kaeruのつぶやき

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鎌倉ー鹿児島ー上田 が繋がっていた。

2016-12-03 21:29:04 | 鹿児島・薩摩

   鹿児島を向井さんのガイドで4日歩き、疲れるほどのエネルギーを貰ったので、このエネルギーをどう消化し血にし肉にするか、そのために空港の本屋で3冊購入しました。その一冊がこれです、

  『薩摩  民衆支配の構造』、このカバーに「歴史をたどれば、戦で主体となったのは隼人ではなく、鎌倉期に移入してきた関東・島津武士団の末裔だったことが分かる」「民衆・薩摩隼人は常に外来武士団の過酷な支配のもとにあった。〜 明治期になっても、士族の政治支配は続き、太平洋戦争後まで続いた。本書は、この特異な近世・近代の民衆支配の実態を探った初の単行本である」とあります。

  島津とは関東の武士団でした、ならばと見たのが、

更にこの人の墓が、鎌倉にありました。

 

そして、

   島津家と南九州のつながりのはじめの時期、今は上田市になっている「信濃国塩田荘地頭職にも任命され」ているのでした。上田を中心にした信濃国が島津家の支配地になっていたかもしれない、という話もできるわけです。

   歴史の中で繋がりをたどれば、意外なところで意外な繋がりがあるものですね。鹿児島ー鎌倉ー上田を繋げるものが12世紀にあったことを知り、旅の面白さ奥深さを知ることができました。