山種美術館で「百花繚乱―咲き競う花々」展を観て来た。
http://www.yamatane-museum.or.jp/html-exhibiton/ex414.html
山種美術館の日本画所蔵の懐は深い。明治以降の日本画家作品が多いのだろう、という期待をちょっと嬉しく裏切ってくれた作品もあり、画題の花々とともに大いに楽しめた展覧会でもあった。「花」は琳派以来の日本画家の得意とする画題である。写実を踏まえた装飾性を持つ造形とその微妙な色彩表現が、伝統の日本画家から現代の画家に至るまで、各々の画家たちによる多様な花々を百花繚乱と咲き競わせることになったような気がする。
さて、今回の展覧会の色彩絢爛たる花々の中に一際清楚な存在感を醸し出している速水御舟の「白芙蓉」と「牡丹花(墨牡丹)」を見つけた。以前「速見御舟展」を観た時、水墨画的なモノクロの花々に惹かれたことをBBSにも書いたことがある。その2作品が御舟作品の中から特に選ばれて展示されていたことが納得であり嬉しくもあった。
また、意外にも酒井抱一の「秋草」がさり気に展示されており、縦長の画面下方に瀟洒で可憐な秋草、上方に仲秋の名月を配置し、なにやら虫の音が秋風にのせて聞ゆる心地さえした。この江戸琳派復興の立役者酒井抱一の弟子である鈴木基一「四季花鳥図」も今回の見所のひとつであった。この作品は師匠抱一の「夏秋草図屏風」(尾形光琳「風神雷神図屏風」の裏面作品)を意識している作品のように思えるところがある。基一の「四季花鳥図」(2曲1双)左は秋の花鳥図で、秋草の根元右には抱一作品にも観られた琳派特有の流水が描かれている。ところがである、琳派好きの私が何故かこの作品には江戸特有の過剰な造形的重ったるさを感じてしまったのだ。私的に言えば、抱一作品には感じられる季節の風が吹いて来ない。あ、もちろん花耀亭は絵画ド素人なので勝手なことを言っているだけである(汗)。
琳派と言えば、近代美術館「RIMPA展」でも明らかな琳派傾倒ぶりを見せていた川端龍子の白燕子を描いた作品が展示されていた。出展目録を見ると「花の袖」だろうか?尾形光琳の鮮やかな濃青の「燕子図屏風」へのオマージュのようにも思える作品で、たっぷりした胡粉の白が緑色の葉の間から燕子の花弁を立体的に浮き上がらせ、白花弁の放つゴージャス感と存在感は見事だった。
ところで、今回の展覧会で一番魅了された作品はと言えば、何と言っても福田平八郎「牡丹」屏風であった!靉靆たる朝靄にたわわに浮かびあがる牡丹、或いは夕闇に沈まんとする牡丹…画面から幽玄な妖気さえ漂う圧倒的魅力を持つ不思議な作品である。
牡丹芳し、牡丹芳し、
黄金の蕊は綻ぶ、紅玉の房。
千斤の赤英、霞、爛爛、
百枝の縫焔、燈、煌煌。 (白居易『牡丹芳』より 「全唐詩 巻三」)
画面一面に咲き誇る絢爛たる牡丹は意表を突くように、後年の福田の平明な線描と色彩からは想像できない繊細で華麗ながら暗く霞む靉靆たる表現である。牡丹の花弁の透けそうな柔らかさを微妙にトーンを抑えた色調で幻想的に描き出し、褪色した薔薇色を髣髴するその色相は、日本的でもなくましてや中国的でもない、どちらかと言えば西洋風の甘さを加味した幽玄世界を創出している。牡丹と言う中国的な素材を西洋的な色彩感覚を取り入れた日本画として描いたような気がする…などと見ながら、不思議だが、もしかして福田平八郎の若描きの気負いではないかとも感じた。しかし、画面から立ち上る圧倒的な牡丹の妖気は観る者を魅了せずにはおかない。画家の気迫であろうか?
今回の「百花繚乱―咲き競う花々」は私にとって日本画家のお家芸である「花」の諸相(どう捉えどう表現したか)を伺える良い機会だったような気がする。もちろん、それぞれに美しくそれぞれに味わい深かったが、そんな花々の咲き誇る中でひとときの夢のような世界に浸ることができたのもまた喜ばしいことであった。
http://www.yamatane-museum.or.jp/html-exhibiton/ex414.html
山種美術館の日本画所蔵の懐は深い。明治以降の日本画家作品が多いのだろう、という期待をちょっと嬉しく裏切ってくれた作品もあり、画題の花々とともに大いに楽しめた展覧会でもあった。「花」は琳派以来の日本画家の得意とする画題である。写実を踏まえた装飾性を持つ造形とその微妙な色彩表現が、伝統の日本画家から現代の画家に至るまで、各々の画家たちによる多様な花々を百花繚乱と咲き競わせることになったような気がする。
さて、今回の展覧会の色彩絢爛たる花々の中に一際清楚な存在感を醸し出している速水御舟の「白芙蓉」と「牡丹花(墨牡丹)」を見つけた。以前「速見御舟展」を観た時、水墨画的なモノクロの花々に惹かれたことをBBSにも書いたことがある。その2作品が御舟作品の中から特に選ばれて展示されていたことが納得であり嬉しくもあった。
また、意外にも酒井抱一の「秋草」がさり気に展示されており、縦長の画面下方に瀟洒で可憐な秋草、上方に仲秋の名月を配置し、なにやら虫の音が秋風にのせて聞ゆる心地さえした。この江戸琳派復興の立役者酒井抱一の弟子である鈴木基一「四季花鳥図」も今回の見所のひとつであった。この作品は師匠抱一の「夏秋草図屏風」(尾形光琳「風神雷神図屏風」の裏面作品)を意識している作品のように思えるところがある。基一の「四季花鳥図」(2曲1双)左は秋の花鳥図で、秋草の根元右には抱一作品にも観られた琳派特有の流水が描かれている。ところがである、琳派好きの私が何故かこの作品には江戸特有の過剰な造形的重ったるさを感じてしまったのだ。私的に言えば、抱一作品には感じられる季節の風が吹いて来ない。あ、もちろん花耀亭は絵画ド素人なので勝手なことを言っているだけである(汗)。
琳派と言えば、近代美術館「RIMPA展」でも明らかな琳派傾倒ぶりを見せていた川端龍子の白燕子を描いた作品が展示されていた。出展目録を見ると「花の袖」だろうか?尾形光琳の鮮やかな濃青の「燕子図屏風」へのオマージュのようにも思える作品で、たっぷりした胡粉の白が緑色の葉の間から燕子の花弁を立体的に浮き上がらせ、白花弁の放つゴージャス感と存在感は見事だった。
ところで、今回の展覧会で一番魅了された作品はと言えば、何と言っても福田平八郎「牡丹」屏風であった!靉靆たる朝靄にたわわに浮かびあがる牡丹、或いは夕闇に沈まんとする牡丹…画面から幽玄な妖気さえ漂う圧倒的魅力を持つ不思議な作品である。
牡丹芳し、牡丹芳し、
黄金の蕊は綻ぶ、紅玉の房。
千斤の赤英、霞、爛爛、
百枝の縫焔、燈、煌煌。 (白居易『牡丹芳』より 「全唐詩 巻三」)
画面一面に咲き誇る絢爛たる牡丹は意表を突くように、後年の福田の平明な線描と色彩からは想像できない繊細で華麗ながら暗く霞む靉靆たる表現である。牡丹の花弁の透けそうな柔らかさを微妙にトーンを抑えた色調で幻想的に描き出し、褪色した薔薇色を髣髴するその色相は、日本的でもなくましてや中国的でもない、どちらかと言えば西洋風の甘さを加味した幽玄世界を創出している。牡丹と言う中国的な素材を西洋的な色彩感覚を取り入れた日本画として描いたような気がする…などと見ながら、不思議だが、もしかして福田平八郎の若描きの気負いではないかとも感じた。しかし、画面から立ち上る圧倒的な牡丹の妖気は観る者を魅了せずにはおかない。画家の気迫であろうか?
今回の「百花繚乱―咲き競う花々」は私にとって日本画家のお家芸である「花」の諸相(どう捉えどう表現したか)を伺える良い機会だったような気がする。もちろん、それぞれに美しくそれぞれに味わい深かったが、そんな花々の咲き誇る中でひとときの夢のような世界に浸ることができたのもまた喜ばしいことであった。