葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「てんがらもん」195回 言葉の力。

2015-12-11 21:42:27 | 「てんがらもんラジオ」

昨日たもつゆかりさんのお父さんの保勇さんについてWikipediaを案内しましたが、保勇さんが創り育て現在は息子さんが指導している空手道場・錬心館のHPをご覧ください。私は少林寺拳法はもちろん空手道そのものに不案内ですが、ゆかりさんのお話を通じてお父さんの意志とか武道精神とかがお話の根底にあると思いました。

錬心館のHPはこちらです。➡︎  http://www.renshinkan.org

聞き終わって一日経ちました。心に残っている言葉で感想を述べたいと思います。

「自分自身の人生を自分の足で確かに踏みしめてみたいと思います」ゆかりさんが長女の恵さんを出産し、母親であると同時に一人の社会人として働こうとした時公立ではゼロ歳児保育が実施されていませんでした。当時民間保育園を経営していた村永さんの「よい子の家」との出会いです。この言葉は「よい子の家」10周年記念文集に寄せられたものでゆかりさんの決意とも読めます。

そういう決意を育んできたであろう言葉、「勇躍せよ!突破せよ!汝男なれば、いや、女でもそうなんだよ。」小さいゆかりさんを膝に抱きながら、語りかけてくれたお父さんの言葉、ロマン・ローランの詩だそうです、同じくお父さんの言葉から、「ここという時は啖呵を切るときがあるんだよ、その時は絶対負けてはいけない!」武道家として少林寺拳法道場を立ち上げ一家をなしたお父さん自身がその人生を通じて自分のなかで繰り返して来た言葉でしょう。ゆかりさんのお話はその流れのなかにおくことで理解が深まります。

現在91歳のお母さんは認知症の症状をもっています。「母はありがとうが口癖、そして何か私に出来ることはないかね、と言う。この二つはセットになっているのです。人間はサービを受け取るだけではない、自分から発信者であり続けるのです。」また、「歳月は優しいものだ、豊かに忘れさせてくれる」と言われました。一般的にいう記憶を失っていく姿です。

ゆかりさんのHPによると、現在男女共同参画事業を中心として鹿児島のみならず全国的に活動されています、娘さんの恵さんも一緒に。話の全体を通して現在の活動のあり方にゆかりさんの父母と娘さんに村永さんと「よい子の家」が深く関わっていることが分かります。次の機会には恵さんの目から見たゆかりさん、祖父母、それにチー先生についての話を聞きたいと思います。

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「てんがらもん」195回 案内。

2015-12-10 20:54:03 | 「てんがらもんラジオ」

今日一日中野暮用で費やし視聴し終わったばかりかでつぶやく時間がありません。というより内容が豊かで狭い頭に溢れかえりまとまりません。番組で認知症の症状に関して「豊かに忘れさせてくれる」という言葉になるほどと思いつつ、しかし人生の芯になるようなことは決して忘れないものだという思いもしました。

そんな芯にもなるような話も含まれています、時間もとってまとめたいと思います。

番組はこちらで➡︎  「てんがらもん」195回  ゲスト  たもつゆかりさん

ゲストのたもつゆかりさんについては、

http://office-pure.com/?page_id=29

ゆかりさんのお父さんの保勇さんについては、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/保勇 

話の背景がわかるかと思います。

 

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「郷土の歴史 上田城」上田城余話その1

2015-12-09 21:05:49 | 信州、なかでも上田。

昭和19年戦火のおよぶ東京から母方の縁を頼って上田に疎開してきて、高校卒まで言うなれば少年時代の舞台であった上田ですが、特にその町の歴史を学んだこともなく、上田城について特別に知識を持っているわけでもありません。

今回の大河ドラマは良い機会で「kaeruのつぶやき」の一部として続けてみたいと思います。その道案内として「郷土の歴史  上田城」は格好のテキストです。

本の目次を紹介しておきます。大きく分けて、

Ⅰ、上田城の歴史    Ⅱ、 上田城の概要  Ⅲ、歴代上田城主  Ⅳ、上田城余話

 となっています。こう分けられた場合「余話」という部分がだいたい面白いものです。

その面白そうな部分から、

真田昌幸の命名になる「上田・上田城」

今の上田市街(大字上田・常入・常磐城)一帯は、上田城が築かれる以前の中世には、常田庄(ときだのしょう)と呼ばれる地域であった。(略)つまり、この城は通例のように、その地名をとって上田城と称されたわけではなく、「上田城」「上田」という地名自体が、真田昌幸の命名になったものと考えられるのである。

いずれにしても、常田の地は真田氏の家臣化した常田氏の代々の本拠地であった。昌幸はこの地に、小県郡支配の中心とすべく、自己の居城を築き上げたわけであるが、その城名としては、常田氏の旧領としてのイメージの強い常田は避けようと考えたのであろうことは、想像に難くない。

なお、常田を改め上田としたわけだが、城主は真田氏であり、その北上州における本拠地も沼田であった。いずれも「田」がつくが、これは全く偶然とも考えにくい。新しい居城の命名にあたっても、やはり田の字にこだわったものではなかろうか、ともかんがえられるのである。

ところで、松本は古くは「深志」と呼ばれていたことは、よく知られている。それが松本という名でよばれるようになったのは、天正10年(1582)に小笠原貞慶がここに入部して、深志城を改めて松本城と命名したことに始まったとされている。これは、真田昌幸による「上田」築城と、ほぼ同時期のことだったのである。

ちなみに、中世の上田庄は別にして、「上田」地名が見える最古の史料は、文禄4年(1595)正月の豊臣秀吉朱印状(『淺野家文書』)である。この文書は、秀吉が草津温泉に入湯しようとしたおり、配下の諸将に路次の諸城の城番を命じた文書であるが、そのなかに「上田  さなた安房守(昌幸)居城」も見える。これが戦記書などを除く根本史料における、今に続く「上田」地名の初出ということになる。

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「郷土の歴史 上田城」

2015-12-08 22:34:37 | 信州、なかでも上田。

この本は昨年上田城を訪ねた時買っておいたもので、パラパラめくったあと積ん読にしてあったのですが、ここ数日幸村や上田藩に関する物を手にしていたので、文字通り積まれていた本の下から持ち出しました。

他の物と違い横書きの左開きです。上田市立博物館発行の「郷土誌シリーズ」の第19になり昭和63年3月31日第1刷、これは平成22年3月31日の第6刷です。いかにも「お役所」の刊行物らしく「年度刊」と記されています、この本は昭和62年度刊です。定価が記されていません。ISBM番号も記されていませんから本屋に出回るものではありません。上田城に行かなければ手に入らないというわけでしょうか。

今年から来年にかけて上田城へは多くの人が訪れるでしょう、上田城を知る手ごろなテキストとして普及してもらいたいものです。内容については明日すこし触れたいと思います。

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首実検。

2015-12-07 21:16:24 | 信州、なかでも上田。

小林計一郎著『真田幸村』によると、大坂夏の陣で戦いが終り真田幸村の首は、戦場で家康の実検に供されたとのことです。その時三人の武将の首が家康の元に差し出されました。

三つの首とは真田幸村、御宿監物、大野道犬(治胤)です。幸村の首のひたいに古い疵があったので、幸村の叔父に当たる真田信尹(のぶただ)を呼んで、「幸村に間違いないか」と尋ねた。信尹は「幸村の額に疵があったかどうか、はっきり覚えておりません」と答えた。「去年、お前を幸村の許に遣わしたのに、面会して来たというのはうそか」、「夜行きました上に、幸村が警戒して遠くに座していましたので、よく見えませんでした。」信尹はけっきょく幸村の首を確認できなかったのです。

御宿監物は若いころ家康に仕えていたので家康はその顔を知っていて、「御宿めも歳をとったものだな」といい、最期のようすを尋ねた。討ち取った野元右近は「なぜか手向いしませんでした」と答えると、家康は野元をほめて帰らせた。あとで「御宿の若い時なら、野元などに首をとられることはなかっただろうに」といった。

さて、不思議なのは大野道犬の首。道犬は落城後十三日目の二十日に京都で捕らえられている。そうすると、八日に家康の実検に供された首は何だろう。家康側近の記録『駿府記』に、「戦場に於いて首実検、真田左衛門佐首・御宿監物首・大野道犬首、越前少将より持ち来る」とあるから、松平忠直の許から大野道犬の首だといって届けられたことは間違いない。ところが、当人は生存しているのだから、この首はニセ首に違いない。御宿の首は家康が知ってる者だったから問題ないが、真田の首もあやしいということになる。

また秀頼の死体も確認されたわけではないから、秀頼が幸村らを連れて逃げたという噂が早くからたったわけである。

以上、小林計一郎著より、太字はkaeru。

 

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鬼のようなる真田……。

2015-12-06 22:47:24 | 信州、なかでも上田。

   花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退きものいたよ加護島ヘ 

 

手元にある『真田幸村』(小林計一郎著  新人物往来社 昭和54年発行)にこんなことが書かれています。

《 幸村が秀頼に随行して薩摩へ落ちのびたという噂は早くからあったらしく、「花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退きものいたよ加護島ヘ」と京童部(きょうわらべ)に歌われたという。平戸商館リチャルド・コックスが、翌元和二年(1616)二月、英国東インド会社に送った手紙に「ある者は、彼(秀頼)が逃れて薩摩あるいは琉球にいると信じています。」と書いている。

《 さて、大阪落城後、鹿児島の南一里半ほどの谷山村(いまの谷山市)へ、どこからともなく浪人が来て住みついた。島津氏から居宅を造り与え、日常の費用も与えて、何不自由ないようにしておいた。この浪人、酒が好きで、いつも酔っぱらい、髪を乱し、あらぬことを口走って、あちこちふらついて歩いていたが、領主から特別に保護されているのだから、誰も危害を加えなかった。同じころ、薩摩の浄門ガ嶽の麓にも、風来の山伏が住みつき、また加治木浦(加治木町)にも浪人が来住して、この三人は時々打ちつれていることがあった。谷山にいたのが秀頼、山伏は真田幸村、加治木の浪人は木村重成で、秀頼の子孫は木下姓を称し、重成の子孫は木村姓を称しているという (『採要録』)。後藤又兵衛・薄田隼人なども薩摩に逃げたという。》

《 『真田三代記』には、幸村は薩摩へ逃げた翌年、長年の辛苦がたたって何度も血をはき、秀頼らの手厚い看護のなかで死んだという劇的な話になっている。》

 

話として大変面白いです。源義経が生きのびて大陸に渡りギンギスカンになったという話に類することでしょう。鹿児島の地名も出てきてもっともらしいのが更に面白くしてます。「てんがらもんラジオ」で向井さんから話を聞けるといいのですが。

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続・いざ!「真田丸」へ

2015-12-05 20:32:57 | 信州、なかでも上田。

上田城築城から明治維新まで288年間のうちわずか40年間の城主真田氏が上田を代表しているのは何故か、その理由を三つ上げていると本を紹介しながら書きました。その理由とは、と述べるまえに本と執筆者を紹介します。

あらためて書名は「第ニ期  物語藩史 第三巻」でここには新発田藩、長岡藩、上田藩、小諸藩、諏訪藩、飯田藩、郡上藩がおさめられています。出版社は「人物往来社」で上田藩の執筆者は横山十四男氏、昭和41年6月の発行です。

横山十四男氏の著書を、以前紹介したことがありました。

ここです👉 2014年7月12日「続  平林堂という本屋」

その本・『上田藩農民騒動史(増補新版)』(1981年11月発行)によると「1925年上田市に生まれ、旧制上田中学校、東京文理科大学日本史学科卒業し中学校高校教諭を経て大学助教授」とあります。

それでは「その理由の第一には」からはじめます。

《 真田氏が上田・小県(ちいさがた)の地元の土豪から成長した大名で、上田築城とその領域支配の基礎がためをした。

《 第二には、戦国末期、武田氏滅亡後の混乱期に真田氏が上田・沼田(群馬県)地方に独立小王国を形成して、隣接する上杉・北条・徳川などの大勢力に伍して、一時万丈の気を吐いたこt、それに加えて関ヶ原合戦のさい、昌幸・幸村父子は、東軍の勢力下に塗りつぶされた甲信越地方にあって、孤塁上田城に拠って西軍にくみし、徳川秀忠の中山道軍に敢然としてたち向かったこと。その時しかじかの軍功をたてた某(なにがし)が我が家の祖先である、と称する旧家が今なお当時の感状を保存して上田・小県地方の各地に散在している。

《 第三には、関ヶ原役後、追放され牢人となった幸村が、大阪の陣には、入城して豊臣方の有力武将となり、徳川勢をさんざんに悩まし、いくどか家康の心胆を寒からしめたうえ、壮烈な戦士を遂げていること。

さて、この第三のところが今回の「真田丸」に当たるところです。大河ドラマではどういう話になるかわかりませんが、伝説によれば幸村は生きのびて秀頼をまもり薩摩へ逃れた、ということです。なお、秀頼ファンの大阪岸和田ではだんじりに秀頼と幸村を彫り込んだものがありました。

信州・上田ー大阪ー(広島を通って)ー薩摩へ、という物語になるかも。

 

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いざ!「真田丸」へ

2015-12-04 21:59:42 | 信州、なかでも上田。

上田の兄からお歳暮に贈られてきたリンゴです、紹介したいのはリンゴではなくこの箱の文字、「真田幸村の郷」そして六文銭の旗印です。

毎年贈られてくるのですが、時には葡萄であったりしますがこの文字と旗印を印した箱ははじめてでしょう。言うまでもなく来年というより来月から始まるNHK大河ドラマ「真田丸」にあやかっての上田産の売込みです。

こういう時、不思議と縁のある本に出会うのですが、昨日手にしたのはこれです。

いつも立ち寄る古本屋ですが、三歩店に入って目の前にありました。このなかに上田藩があります。そこにこんなことが書かれています。

《 真田昌幸の上田築城から、明治維新の版籍奉還まで二百八十八年を限ってみれば、真田氏が上田城主であったのは、その初頭四十年間だけであって、ついで入封した仙石氏の八十五年、松平氏の百六十余年にくらべればはるかに短い在城期間であった。それにもかかわらず、真田氏といえば上田、上田といえば真田氏として有名になり、たんにマスコミのうえだけではなく、地元の人びとの意識の中においても真田氏の影響がもっとも大きいというのは何故であろうか。》

何故でしょう? その理由はとして三つあげられています、その紹介は明日にします。

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「てんがらもん」194回 良い写真とは。

2015-12-03 20:54:06 | 「てんがらもんラジオ」

今回の番組はこちらです👉  「てんがらもんラジオ」ゲスト 写真家 熊副穣さん

番組が終わってインターネットで「写真家 熊副穣」を検索してみました。これは熊副さんが番組に出ることをご自分のブログで紹介されたものです。

そのブログは、「熊さんの部屋」 です。ブログがgooでしたので「読者登録」をしました、先客が一人、村永さんでした。

さて番組が終わってからの話ではじめてしまいましたが、熊副さんの話を聞きながら私が思い浮かべていた写真があります。数年前鎌倉で開かれていた写真展で見たものです。この写真展はデジカメ愛好者の団体の開いているものですから作品の多くは素人の写したものでしょう、中には団体を指導する写真家の作品があったかもしれませんが、私はその区別さえできない鑑賞眼しか持っていません。

ただそのなかに今でも印象に残っているものがあります、モノクロの二枚。二枚とも老人の顔写真で男と女が各一枚づつ、年齢をいえば90歳を過ぎているでしょう。それぞれ笑顔と言える表情とシワのよった面が巧みにマッチして見ている私の気持ちに入り込んでしまいました。自分も90歳台になったらこんな表情になっていたいものだと思ったもので、あらためて自分のなかにイメージとして収めなおしました。

番組で熊副さんが写真家として言われた、どんなものがいい写真か、撮った人の感動が見る人に伝わるもの、の言葉が私を納得させます。熊副さん自身が志布志湾の石油備蓄基地設置に対する漁民の反対運動に魅せられ、動いていく社会のなかで人々の暮らしはどうなっていくのかにレンズの焦点が当てられていくのです。

心臓の病から大手術をされたそうです、それでも「くたばるまで写真家として写真の現場にいたいという願望」を語られました、この言葉も私の心に響きます。そういう気力は写真におけるリアリズムの精神に立脚しているのではないでしょうか。

熊副さんがいい写真とは感動が見る人に伝わるもの、といわれましたがそれは放送にも通じることだと納得した番組でした。

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郷土とは……。

2015-12-02 22:37:13 | つづきの海を はろば...

このブログで紹介しました逗子の郷土史家・黒田康子さんです。

先月の7日付「朝日新聞 神奈川版」で、今日逗子での集まりで見せてもらいコピーしてきたものです。「郷土とは」という部分だけ記しておきます。

《 郷土とは自分の生活の場、死に場所である。郷土史とは名所旧跡を宣伝して町おこしに使われる手段だけではなく、我々庶民が現在までこの国をどう生きてきたかを知り、永久平和に近づく手段を模索する学問である》

関連して葉山郷土史研究会で古文書の手ほどきを受けた柳川さんの言葉です。

《 国や政治の歴史ではない。武士や名主とも違う、農民、庶民の姿を追うことの大切さを教えられた。》

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