kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「味のある人、味のある本」

2016-09-21 22:36:08 | 葉山そして人

   その人・松崎てる女の名を知ったのは昨日の「kaeruのつぶやき」への南さんのコメントでした。

   この人が葉山町図書館に寄贈していた本は、

  もちろん同じ本ではありません、今夜は今日読み終わった左側の

『亀のごとく』についてのつぶやきです。

   はじめに、本に書かれている松崎さんの経歴  / 明治40年1月5日 長崎県南高来郡島原市内屋敷に生まれる。父は旧士族、母は島原市善法寺次女。共に長崎師範を卒業、当地教育に尽力す。/ 大正13年3月  長崎県立島原高等女学校卒業。/ 昭和4年〜7年 萬朝報記者生活。/ 昭和30年12月 高浜虚子、星野立子に師事。 / 昭和37年11月 随筆集『くりや妻』出版。/ 昭和58年5月 『てる女句文集』出版。  とあります。

   上の二冊の右側が『くりや妻』で、未読ですので内容は後で触れたいと思います。

   さて、なぜ今日のようなタイトルにしたのか、それは松崎さんが書かれている「親友との再会」にある親友(児島さん)の言葉です。その親友と50年ぶりの再会のとき、

【 児島さんは長崎師範で私と同級であった。

「味のある友達は貴女だけだった。後にも先にも心からの友達は貴女一人だったのよ」と何回もいう。私はうれしくもあり、おかしくもあった。

「味のある人間」とはどういうことか? そこまで買いかぶって大切に思ってくれていたとはーー。 私は学校を追われたが、彼女は立派に卒業した(松崎さんが「学校を追われた」とは、夫となった松崎氏の影響で社会主義的思想の持ち主と疑われことを指す)

   児島さんはナイーブな性格だった。クラスでは目立った存在ではなかったが、理数系統に鋭い頭脳を持っていた。そんな人がどうして私のように勉強も出来もしない旧友に興味や親しみを持ち、私のことを「味のある人間」として感じていたのだろうか。

   だが、私が覚えていることは児島さんが忘れ、私が忘れていることは児島さんが覚えていてくれた。寄宿舎生活もまる一年に満たないものであったのに、私は児島さんにロシア文学の話を聞かせたそうである。この世の中は今にだんだん変わって行くこと、ヨーロッパ、アメリカもいろいろ変わりつつあることなど話してくれた彼女はいう。

「そうだったの? 私はそんなことはすっかり忘れてしまった」と私は笑った。】

   この後少し続きますが、その内容の理解のためには夫・松崎貞次郎氏について触れなければなりませんので後日にします。