前回の資本論講読会は報告担当でしたので、それなりに準備をしました。といっても不破さんの本をコピーして渡しただけでした、それはそれなりの理由があったとしても。
ところがその後まったく頁も開かず、人の説明を聴いただけの今日の講読会でした。「第2部第2編第16章 可変資本の回転」というところですが、説明を聴き論議をするとかなり大事なことが書かれているな、と気持を入れ替えて帰ってきたのです。
ならば自分でも読まねばと読み出したのですが、頭の中が資本論向きになりません。まず数値がかなり出てくるのですがそれが縦書きで書かれているのです。
縦書き数値を横書きに変えて考えればいいのですが、頭が追いつかないというより眠気が差してきて23度居眠りをしたあと、これではならじと顔を洗いなおして、とにかく読むに挑戦しました。
すると行にも行間にも気持が入り込みはじめました、これは理解できるということではなく読み進めることができたという意味なのですが、この章を読み終えました。その理解内容は別にノートするとして、参考に開いた不破さんの《「エンゲルスと『資本論』上》にマルクスが日本に注目していたことを記していました。
講読会の話でも来年が資本論第1巻刊行150周年であり、次の年が明治維新150周年、このつながりは偶然ではなく欧州の資本主義国が全世界的に覇権を拡げる一環としての日本開国の影響下での明治維新。資本主義社会の研究に精魂を傾けていたマルクスが当時の日本に注目したのは事の当然と言えるでしょう。
不破さんはエンゲルスが資本論第二部の編集を終わったあとを検討し、マルクスの草稿の半分以上が割愛されていたと指摘しています。そのなかに、第3節「流通費」の「注」のなかに突如として、わが日本が登場するのですと書かれ、
「日本では神奈川の開港1年目に絹の巨大な在庫があった。それは、長年にわたって主要な輸出品となったのであり、実際またイギリスではまったく誤算のもととなったのである(『中国、日本、シャムにおける領事の通商報告書』、1865〜66年、ロンドン、1867年、253ページ」。
「この注を見て、私がまず感じたのは、」と不破さんは続けていますが、かなり長くなりますので明日に譲ります。