国立新美術館で3月24日から開催予定だった「カラヴァッジョ《キリストの埋葬》展」が中止になった!!
https://www.nact.jp/exhibition_special/2020/caravaggio2020/
「この度の新型コロナウイルス感染症が拡大している状況を受け、バチカンからの作品輸送が困難なため、本展覧会の開催は中止とさせていただくことが決定いたしました。開催を楽しみにしてくださった皆様には、ご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。」(国立新美術館サイト)
カラヴァッジョ《キリストの埋葬》(1603-04年)ヴァティカン絵画館
本当に残念だけど、仕方がないと思う...。
悲しいです…
本当に悲しいです....(涙)
ただ、こちら長野県から、首都圏へ行くのも難しいので、しょうがないですね。
またの機会があれば、と待っておきます。
中止は本当に残念でしたが、しかたないですよね(>_<)
現状、首都圏に行く困難さは仙台も同じで、なんとか諦めもつきます。
たかさん、コロナ終息後に、またきっと機会がありますとも!!
https://www.shogakukan.co.jp/books/09682359
3/24~に予定されていたキリストの埋葬展に合わせた出版だそうですが、展覧会が中止となっても予定通りの日に発売されるのでしょうか。
日本美術でも原寸大の画集は(仏像も含め)よくありますが、大体は週刊〇〇といった薄っぺらな本が多いようです。今回の本はかなり本格的なもののようなので期待できそうです。小学館の週刊西洋絵画の巨匠38カラヴァッジョ(2009年)には聖マタイの召命の中央の人物2人の顔だけ原寸大で出ていますね。洋書では、Electa QuadrifolioのCARAVAGGIO(Stefano Zuffi、Milano 2000年)という4つ折りの絵を28点収録した本が(原寸かどうかは分かりませんが、)かなり大型の図版を掲載しています(数年前に神田古本祭で千円ぐらいで購入)。Taschenの大型本も一部ですが原寸に近い大きさのようです。これらの図版と比べて、今度の本はどうでしょうか。
展覧会中止でも、多分、出版されるのではないでしょうか?? 私的には原寸をどのように本に収めるのかが興味津々です。
で、実は昔、私もRizzoli版の四つ折りQuadrifolio(CARAVAGGIO)を持っていたのですよ。(引っ越しで紛失しましたが(^^;)
むろさんさん、小学館版に期待したいですね(^_-)-☆
石鍋真澄「カラヴァッジョの聖マタイ伝連作をめぐる二、三の考察」成城大学 美學美術史論集 第22輯 2020年3月
https://www.seijo.ac.jp/graduate/falit-grad-school/art-study/academic-journals/jtmo4200000067sk-att/a1592463147282.pdf
https://www.seijo.ac.jp/graduate/falit-grad-school/art-study/academic-journals/
この中で論じられているテーマの一つ、聖マタイ連作の制作順序に関しては、同じ石鍋氏が以前に出した著書「ありがとうジョット」(吉川弘文館1994、再版2009)でも書かれています(既にお読みになっていると思いますが)。今回の論文掲載の「美術史研究者の反省点」などについて、多少のニュアンスの差もありますので、比べてみるとより理解できると思います。
なお、ついでながら上記アドレスの美學美術史論集第22輯には、同大学の喜多崎氏(フランス絵画やラファエル前派など近代絵画史専門)による「石鍋教授退任に寄せて」の一文もあり、石鍋氏の「イタリア愛」がよく分るので、ご興味があれば合わせてどうぞ。また、「ありがとうジョット」は2009年の再版の方が岡田温司氏の後書き「イタリア美術に贈られた感謝状」が追加されていて、石鍋氏のイコノロジーに対する距離感やカラヴァッジョ神話等に対する研究態度を分かりやすく解説しているので、読み直すなら2009年版がお勧めです。
特に《マタイの召命》の論考には私も頷けるものがあります。そして、「われわれは意識するにせよしないにせよ、無知と思い込みや偏見に満ちており、見たいように絵を見てしまいがちだということを忘れてはならないだう。」という結びは、美術ド素人の私にも自戒すべき言葉として心に響きました。
「石鍋教授退任に寄せて」では、本当に石鍋先生の「イタリア愛」がわかりますね!! 講演会でのお姿を彷彿しました(^^)
「ありがとうジョット」はかなり前に私も読んでいましたが、2009年の再版の方で読み直してみますね(^^ゞ
むろさんさん、本当にいつも貴重な情をありがとうございます!!
で、「芸術新潮」3月号のフィリピーノ・リッピとマエストロ・ボッティッチェリ登場に、むろさんさんの世界だ!と思いましたです(^^ゞ
https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3812&item_no=1&page_id=13&block_id=17
日本美術の例で鎌倉時代の仏像の目に水晶を入れる「玉眼」について、以前は写実主義という説明がされていましたが、現在これは否定され、真の仏様=生身仏(しょうじんぶつ)を現わすためと考えられるようになってきました(写実主義というのは近代の美術作品に対する言葉)。私がランドウッチの日記や吾妻鏡に特に魅かれているのも、少しでも当時の人々の考え方や精神生活の実態を理解し、美術作品を正しく理解したいと思っているからです。
ヤマザキマリのリ・アルティジャーニ、連載第1回目は2016年のボッティチェリ展の特集の時(第一特集は江口寿史)、2回目はカラヴァッジョ展の特集の時で、ともにボッティチェリが主役。それから5年、この連載の終わりにまたボッティチェリが主役となって戻ってきました。最初の時はヴェロッキョ工房の協力者だった20代の頃で、レオナルドがキリストの洗礼の天使を描くシーン。少年だったフィリッピーノも登場しています。そして今回は1501年のレオナルドがミラノから戻ってきて、聖アンナ画稿を公開する場面。ボッティチェリはこの時56歳でLNGの神秘の降誕を描いた年。44歳のフィリッピーノに向かってボッティチェリに「そろそろ絵筆を置く頃」と言わせています。その後、1504年にはレオナルド、ボッティチェリ、フィリッピーノはミケランジェロのダヴィデ設置場所検討委員会に出席(フィリッピーノはその年に病気で亡くなります)。ヤマザキマリは若い頃のフィレンツェ留学時からボッティチェリのパラスとケンタウロスが好きだったと何かで読んだことがありますが、この連載の最初と最後にボッティチェリを登場させているので、やはりボッティチェリには特別な思い入れがあるのでしょうね。次回最終回で私が描いて欲しいと思っているのは、この同じ1501年頃にベッロズグアルドの(ボッティチェリと兄シモーネ共有の)別荘付近で、かつての栄光の日々や数年前に処刑されたサヴォナローラのことを思い浮かべながら、フィレンツェの街並みの景色をスケッチしている場面です(これがフォッグ美術館の神秘の十字架像の背景のフィレンツェの街並み)。
で、「玉眼」は写実表現だとばかり思っていましたが、真の仏様=生身仏を現わすためだったとは...(・・;)
むろさんさんのおっしゃる通り、「ランドゥッチの日記」では、現代人とは違う見方や反応が興味深かったですし、美術品を真に理解するには当時の社会を知る必要が痛感されます。
ヤマザキマリさんが「そろそろ絵筆を置く頃」と言わせて次回が最終回ですから、確かに、ボッティチェッリこそフィレンツェ・ルネサンスを象徴するアルティジャーノだと思っているような気がしますね。
で、《神秘の十字架》はフォッグ美術館で観ているのですが、実は「え?ボッティチェッリ作品なの??」と思った記憶の方が強くて(写真も撮らなかったし)、フィレンツェの街並みが別荘付近からの景観だとは知る由もありませんでした(^^;;