蝉といえば夏、そして芭蕉の句と立石寺です。
閑さや岩にしみ入蝉の声
(しずか) (いるせみ)
「kaeruのおくのほそ道」もその立石寺に着きました。 (12月31日着信)
○立石寺に到着しました。 次の目的地 新庄
○次の目的地までの距離 60.7km 歩数 81,028歩で達成です。
芭蕉がここに立ち寄ったのは元禄二年五月二十七日(1689/7/13)で、
当初予定になく 『おくのほそ道』 本文に「人々のすすむるに依って」と書か
れている通りです。
もし人がすすめなければ芭蕉は立石寺に向かうこともなく、当然この一句
も詠まれることもなかったなどというのは無駄話で、要は芭蕉の俳諧人生に
おいて詠まれるべくして詠まれた一句だということです。
その辺のところを長谷川櫂さんは、≪芭蕉は山寺の山上に立ち、眼下にう
ねる緑の大地を見わたした。頭上には梅雨明けの大空がはてしなくつづい
ています。そこで蝉の声を聞いているうちに芭蕉は広大な天地に満ちる「閑
さ」を感じとった。本文の「佳景寂寞(かけいじゃくまく)として」、あたりの美し
い景色はただひっそりと静まりかえって、とはそういう意味です。
このような「閑さ」とは現実の静けさではなく、現実のかなたに広がる天地
の、いいかえると宇宙の「閑さ」なのです。(略)
この句は古池の句によく似ています。
古池や蛙飛こむ水のおと
古池の句は「蛙飛びこむ水のおと」という現実の音を聞いて「古池」が心の中
に浮かんだという句でした。山寺の句は、「岩にしみ入蝉の声」というこれも現
実の音を聞いて心の中に「閑さ」が広がったといっている。つまりこの句も古池
の句を発展させた句です。≫
長谷川さんは芭蕉は「古池の句」を詠むことによって会得した俳諧の境地を
深めていく過程として「おくのほそ道」の文学性を見ています。芭蕉が「古池の
句」を詠んだのは「おくのほそ道」への旅に立つ三年前です。その「古池の句」
を生みだすまでに芭蕉の人生の半ばがありました。
「古池の句」に至るまでの研鑚とそれを受けての「おくのほそ道」の旅、その
旅を通じての芭蕉の到達していく境地。 蝉が夏木立のなかで鳴くに至るまで、
数年の地中での生存を要したことに比してもよいでしょう。
この寒空の山中のさらに土の中、数か月あとの夏空へむけての準備の過程
の幼虫がいます。