芭蕉が羽黒山に着いたのは元禄二年六月三日(1689/7/19)、その日から
九日まで、六日に月山泊をした時を除いて六泊したそうです。このへんのところ
は岩波ジュニュア新書の 『おくのほそ道』 などを参考にして書いていきます。
そして十日の昼前に羽黒山を離れるのですが、その間宿にしたのが羽黒山
南谷別院で、「おくのほそ道」に、
六月三日、羽黒山に登る。(略)南谷の別院に舎(やどり)して、
憐愍(れんみん)の情こまやかにあるじせらる。
とあるところです。「憐愍の情~」、心細やかにもてなしてくれました、の意です。
その翌日(四日)の句会で
ありがたや雪をかをらす南谷 と詠んでいます。
≪暑い夏の盛りなのに、この南谷では残雪があるのか、雪の香がする涼風が吹
いてくる。清浄な霊地の尊さが身にしみるようだ。 季語ー(風)かをる=夏≫
(角川ソフィヤ文庫 『おくのほそ道』)
長谷川さんはこの句を含め、この章(出羽三山=羽黒山・月山・湯殿山)にある
芭蕉の句について、
≪芭蕉の句が四つあって二つに月が詠まれています。羽黒山と月山の句です。≫
と語りそれは、次の二つです。
涼しさやほの三か月の羽黒山
雲の峰幾つ崩て月の山
「涼しさ~」の句について
≪羽黒山の「黒」の字が効いていて暗い夜空に細い月がほのかに浮かびあがる。
「ほの三か月の羽黒山」は現実、「涼しさや」は心の世界ですから古池型の句です。
月山の山上で野宿をしたのは六月八日*です。日が暮れると頭上に半月(八日月、
上弦の月)がのぼっていました。≫ (* この間の芭蕉の旅日程に長谷川さんの記
述と岩波ジュニア新書本などと違いがあります)
「雲の峰~」について、
≪もはや夜になって今はこの月山を月が照らしているばかり。昼間の青空にさかん
に湧きあがっていた入道雲は果たしていくつ崩れたのだろうかというのです。雲の峰
といい月の山といい、壮大なスケールで天空つまり宇宙を描き、その転変に心を動か
されているのです。
この句は「月の山」が現実、「雲の峰幾つ崩て」が夜になって昼の空を想像している
心の世界です。これも同じく古池の句を発展させた句です。≫
このあと、日光での
あらたふと青葉若葉の日の光
をあげて、月山という山の名前と月に照らされている「月の山」と、「日光」という地名と
「日の光」=太陽の光という二重のイメージをもっていることを述べています。