kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

今日という日

2012-09-20 10:29:21 | どこまで続くかこのブログ

 特別な日でなないのです、昨日があって今日がある、 文字通りそんな日

です。 昨日仕事仲間の都合で交代で出勤、それで今日が休み。 これまた

文字通り昨日は今日のなかにある、ということで秋らしい、でもかなり暑い

日差しの一日が始まっています。

 妻は妹に付き添って病院に行きました。 ここ半年ぐらい鬱の傾向が治まら

ず、入院してでも治したいと自分の方から言いだしてきた、と昨夜妻が言い

ました。 妹、私にとって義理の妹ですが、この家の母の看病と看取り、続い

て父親の世話と看取り。 両親に対しては看護婦以上の献身であったと思い

ます、そんな生活で婚期を逸しました。

 

 妹にとっての今日は「昨日の今日」だけではなく、昨日までを抱え込んだ

今日、それは私たち夫婦にとっても同じなのですが、本人にもっとも密度

濃く内包されています。 今日のあり様が明日からの彼女の穏やかな日へ

とつながればありがたい、と念じています。

 

 昨日19日、政府は新エネルギー戦略に当初予定していた「原発ゼロ」

閣議決定を見送りました。アメリカと財界の反発を受けた結果だと、「赤

旗」が報じています。 ここには一昨日までの日本国民と政府、日本国政

府と日本の財界・アメリカ政府などの関係が持ち込まれています。詳細は

http://www.jcp.or.jp/  「原発ゼロ」閣議決定せず/ でご覧ください。

 だから、私は明日は久しぶりに官邸前に国会前に行こうと思います。

 “私の足よ、私の心のあるべきところへ私を運んでくれ、私のために”


こちらも、どーぞ。

http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2012/09/marugoto-jcp.html


小説 『天地明察』

2012-09-19 22:39:20 | どこまで続くかこのブログ

 『暦の科学』 という本を立ち読みした時、『天地明察』というベストセラー時

代小説がある、と書かれていました。 すると、その書名が気になりだし本屋

で文庫上下が台積みになっていたのが目に入り、「映画化!9月15日全国

ロードショー!」とかなり前からの「本」だったのかと知ったわけです。

 

 貞享(じょうきょう)元年三月三日というのを西暦でみると、1684年4月17日。

その日、「かねてから誤謬明らかな現行の暦法を廃し、新たな暦法をもって新

時代の暦となすことを(帝が)発布された。」その場面から書き出されています。

 そして一転、その日に至る23年間の物語へと移っていくらしい、らしいという

のは二三ページめくってみるとそんな感じですから。

 「天地明察」については 

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%98%8E%E5%AF%9F

 書き手の冲方 丁(うぶかたとう)については

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B2%E6%96%B9%E4%B8%81

 

 小説 『天地明察』 についてはこれからも書く場面があれば書こうと思いますが、

和算の話、碁のこと、そして暦の話と展開していくようです。 どれもkaeruの苦手

なことばかりで、暦の話も二十四節気とか七十二候ということなら少しは興味がわ

くのですが。 本当はそういうことも天体の動きに対する理解が前提になっているの

でしょうが、その点になるとはたと行き詰るのです。

 このブログを見て下さっている方で、『天地明察』を読んだ方とか、映画を観たよ、

という方がおられましたら、コメントを通じて何なりとお書き下さい、よろしくお願い

します。

 

 

 

     

 

 

 

 


希望につながるブログでありたい。

2012-09-18 21:45:02 | どこまで続くかこのブログ

K弟さんへ

 コメントありがとうございました。メールで頂きましたものを8月28日にコメント

として出させてもらっております、2度目のコメントです。引きつづきコメント欄を

賑やかして下さい。

 昨日17日でブログ開設62日目、7月8月という31日の月をまたがっていま

したので、このブログから3ヶ月目。とりあえず1年間続くとして、6分の1が過

ぎたということです。

 

 話は一転。 暦計算室というのが国立天文台にあるとのこと、そこのホームペ

ージへのアクセス数は初日の出の時に一気に増えるのだそうですが(という

ことは普段はかなりすくないということ)、2011年3月11日の夜、初日の出並み

に増えたそうです。「明けない夜はない、もう少しで日の出だ、がんばれ」といった

被災地の人たちを励ます情報を得ようとアクセスしたのです。

右記がそのアドレスです。 http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/

 

 悲嘆のどん底に人を突き落とすような情報もあれば、励まし生きる力を与えてく

れる情報もあります。 生きようと懸命の力を尽くしている人へ、そのような情報を

届ける役割を「しんぶん赤旗」はしていると思います。

 今日の赤旗紙面、長寿日本一115歳の木村さん、同紙の読者として「(赤旗)は

いろんなことをおしえてくれますので、全部の紙面がおもしろい」「(戦争中の体験は)

今、思い出してもぞっといたします。二度と戦争はしてはなりません」と語っています。

  赤旗のHPはこちらです。  http://www.jcp.or.jp/akahata/

 

 kaeruの小さな心臓は、暦計算室のHPにも赤旗のHPにも共鳴しているのです。 


敬老の日

2012-09-17 11:42:06 | どこまで続くかこのブログ

 八:驚いたねー、昨日は。突然のあの降りだ、かかあに頼まれた洗濯物びっ

しょ濡れだ。かかあばかりじゃない娘にまで文句をいわれる、文句あったら雨

に言え、て言うんだ。

 熊:偉いねー八ちゃんは、あの奥さまとあの小娘様に「文句あったら雨に言

え」なんて啖呵を切ったのかえ。

 源:熊さんも人が悪いねー、八ちゃんが言えるわけがない。俺は聞いていた

んだよ昨日、雨だ!と言って八ちゃんが駆けだしただろう。その後隠居さんが

傘を熊さんと俺に貸してくれたね。雨のなかに出て傘を拡げたら骨が折れて

いて役立たずさ、ひどい降りで八ちゃんの所で雨宿りをと軒下に入ったんだ、

そしたらやっていたね。八ちっん対女ふたり、がぜん女性軍が優勢でね、それ

はいつものことだが、八ちゃんの言訳が気に入らない、え、雨に濡れたのは隠

居のせいだとかなんとか言っていたね。

 八:待てまて、昨日は俺が取りこんだあとかかあと娘が飛び込んできたんだ。

それでね、俺がもう一足早ければこんなに濡れなかったのに、と言うから隠居

の話を聞いていたんだ、と言っただけさ。あの時、俺は隠居の前に座っていた

だろう、源さんはお茶ばかり飲んでいた熊さんは菓子ばかり見ていた、俺は隠

居の口元見ていたんだ、いつ入れ歯が飛び出すんではないかと気になってね。

だから、隠居の後ろの窓から雲行きが怪しくなってきたのも見えたね、お前さん

達より一足早く飛び出せたんだ。

 熊:分ったわかった。お互い奥様には頭が上がらない身分だ、人の傷見てわ

が身の痛さを知れ、ていうことよ。ところで今日は敬老の日だ、たまには隠居

さんを喜ばせてやろうじゃないか、え、何か贈ろうか、何がいい。

 源:傘はどうだい、今度雨の時役に立つぜ。借りておいてそのまま返さなけ

りゃいい。

 熊:俺の借りた傘も広げて見たら「ホテル何とか」と赤いデッカイ字で書いて

あった、まぁ、あの雨だから誰も見る奴はいなかったが、家で女房からホテル

から宣伝料をもらったら、と言われた。 傘の贈り物は嫌味になるなー。

 八:隠居は歯は駄目だし耳もいかれてきているが、目だけはまだみえるよう

だ、新聞なんかもメガネなしで読んでるぜ、新聞を一日分贈ってやるか。

 源:バカ、駅で拾ってきたな、と思われるだけだ、本なかんどうだい。

 八:今でも山ほどあるぜ、あそこのばーさんは地震がきたら本の下敷きに

なって死ぬ、じーさんは本望だろうがわしゃ嫌だよ、と言ってるよ。

 源:あれだけあれば一冊二冊増えたからといって変わりないだろう。それに

ただでもらった本なら読むんじゃないかい。俺がね、嫁さんをもらった時、持

参金なんか無い、ただでもらったんだと言ったら、タダほど高いものはない、

ってほめてくれたからね。

 熊:それはおめでとうございますだ。それじゃ、タダ本にしょう。隠居より歳上

の人が書いたものなどいいだろう。

 八:それじゃ、あの日野原さんとかいうお医者さん、死んじゃたけど映画監督

の新藤さんとか、100歳クラスの人のものかい。

 源:駄目だねー、男の書いたものはあの隠居、敵愾心を燃やすからね。女の

人の書いたものだね。昨日の赤旗に紹介されていた本なんかどうだい。

 熊:源さんも写真のあるところは読んでるんだね。「97・94・91歳 生き生き一

人暮らし」っていうところだね。97歳笹本恒子さん、94歳吉沢久子さん、91歳清

川妙さん、丁度三冊紹介だから一人一冊つづでいい。

 

 てな、ことになりまして祝い言葉を添える段になり誰も字は書きたくないと。

 パソコンで打ち出しました添え書き。

 隠居:うれしいね、あの三人、うちの長屋に来てから少しはまともになってきた感

じだね。なにか書いてあるね、添え書きだね、なになに。

 「軽老の日 おめでとうございます」


暑い税ー。

2012-09-16 12:23:06 | どこまで続くかこのブログ

  テレビの街頭インタビューで「暑い、と言うのにも草臥れた」との声を聞きま

した。 全国のブロブでも「暑い暑い」が連発されているでしょう。

 落語にお互いの口癖を言ったら一円を払うという約束をし、そこで相手に口

癖を言わせる作戦をご隠居から授けられて仕掛けるが、反対に云わせられて

一円を払わされるという噺がありました。

 

 おい、暑い暑いといくら言っても涼しくなるわけではない、言えば言うほど暑く

なるなー、で、どうだい暑いといった奴が一回100円払うというのは、熊さん

どうかね。

 いいねー、さすが隠居だ、暇にまかせていろいろ考えるね。八ちゃんどうだい?

 まー、隠居さんの言いだしたことだ、なにせ俺たちの大家だ、ご機嫌をとってお

こう。でも100円じゃ面白くねー、500円じゃどうだい。

 最近ちゃんと稼げるようになったんで、大きく出たね、八にそう言われたんでは

金持ちの熊と言われてる俺だ、500円じゃなくて1000円にと言いたいところだが

貧乏人のみなさんに合せて500円にしておこう、ね隠居。

 わしは年金生活でね、少ない方がいいが、まー暑いといわなければ同じだな。

源さん、なにか不満顔だね、言ってみな。

 隠居さんは喋らない、言わないから100円も500円も同じだ、というが最近ブロ

グとかいうもので、暑い暑いを書きなぐっているんじゃないかい、そういうのを見逃

しちゃ、おかしいよ。

 源さん、よく言った。 隠居さんは手は口ほどにものを言い、だからね。 ブログとや

らでも、一回暑いと書いたら500円だな、なぁー熊。

 隠居さんのブログ、あのかえるのつぼやきとかいうやつね、あれは長続きしないよ。

隠居が後期高齢者になって何か新しいことをやりたくなった時、きれいなご婦人に

ブログをつくってもらい悦に入っているだけだ。 御婦人への手前続けているが、何せ

飽きやすいのが隠居の良いところだからね。

 熊さん、人の秘密を喋られちゃ困るよ、来月からお前さんのところだけ家賃をあげる

よ。 第一、かえるのつぼやきじゃない、つぶやきだ。 正式にはkaeruのつぶやき、とい

う、御婦人の手前ということもないわけではないが、(熊「そーれみろ」)はじめてみると

面白くてな、まぁ一年くらいは続けそうだな。

 

 その時天候一転、長屋の上空に雷鳴そしてにわか雨、話はお流れに。

 

 

 

 

 

 

 

  

 


長生きのヒント、五つ目。

2012-09-15 23:45:04 | どこまで続くかこのブログ

 「好奇心・自律・恋心・絆」 の四つ(言)葉のクローバーです。 と昨日書き

ましたが、大切な事を落していました。

 長生きのヒントを知りたがっている人は、kaeruもその一人なのですが、生き

ることに希望を持っている人でしょう。 絶望のなかに生きている人は、長生きを

したいとは考えないと思います。

 笹本さんの生きてきた時代、戦中時代は生きることに希望を持てる社会では

なかったでしょう。 そのことは笹本さんが書いておられる次の三行によっても肯

けます。

 「彼(笹本さんの最初の夫)はその後、再婚をして2児をもうけました。わたしは

戦争がこわくて子どもをつくらなかったので、かわいい娘ができたことは彼にとっ

てよかったと思います。」

 

 私たちの母親の時代=戦中時代=「産めよ増やせよ、お国のために」の時代、

そんな時代に子どもつくることを拒否する精神のなかに、彼女の核心=生命の

肯定をみることができます。 長生きのヒントとして落してはならにものは、自己

肯定感=自分への限りない愛情と生きていくことへの喜びを内に抱いているこ

とです。

 ただ、絶望のなかでも生き抜かなければならない人にとって、長生きするヒント

は必要です。 そういう人のそばには自己肯定感を秘めた人が寄り添っているに

違いありません。 人の文字が示す関係、互いに支え合う関係をつくることを「生き

ていく」というのでしょう。

 もう一度「絆」というヒントが示されます。


長生きのヒント 四つ。

2012-09-14 21:26:57 | どこまで続くかこのブログ

 笹本恒子さんの 「長生きのヒント」 といっても、ヒント1、ヒント2などと書か

れているわけではありません。本を読み通して、ということは笹本さんの今ま

での生き方を通してこれこれがヒントになるだろうということです。

ですから読む人によって何をヒントにするかは異なるでしょう。

 

  kaeru的ヒントをこんなふうにまとめてみました。

  「好奇心」、まずこれです。「めずらしもの好きで、なんでも知りたがる」とは笹

本さんの子ども時代。 多分、赤ん坊の何にでも手をだし口に入れてみるという仕

草・志向が98年間(今年9月1日)変わらなかったのでしょう。

 「自律」、自立でもありますが高い自律性です。日本最初の女性報道写真家

という仕事を通じて身につけ、「甘えない、甘やかさないが元気の秘訣」という

生活信条、そして「やらなければならないことがある」というのがポイントだ、と。

 「恋心」、エネルギーの根本はこれです。 96歳のクリスマスに恋の告白、カー

ドに「 I LOVE YOU」 「 I want to see YOU!」と書いちゃた。  「でも……年

が明けた1月に、彼は亡くなってしまったの」と。

 笹本さんの人生で、真剣に自殺をしようとしたことが2回ありました、そこを抜

けて復帰できたのは友人、知人のおかげです、と。

 ヒントの四つ目は「絆」ということなります。 

 「好奇心・自律・恋心・絆」 の四つ(言)葉のクローバーです。


97歳という魅力。     

2012-09-13 19:32:16 | 中間詩的つぶやき

 知人のAさんが97歳になられ、以前からなにかプレゼントをと思っていた

ものですから、本屋の平台に 『好奇心ガール、いま97歳』 を見つけたとき、

表紙の写真家・笹本恒子さんの笑顔が目に飛び込んできたかと思いました。

 これにしなさい、と言わんばかりにです。

 

  Aさんは誕生日を迎える前に一人息子さんを亡くし、その後一緒に暮らし

ていたお孫さんも亡くなるなど身内に不幸が重なっていました。 そのなかを

ご自分の責任をはたすべきことには一切の尽力を惜しみませんでした。

 

 私にとって、生涯で「先生」と呼べる人は中学校時代の恩師とこの人しかい

ないと思っているのです。 このエネルギーはどこからくるのだろう、 そしてこ

のエネルギーを維持してもらうのにはなにが必要なのだろう、と思っている時

にであった本です。

 本の最後に 「最後までお読みいただき、ありがとうございました。 平成23

(2011)年9月 東京にて  笹本恒子」 とあります。 去年の今ごろ書かれて

いたのです。 笹本さんよりひとつ歳下の先生に 「現役写真家が語るしあわせ

な長生きのヒント」を贈りましょう。

 

 


おくのほそ道 秋風四句

2012-09-12 21:14:07 | 詩的なつぶやき

窓から風が入ってきません、夜の9時近くなっても暑いのです。 風さえあれ

ばという思いで、秋風の句を 『おくのほそ道』 から書き抜きします。

 一昨日、つぶやき的に “あかあかと~” を紹介し、併せて “塚も動け~” も

書き写しましたが、秋風四句としましたので、重複しますが四句とも書き写すこ

とにします。 そのうち窓から風が……ということになれば嬉しいのですが。

 

 岩波文庫版 『おくのほそ道』 <金沢>

  塚も動け我泣声(わがなくこゑ)は秋の風

   文庫脚注:塚よ我が心に感じて動け。一笑(加賀俳壇の有力者。芭蕉の

 来訪を待たず没、36歳)の死を悼む私の慟哭は蕭々と吹く秋風そのものだ。

  あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風

   同:初秋の夕日は、秋になったのも知らぬように照りつけ、残暑は一向に

  衰えを見せないが、さすがに秋風には涼しさが感じられる。

   <那谷>

   石山の石より白し秋の風  

        同:奇岩の重なるこの那谷寺の石は、近江の石山よりもさらに白く、折から

  白風と呼ばれる秋風が吹き渡ってあたりを一層清澄な気分にさせるのである。

    (あと略)

   <全昌寺・汐越の松>

   終宵(よもすがら)秋風聞やうらの山  

    同:病む身で一人で泊まった夜、さびしさに寝もやらず一晩中裏山に吹く秋風

   を聞くことである。

 

  お蔭さまで、なんとなく涼しくなってきました。 


『国会事故調 報告書』

2012-09-11 23:38:24 | せいじの政治カフェ

 「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」による報告書が発刊

されました。

 今日11日は東日本大震災1年6カ月、いまなお34万人が避難生活を余儀

なくされています。 一方、原発の現場では1~3号機原子炉圧力容器への注

水量が突然低下したり、圧力容器や格納容器の温度計が次々と壊れている

など今も危険が続いている状況のもと、報告書のもつ意味は私たちにとって大

変重要なものになっています。

 衆議院・参議院の両議長から任命された委員によって構成された委員会は

東京電力・事故当事者や政府(行政府)・事故関係者から独立した組織として

国家の三権の一つである国会の下で調査を行なったものであり、憲政史上初

めてのことでした。 

  報告書は、「福島原子力発電所事故は終わっていない」という一行から

はじまっています。 「事故は継続しており、被災後の福島第一原発の建物と

設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」とし、「この事

故報告書が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうことに強い

危惧を覚える」としています。

 政府が「事故収束宣言」をしたのは昨年の12月で、去る7月には大飯原発

が再稼働されました。

 

  国会の事故報告書に先行して発刊された事故報告書に『福島原発事故独

立検証委員会 調査・検証報告書』があります。この書が「原子力ムラ」の形成

過程を分析したあと、「原子力ムラの外部」=「一般国民【私たちのこと】」が「無

知・無関心」で貫かれ、その中に「安全神話」を築く土壌が作られてきた、と述べ

ています。

 現在私たちのなかに起きている「脱原発への運動」は、現実の生命への危険

と「無知・無関心」への反省からきています。

 「原発推進勢力」と対峙しつつ、運動をすすめるうえでこの二つの報告書は知

識・知恵の拠り所になります。