番組は、http://www.ustream.tv/recorded/91744147 で。
このurlは「ユズノハユレテ」と読めますように映画「ゆずの葉ゆれて」のネット案内です、http://yuzunohayurete.com ここに1分26秒の予告編があります、
この1分26秒だけでも私の涙腺はゆるみ出すのですから、映画館ですすり泣きが起きたと聞くとこれはアブナイ、でも心地よい涙だろうとも思います。このように観る人をとらえる感動はどこからきているのだろうと思った時、椋鳩十の臨床の言葉を思い出しました。
昭和62年(1987)12月27日、20時47分の死去、亡くなる直前だったのでしょうか、これは夫人に口述させての言葉だったそうです。
日本の村々に
人たちが
小さい小さいよろこびを
追っかけて 生きている
ああ 美しい
夕方の家々の窓のあかりのようだ
映画の原作は椋鳩十児童文学賞の受賞作品です、今日のゲストで「ゆずの葉ゆれて」の監督・神園浩司さんは、原作の映像化ならば30分位でしょう、と言われていました。映画プロデューサーの三角さんが提案したのは夫婦愛に焦点を当てることと鹿児島発の映画にしよう、ということでした。
神園さんにインタビューした前迫さんは観た感想として「びっくりする位の夫婦愛」だったと言います。確かに感動の芯になっているものは夫婦愛に違いありません。あわせて、人の死の持つ人生における意味の深さです。
映画では津川雅彦演じるジイちゃんの死を巡って妻と娘たち、隣の家の少年とその父母等が物語をつくっていきます。死もその人にとって当たり前のことですが、見送った者にとっては深い意味を持つのです。神園さんは昨年夏撮影に入る二ヶ月前にお父さんを亡くしていました、その経験も踏まえての撮影だったそうです。
遺族といわれますが映画の少年のように、家族であろうとなかろうと深い関わり合いを持った者の死は深い印象を残します。その印象は生きていく者と死にいく者との思いやり感謝の気持ちの交流でしょう。ですからこの映画は家族で見てもらいたいということになります。
もうひとつこの写真を、
映画シナリオは神園監督が書かれたそうですが、喜入にあわせて書かれたとのことです。ですから支援した人々も含めてこの地域そのものがもうひとつの主人公なのです。
改めて椋鳩十の最期の脳裏に浮かんできたであろう長野県喬木村や鹿児島の離島の村々などの夕方の窓明りのあたたかさ、そんな光景がこの映画の原風景のように思えるのです。
最後にもう一枚、
柚子の木です、昨年4月に映画のために移植されたと監督の話です。この写真は最近の「その木」です。映画の感動がこの木のように心の土壌に根をはり実らせ葉を茂らせていくのはこれからの課題だと思います。