前回ゲストで出られたのは昨年の4月でした。その時の感想をこのブログで「キーワードは夢」とタイトルにしたのでした。それは、よしきた やったろうという芸名を40歳代で考えていたこと、いつかこの芸名で人の前に立ち人を喜ばせたいと思っていた、そんな夢があったことと繋がっていました。
今回視聴している最中にタイトルが「それきた みてやろう」と頭に浮かんでだのですがやや訂正して当タイトルの「それきた みたろう」に。
なぜそんな風に反応したのだろうか、考えているのです。
やはりよしきたさんの元気に反応したのでしょう。「気を送る」とか言います、あれです、元気の気が送られてきたのです。やったろうさんが元気な高齢者に共通しているのは明るさだと言われました、明るさの源は光の発進源です。 よしきたさんの発光源は40歳代に描いた夢にあるのではないでしょうか、夢を名前に凝縮させ持ち続けてきた、そう言えるでしょう。
夢を光源として発光し続けるためにはエネルギーを自分のなかに蓄え続けなければなりません。人に内容のあることを話そうと思えば、内容づくりに責任を持とうとします。その為、よしきたさんは図書館通いをされています。そんな姿勢は今回も見られました。上床さんがインフルエンザ予防の話をしている時、紙に筆記しはじめました。
発信し続けること、そうなれば受信せざるを得ません。呼吸の原理と同じで吐くから吸うのです、吐く力は吸う力です。そして聞こえてくるのはkaeruよ、お前の40歳代の夢はなんだったか、との問いかけです。その夢はお前の吐く息のなかにあるのか、と。
「ある」と、それは鹿児島の旅で受けたエネルギーにも繋がるものだと答えられるのは喜びでもあります。