昨日の前都知事・猪瀬氏に関する「つぶやきい」の続きです。猪瀬氏が
中学生の時の先生について書かれたものがありました。2011年5月23日
の「毎日新聞」の「学校と私」欄です。
出だしに≪中学3年間の担当は海軍上がりの数学教師でした。怖い先生
で、怒られて言い訳をすると、「うるさい、言い訳をするな」と怒鳴られ、ピン
タが飛んでくる。毎日のように誰かがたたかれていました。でもポリシーが
感じられて好きでした。≫とあります。
さらに、先生になった理由について≪終戦時、自決しようと思ったが、上官
から「新しい日本を作れ、子供たちを作れ」と諭され、思いとどまったと。熱心
だった理由が分かりました≫と書かれています。
先生が最初の担当になったのが私たちのクラスでした、1950年です。音楽
と数学を担当されていました、厳しい先生だっという印象は強くありますが、毎
日誰かがたたかれているというようなことはありません。
1946年生まれの猪瀬氏が中学生のなったのは1959年です。この間に中学
校の教育現場が変わったのか、先生の気性がより厳しくなったのかわかりませ
んが、厳しさのなかに生徒への深い愛情をもっていたことは私の個人的な経験
からも確言できます。そのことに触れる機会があるかもしれませんが、いまは猪
瀬氏のこと。
この文中の「言い訳」についての続きです。
≪5年ほど前(2006年頃)にお会いした際、「先生は『言い訳するな』が口癖でした
ね」と切り出すと、思い出話をしてくれました。海軍に入るための試験で、「回れ右」
と言われたのに、一人だけ左を向いてしまった。後の面接で「お前だけ左を向いた
な」と問われ、「はい、そうであります」と言い訳をしなかったら、合格したそうです。
戦場で間違いに気付いたら、すぐに次善の策をとらないと、場合によっては部隊
は全滅する。「教官(先生のこと)」は間違いを素直に認めることの大切さを教えて
くれていたのです。≫
ここで書かれていることを今回の5000万円「受け取り」と「返済」の経緯、ならび
に「借用書」問題などの「言い訳」と比べその矛盾することは明らかです。
ただ尊敬すべき私の「先生」、猪瀬氏の「教官」の同じ教え子として、氏がこの一文
の〆に書かれている≪「教官」の戦争体験も私の作家活動にずいぶん役立っていま
す≫がこれから生かされることを切に望んでいます。