でのエネルギーを感じたのは中
学校時代の三年間の交流に根をおく昨夜の「同級会」でした。
これを 「生のエネルギー」 と称すれば、「いとこ会」で得られれたものは 「家
族・血縁の力」とでもいうもので、親近感としてはここが一番居心地がいい場所
でした。 職場を共にし同志という名称で括ってもよい仲間との懇親からは「社会
的なエネルギー」 が伝わってきます。
こうしてみると、個人、家族の一員、社会人としてという生涯で経験するであ
ろう各自の立場の主要な三側面が、各々の場で総括されて一座の盛り上がり
となり、陶然とした気分にさせられます。もちろん、アルコールの効果もあります
が、それだけでしたら飲めない人飲まない人は出てこないわけで、それが如何
にも楽しげに参加しているのです。
自分の人生の越し方に酔える場であること、それがすべてでしょう。そして自
分の弱みを(ある程度)出せること、これも魅力かなと思います。去年の同級会
は10月に行なわれていますが(2012-10-13)、そこで触れたグレかかった友
が、酔いながら自分の体力がいかに落ちてきたかを喋ります。 多分この場以外
では絶対に口にしないことでしょう。
強がりをいうこともなく、聞くことでもない正直な自分が出せる付き合いの場が
ここです。 中学三年間という人生の画期的な成長期を同じ先生を担任教師とし、
恋心とか性とか、社会的正義とかあれこれを一身に受け止めながら、友を得る
ことと自己を確立することを両立させつつ、抜けだしたのです。
それにしてもこの三つの「集り」のどれも、はじめようとの言いだしっぺの一人
に自分がなっていたことは、この自分は一人では 「素晴らしい人生」 を味う力
はないという見通しを持っていたのか、自分の人生に対する執着が人一倍強
かったのかも知れません。
それが自分の高齢期の喜びの場をつくるエネルギーであったのでしょう。