葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

富士山は見えなかったが……。

2015-12-21 23:09:23 | 葉山そして人

以前、葉山の海岸近くで富士山が見える所は、実は塩害の場所だよ、という話をつぶやきました。今日伺った所がそれです。

草取りは建物の周りの生い茂った雑草を刈ったのですが、残り半分は明日にしてということで二階でお茶。広い部屋20畳はあるでしょう、それが3部屋全面大きなガラス戸、その向こうは相模湾が一望、でも富士山は見えない、雲があるから。その話はしませんでした。

庭の草取り以外にもやってもらえますか、との話です。

昨年東京から引越してこられたそうです。息子さんは医者で東京の病院へ通う、その方が90歳のご婦人、自分の身の回りのことはやれるが、と言いつつガラス戸拭きを頼めないかとのこと。立ってガラス戸を開け、外側を指で触るとザラつきます。見えないが塩です。

ここはまだいい方、下はもっと酷いそうですと言われる、以前と違って雨戸を作らないからとも。

今年の夏、昨日行ったお宅からの帰り、この家の前を通りガラス戸全面の見事さにちょっと立ち止まって見たことを話しました。息子さんが時々綺麗に水で流しているとのことです、息子さんと相談して決めましょうと云うことになりました。

見る家と住む家では違う、家は見るものではなく住むもの。

見る富士山と登る富士山では違う、富士山は登るもの。いや、これは全然違う話でした。

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富士の見える筈の庭。

2015-12-20 16:50:47 | 葉山そして人

富士の見れる庭  とはここです。

 

この夏も富士山は見えませんでした、冬だからと期待したのですがこの通り、雲が邪魔をしています。写真ではよくわかりませんが肉眼では山容の一部らしいものは見えました。なかなか注文通りには見せてくれません。

夏の草刈りとは違い、半分の時間で終了ですので、明日見る、とはいきません。

ところが近くの家でも草取りをとのことで、急遽明日もこの付近にやって来ることに。その場所からは見えるかわかりませんが、少し動けば見える筈の場所に出られます。

晴れているだけではダメで、富士山のまわりに雲がないこと、これが見える条件です。 

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鎌を買う。

2015-12-19 22:14:27 | 葉山そして人

先日の「葉山のぞみ会」の席上で草取りを頼まれました。この夏に2日ほどかけてやった庭ですから何を持っていけばいいか分かっていたので、明日の仕事準備をはじめましたら鎌が無い。

畑仕事庭仕事の管理はkaeru夫人、聞くと壊れたといいます。やむを得ず買ってきたのが、これです。

子どもの頃、家には何時でも鎌はありました。葉山の家でも鎌の二三挺はいつでもあったのですが、壊れるようなものではないとは思いつつ明日の今日のことですので生まれて初めて鎌を店で買うという経験をしてきました。

それほど力を入れてつぶやくことでもないのですが、自分で買ってみて、こういう道具に対する愛着ということを考えます。小父さんの農作業を手伝う時、鍬とか鎌などどれも土など洗い流され刃に当たるところは光っています。子どもの頃、家のそばの畑仕事の後は井戸で遠い畑の場合は川で、縄をタワシ状にからめてこすったことを思い出しました。

小父さんの家では水道水ですから水道料が気になりながら洗いました。明日の仕事先の家は海岸近くです、海水で土を取り家で塩水を落とせばいいでしょう。

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「検索で振り返る2015年」

2015-12-18 23:04:48 | どこまで続くかこのブログ

Googleの検索を集約して今年どういうニュースが検索されたか、が出ていました。

順不同の様です。

すべての地域では、

パリ襲撃、スター・ウォーズ、火星での水の発見、ラクビー・ワールドカップ、●最長在位の女王、フォルクスワーゲン問題、●移民問題、●ライオン「セシル」、女子ワールドカップ、●イラン核合意、ギリシャ危機、チャイナショック、FIFAが直面する危機、ネパール地震、●クリケットワールドカップ、●亡くなったスターへの追悼、●2015年アカデミー賞、The Dress。

●はすべての地域にあって日本では出てこないものです。

以下は、すべての地域に無く日本に出てくるもの。

COP21パリ気候変動会議、日本の安全保障関連法案、中東呼吸器症候群。

「The Dress」とは、

この一枚の写真に7300万回以上のアクセスがあったそうです、「目を疑う」とのコメントがうなずけます。

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「てんがらもん」196回 リズム感を生きる力に。

2015-12-17 21:31:18 | 「てんがらもんラジオ」

 今回の番組は、「てんがらもん」196回 ゲスト 山田和子さん

Googleで「山田和子ジャズダンス」と検索しますと、この画面が出ました。

クリックすると拡大されます。  

多くの写真が見られますが最初のこの3枚が番組のなかで山田さんが話されたことを物語っているでしょう。

   

山田和子ジャズダンス教室は現在二十数か所に、生徒数600人を数えるそうです。私にはこの規模がダンス教室としてどの位のものか判断するものを持っていません。第一にダンスという名のつくものはフォークダンスを踊った位しか縁がない野暮天です。

しかし山田さんの話を伺い写真を見ているうちに、もし30数年前、山田さんがラジオ体操を抜け出しダンスを仲間と始めた頃、同じようなことを私のまわりで始めた人がいたら、と思うのです。たぶん自分のなかのリズム感に目覚めることができたのではないかと。山田さんのダンス指導はおどる楽しさ、自分が持っているリズム感を発揮する楽しさを共有するところにあると思います。

上の大きな写真に「幼児からシニア世代までジャズダンスを中心に指導」とあります。そして画面に「演歌リズムダンス」と名前が付いています。演歌のメロディーとリズムに心も体も浮きだす世代の人々はそのリズム感を引き出し、おどる楽しを味わいます。下の写真の左は女の子たちのダンスチームでしょう。いまは2才から85才まで全世代のまさに老若男女がリズム感をさまざまな形で発揮し、生きる力にしています。それらが一堂に結集したのが右の写真です。今年の8月21と22日にわたって鹿児島アリーナを1万人が埋めた画像ですが、入場無料と聞きました。

27名の参加者からはじめて30数年、自分がダンスが好きで好きでそれがまわりに伝わって今日に至った、とのことです。ダンスを知って欲しい!おどって欲しい!上手下手は関係ない。ここに山田ジャズダンスの真髄があると思います。ですからおどる喜びは身障者やダウン症自閉症の人たちとも共有できるものだと、その指導にもあたってこられました。

番組に出られての感想として「また呼んでいただきたい」と言われましたが、視聴者の一人として是非おいで下さい、と。前回のたもつさんや他のゲストの方々から今までも鹿児島に根を張りながら全国的に発信し続けている話が聞けました。山田さんのダンス教室もただダンスが好きだったからだけでは今日の発展はなかったでしょう。中崎局長の話に関連して事業活動の発展という面からのお話が伺えればという思いがしてます。

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美しい夕映えにふさわしく……。

2015-12-16 21:55:41 | 葉山そして人

店内から見た、夕日の沈む光景.(11月撮影) フランス語で「浜辺」という名のラ・プラージュは、神奈川県葉山町の静かな海、森戸海岸に面する南仏プロヴァンス料理をメイーンにしたお店です。晴れていれば、店内から相模湾を望み、江ノ島の遠くに富士山を眺めることができます。その夕焼けは、神奈川の名勝50選にものる素晴らしいものです。私たちスタッフは、その景色に負けないような料理を、皆様に楽しんでいただけるよう努めております。 それでは、ごゆっくりどうぞ。

この光景は「ラ・プラージュ」というお店のHPのコピーです。ここで「葉山のぞみ会」のクリスマス会兼忘年会を行ってきました。

挨拶をする会長の岡田さん、立っている方です。いま在籍会員は20名くらいでしょうか、今日は16名の参加。最高年齢92歳がお二人、平均年齢は80歳前半でしょう。ここへ来ると私は若い方で、そしてだいたい出席者中ただ一人の男性です。

例会と同様音楽療法士の方が中心になって進行されました。

 

この店で「のぞみ会25周年記念の集い」をやったのは2012年の秋でした。その時司会をしていたので締めの挨拶に「30周年もこのお店でやりましょう!」と言いましたので、今日もあと1年と10ヶ月経つと30周年です、みんなで祝えるよう元気で過ごしましょう、と一言。

 

この小冊子はその五年前に「のぞみ会二十周年記念号」として出したものです。

そこに私はこんなことを書いていました。《今年、七十才を迎えた自分にとって「自分の福祉」を托せる場としてこの会に期待し、同じような期待を寄せる仲間と共にこれからの十年を「自分たちの福祉」の拠点としての「のぞみ会」づくりに参画したいと思います。》

この「思い」とは随分かけ離れた8年間でした、これを機に「若い会員」としてまずは30周年に向けて気張らねばなりません。今日のタイトルをなんとしたらと思いましたらお店の写真です、このような夕映えをお互いの光景にしたいと思いつつ……。

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去る者は日々に多し。

2015-12-15 22:19:33 | どこまで続くかこのブログ

「去る者は日々に疎し」という「余裕」もなく去っていく人が……。

今日は右隣のご主人の葬儀、とはいえ身内だけとのことでしたので玄関先でご挨拶だけしてきました。今年は中学時代の同窓生の喪中葉書がないと思っていたら、御主人が11月に亡くなったので、の葉書が届きました。

小父さん宅へ、奧さん(妻の従姉妹)の月命日で夕食を共にして来ました。何時迄も一人暮らしというわけにはいかない、この年明けが葉山で過ごす最後の正月か、というような会話、私たちの身辺から去ろうとしている一人です。息子さん家族にはお嫁さんのご両親が同居しているそうです。そういう場へ行かざるを得ないという思いは、すすんでという気持ちにはなれないでしょう。

以前もつぶやきましたが、80歳近くになったお陰で多くの人の死や境遇変化を見聞きすることが出来ます。若ければそれらは少し距離を置いたものとして映っていたものですが、今は掌を見るように見えてきます。

それはある意味ではこの年代の「特権」とも言えるのではないでしょうか。特別の権利を誰に対して主張するのか、自分の生きてきた「過去」に対してでしょう。積み重ねてきた80年前後の歳月を踏まえて「現在」がある以上「終焉」もその延長にあるわけですから、去っていく多くの人々を通じて「現在」という時間を深めることができる人生のなかで得難い時間を受け取っているのです。

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季語解説。

2015-12-14 21:48:37 | kaeruの五七五

一月の句会の兼題を昨日紹介しましたが、あわせてその解説と例句を載せておきます。何れも主宰の書かれたものです。

 くだら野・朽野  

もとは百済野と書いて地名であったが、それを朽ちた野の意味の朽野と誤読したことから、樹木や草花の枯れ果て、荒涼とした冬の野の意として定着した。枯野とどう使い分けるか、力量が問われる季語。

     朽野の雀とならばたのしからう      大石悦子
     くたら野や人を喰ふと鳴く烏        一茶

   寒声  

寒声つかう(かんごえつかう)、声つかう。厳しい寒中に咽喉を鍛えるといっそういい声が出るというので、夜間や早暁に寒風に吹かれながら発声の練習をする。声楽家、僧の読経の修業のほか、声を職業とする人たちが発する声には気合が籠り、聞くものの心まで緊張感が伝わる。


      寒声に嗄らせし喉を大事かな      高浜虚子
      寒声を使ふ始めは低うして         藤本美和子

  枯柳  

枯れたつ柳、冬の柳、柳枯る
葉が散りつくして、幹と枝だけになった柳である。柳は古来、四季それぞれに愛でられ、詠われてきたが、堀端や川べりで、あるいは商店街やオフィス街で裸になった枝が寒風にしなうさまは、とりわけ冬らしい風情がある。都会において見出させる美である。

      枯柳更けてネオンに触れ易し     山田 佐人
      烈風に入日汚れぬ枯柳        川越苔雨

 

くだら野と枯野の使い分けに作句の力量が問われると書かれていました。では、枯野についてはどう解説されているか、俳人・長谷川櫂さんの解説を紹介します。

《 草も枯れ果てた冬の野原。花も紅葉もいつの間にか消え去って、枯草が風に寂しい音を立てる。枯野が盛んに詩歌に詠まれるようになるのは中世以降である。〈 見ればげに心もそれになりぞ行くかれのの薄有明の月  西行〉。歌人たちは荒涼たる枯野にのちの「わび」「さび」に通じる美を見出した。華やかなものこそ美しいと考えた古代の美意識がここで一大転換をとげる。枯野は植物の命が衰退へと向かう局面であるが、春にはここから新しい命が芽生える。》

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十二月の五句。

2015-12-13 22:43:12 | kaeruの五七五

パソコンが縁での句会に出はじめて十年くらいになります。ここ二年ほど休んでいたのですが、句集を出すことをきっかけにまた出席しはじめて丸一年になったでしょう。先日会費納入状況を見ましたら7人中無欠席が二人、その一人がワタシ!かなり真面目になったものだと密かにほめてやりました。

休んでいる間に約束を忘れていたことに気付きました。毎月三題づつ兼題(読み込むべき季語)が出ていて何れか一ツ以上は読み込んで出すことをになっていたのでした。12月はそれに気付き、冬日・襖・海鼠の三つとも読み込んで当季雑詠の五句の八句を出しました。

句会での成績は芳しからず、主宰の講評も参考に推敲の結果の五句です。

  落葉踏む喪中葉書二枚持ち

  冬日差す木目の卓ヘ句集置く

  襖開け朝の日差しをその先へ

  廃屋にあらず点るや秋の夜

  あの世にも賀状書こうとふと思ふ

 

一月の兼題は「くだら野 または 朽野・寒声・枯柳」。

どう詠み込むか、出来てのお楽しみというところです。

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言葉の発信者としての「個」

2015-12-12 21:57:37 | 「てんがらもんラジオ」

昨日案内しました錬心館のHPにたもつゆかりさんのお父さんで少林寺拳法道場錬心館の開祖・保勇さんの次の言葉が示されています。

  “より健全な社会の建設は、健全な個の形成より始まる”

そして、墨痕鮮やかに、

   “ 一年先のことを思いては花を育て

         十年先のことを思いては木を育て

                百年先のことを思いては人を育てる ”

この言葉は番組でもゆかりさんから紹介されていました。


ゆかりさんは、人間は発信者であり続けようとするものだと言われましたが、発信の手段は主に言葉だと思います。だとすれば個としての私の発する言葉が社会の健全さにつながっているのか。そのような意識をもって発信せよ、ということであろうと受けとめました。

発せられる言葉は意識しようとしまいとにかかわらず、社会に活きるものであり社会を形成する一部になっていくものだからです。

先の「一年花、十年木、百年人」に因んで言えば、

” 一年先の花、十年先の根、百年先の土 “とも言えるでしょう。私の発する言葉が良き土となる根でありたいと思える様になりました。

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