kaeruのつぶやき

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五月雨と大河を詠む、芭蕉と蕪村。

2014-01-15 22:06:33 | kaeruの「おくのほそ道」

 冬のさなかに、「五月雨」の句の話に冷たさを倍する思いですが、ご勘弁

をねがって昨日の続きです、あらためて最上川の句を、

  五月雨をあつめて早し最上川

 

 「おくのほそ道」の本文は

最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。

=最上川を舟で下ろうと思い、大石田という所で舟遊びによい晴天を待った。

とありまして、ここ大石田で土地の俳人たちと句会を催しています。

 その場で詠んだのは   

  さみだれをあつめてすゞしもがみ川    でした。

 長谷川櫂さんの文章より。

≪『おくのほそ道』ではこの「すゞし」を「早し」に直しています。なぜあらためたの

か。二つの句はどうちがうのか。

 歌仙(大石田での句会)の発句として詠んだとき、芭蕉はまだ舟に乗っていませ

ん。つまり岸から眺めた最上川の印象が「すゞし」です。さらにこの「すゞし」は土地

の人々への挨拶でもあります。

 一方、『おくのほそ道』に入れた句は舟に乗りこんで最上川を下りながら詠んだ

句です。「早し」は激流を下るときの最上川の印象です。

 蕪村にも五月雨と大河を詠んだ句があります。

 さみだれや大河を前に家二軒 

 二つの句には芭蕉と蕪村の資質のちがいがはっきりと出ています。芭蕉は舟に

乗って激流に乗り出し、大河と一体になっています。その結果、句には躍動感が

あふれています。

 一方、蕪村は大河の岸辺から、というよりは空中の一点から大河と二軒の家を

眺めています。梅雨の大河を詠んでいいるのですが、ここにあるのはあくまで静か

な一枚の絵です。芭蕉の句と比べると、動と静のちがいがあります。蕪村は芭蕉

の句を十分意識してこの句を詠んでいまし。芭蕉は「五月雨をあつめて早し」と詠

んだが、私は五月雨の大河はこの句だというわけです。≫

 続けて長谷川さんは、蕪村は本業の画家の目、芭蕉は本業の歌仙の感覚があ

ふれていると述べています。 歌仙とは連句の一形態で、連句とは参加者が長句

(五七五)と短句(七七)を交互に詠みあうもの、全部で三十六句つづける連句を

歌仙といいます。