花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》の制作年表記(^^;

2020-09-22 01:31:32 | 西洋絵画

国立西洋美術館「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」にはパオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》が出展されている。

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》(1470年頃)油彩、カンヴァス 55.6×74.2cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー

興味深くも、ウッチェロの同主題作品がパリのジャクマール=アンドレ美術館に所蔵されている。一昨年の春に訪れた時、美術館の表示では「1440年頃」となっていたのだが...

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルニウスと竜》(1440年頃?)テンペラ、板 103×131cm ジャクマール=アンドレ美術館

しかし、先のコメント欄でゲストのむろさんさんの展覧会ご感想&レポートを拝見し、あらためて「芸術新潮」4月号(ロンドン・ナショナル・ギャラリー展特集)をチェックしたところ、制作年代が「1458~60年」となっていた。多分、最新の知見による制作年の特定なのだろうが、所蔵先のジャクマール=アンドレでは昔のままの表示を続けているようだ。

案外、美術館や教会の作品表記というのはアバウト且つ恣意的なものがありそうな気がする。例えば、真贋不明作品でも〇〇作として表記しているケースが見受けられるしね。まぁ、このウッチェロ作品の場合は、美術館側の制作年代に拘りのない大らかさが出ているような気がするのだけど(;'∀')

ちなみに、同じジャクマール=アンドレのボッティチェッリ作品は...

サンドロ・ボッティチェッリ《聖母子》(1470年頃)ジャクマール=アンドレ美術館

老婆心ながら、制作年は大丈夫だろうか?と心配してしまう(^^;



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ウッチェロの聖ゲオルギウス、ボッティチェリの聖母子 (むろさん)
2020-09-23 23:58:47
コメントの続きはこちらに書きます。
ジャクマール・アンドレの聖ゲオルギウスの年代判定ですが、前コメントで書いた「1465年の文献との関連研究」は1979年にフランスのGazette des Beaux-Arts誌に掲載された論文なので、同館の担当者が知らないはずはありませんが、美術館独自の考えで1440年頃としているのだと思います。Rizzoliの伊語版カタログでは、研究者毎の評価としてロンドン作品についてはいくつかの年代判定の数字が書かれていますが、パリ作品については年代の数値はほとんど出ていませんでした。

ロンドン作品では、王女様がドラゴンに生贄として囚われているというよりも、まるで鎖につないだペットを連れて散歩しているように見えるので、稚拙な表現だとずっと思っていました。今回のLNG展に合わせて、黄金伝説(藤代幸一訳 黄金伝説抄 新泉社1983年)を読んだら、「(ゲオルギウスの槍の一撃で倒れた竜の首に王女の帯をつなぐと)まるで飼い犬のように、竜は彼女の後からついて来ます」と書かれていて、稚拙どころかとても物語に忠実な表現をしていることに驚き、ウッチェロを見直しました。また、LNGサン・ロマーノの戦いの色彩ですが、ファブリ画集の辻先生の解説によると、ロンドン、フィレンツェ、パリ作品の時間がそれぞれ午前、夕方、夜という戦闘の推移を表しているそうで、朝の光だから他の2枚よりも色が鮮やかなのでしょう。ピサネッロの絵とウッチェロを比べると、確かに幻想性は似ていますね。ピサネッロの馬とウッチェロの馬の表現とかLNGの聖エウスタキウスの幻想の猟犬とアシュモレアンの夜の鹿狩の猟犬を比べると、ピサネッロの方が時代は古いのに写実的ですが。

ジャクマール・アンドレのボッティチェリ聖母子については、初めて見る作品です。ご紹介ありがとうございます。私にとってジャクマール・アンドレは40年ぐらい前に初めて行ったパリで、ボッティチェリ晩年期の工房作品である「エジプトへの逃避」を見るのが目的で行った場所であり、その時ルーブルの他に行った美術館はここだけです。しかし、ウッチェロの聖ゲオルギウスはありましたが、エジプトへの逃避は展示していなくて、その後もう一度行きましたが、やはり出ていませんでした。ご紹介の聖母子が展示されているなら、再度挑戦してみようかという気がします。2年前のご訪問時にエジプトへの逃避は展示されていましたか?

その聖母子ですが、写真を拝見して思ったことを書きます。まず、これは1470年頃の作品かどうかという前に、(工房作も含め)ボッティチェリ作と言えるかどうかです。この絵は手持ちのカタログレゾネ(ライトボーンの1978年の2巻本のうちのvol.2、G.マンデルの集英社Rizzoli版カタログ、同じくRizzoliのN.Ponsのカタログ)のいずれにも掲載されていません。特にライトボーンのカタログは現在までに出ているボッティチェリカタログの決定版であり、これに掲載されていない作品は、それ以降に発見されたか、市場に出たものだと思われます。

この絵を見てまず思ったのは、幼児キリストが聖母の斜め前に直立姿勢で立ち、祝福を与える姿勢を取っているのは現存するボッティチェリ作品には工房作も含め例がありません(上記カタログレゾネ等で確認)。逆にこの形を取る聖母子像はこの頃のフィレンツェ周辺ではギルランダイオで2点(フィレンツェ近郊ブロッツィのサンタンドレア聖堂のフレスコ画、ルッカ大聖堂の聖母子と諸聖人の板絵)、ヴェロッキョ工房の絵画2点、彫刻2点(NY Met、フランクフルト・シュテーデル、バルジェロの聖母子テラコッタと大理石浮彫り)がありました。今上野LNG展に出ているギルランダイオの聖母子もこれに近い形(幼児キリストが直立姿勢)ですが、聖母の方を向き、祝福のしぐさをしていないという点が異なります。聖母については、顔はボッティチェリがヴェロッキョの影響を受けているとされる1470年頃の作品にやや近い感じです(それほど似ているとも思えませんが)。マントのすき間から見える赤い衣服の表現と左手の描き方はボッティチェリ作品に近いものを感じます。そして、ここが重要なことですが、上記のヴェロッキョの大理石彫刻の聖母子の聖母の左手とこの絵の左手の表現がそっくりです(下記URLの3枚目の写真)。つまりこのジャクマール・アンドレの聖母子はヴェロッキョ工房に関係が深い作品であるということが言えると思います。(モレリ方式の判定です。両者に共通する素描があった?)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/21553424.html

1470~80年代頃にヴェロッキョ工房にいた弟子でヴァザーリが列伝に書いているのは(有名な画家では)ペルジーノ、ロレンツォ・ディ・クレディ、レオナルド・ダ・ヴィンチの3人。ボッティチェリとギルランダイオはヴァザーリの列伝にはヴェロッキョの弟子として書かれていませんが、研究者はヴェロッキョの影響を受けているとしています。ボッティチェリはヴェロッキョの10歳下で、1470年には25歳、「親の家に住んでいて気が向いた時に仕事をしている」と父のカタスト申告書に書かれているので、ヴェロッキョ工房の住み込みではなく、助手か協力者のような関係だったと考えられているようです(フィリッポ・リッピが1467年にスポレートへ移り、1469年にそこで亡くなるので、ヴェロッキョ工房に関係したのはリッピが転居した後)。ボッティチェリより4歳若いギルランダイオもフィレンツェ人なので、ボッティチェリと同じような状況かもしれません(住み込みでない協力者?だからヴァザーリが弟子と書かなかった?)。この5人のうちで選ぶなら作者としてはやはりボッティチェリが一番近いでしょうか。

ボッティチェリの初期作品のうち、年代が明確なものはウフィツィのフォルテッツァで、1470年に完成。これはヴェロッキョの影響がある作品とされ、同じウフィツィの聖母子2点、ユディト、聖会話の向かって右端のアレキサンドリアのカタリナなどが同じ頃のヴェロッキョの影響がある作品です。これらと比べ、ジャクマール・アンドレの聖母の表情はやや違う雰囲気ですが、その後のボッティチェリの女性像と比べるとヴェロッキョに近いと言えなくもありません。ボッティチェリの工房作、もしくは追随者の作としての聖母子画を見ると、初期作品からのコピーというのはごくわずかであり、ほとんどは細面で典型的な(ヴィーナスの誕生のような)ボッティチェリの描く女性像の顔をした1480~90年代ぐらいの聖母子ばかりです。この手の絵がフィレンツェでかなり流行したので、コピーが多く作られたと思われますが、ジャクマール・アンドレの聖母子のように初期作品に近いものはボッティチェリのコピーというよりも別の画家の作品、あるいはボッティチェリを含むいろいろな要素を寄せ集めて後世に作られたものということも考えられます。ボッティチェリ自身の作という証拠は全くありませんが、もしボッティチェリの絵と判定するならば、「1470年頃」という年代判定以外はありえないと思います。また、顔の表情の他に頭上の光輪もボッティチェリとは異質な気がします。ただ、表情などは時代の流行によって描き直されることもあるので、X線、赤外線撮影などの画像があれば、その結果による加筆や描き直しの有無も知りたいところです。
あとは実物を見て詳細に観察しないとこれ以上は言えません。将来の宿題としたいと思います。

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むろさんさん (花耀亭)
2020-09-25 22:10:08
《聖ゲオルギウスと竜》では「黄金伝説」までご確認されたとは、さすが!むろさんさんですね(^^)。LNG作品が原典に忠実だったとは私も初めて知りました。それに、《サン・ロマーノの戦い》3作も「午前、夕方、夜という戦闘の推移」を描いていたとは! むろさんさんのおかげで勉強できました。ありがとうございます!!

で、ジャクマール=アンドレのボッティチェッリですが、《聖母子》の方は購入時、どうやらヴェロッキョ作品と考えられていたようで、その後に帰属が見直されたそうです。さすが、むろさんさんのご推察眼は鋭いですね。1995年に修復が行われているので、それ以前の研究書に出ていない可能性もありそうです。まぁ、美術館独自の見解というのもあるかもしれませんが(^^;
https://www.musee-jacquemart-andre.com/en/oeuvres/virgin-and-child-0

で、《エジプトヘの逃避》はちゃんと展示されていましたよ(^^)v。表記は工房ではなくボッティチェッリ作になっていましたが(^^ゞ。美術館側も工房作品という認識はあるようで(私のど素人眼でも(^^;)、展示壁には中央メインにカルパッチョ作品、左にヴィットーレ・クリヴェッリ作品、そして右にボッティチェッリ(工房)作品で、割と目立たない展示位置でした(^^;
https://www.musee-jacquemart-andre.com/fr/oeuvres/fuite-en-egypte

将来、むろさんさんが直に観察されたご感想を楽しみにしております!!
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ジャクマール・アンドレの聖母子 (むろさん)
2020-09-25 22:58:24
前コメントでジャクマール・アンドレのボッティチェリ聖母子について、「幼児キリストが直立で祝福を与える姿勢を取っているのは現存するボッティチェリ作品には例がない」と書きましたが、厳密にはシカゴ美術館と旧カイザーフリードリッヒ美術館(第二次世界大戦で焼失)の2点の「聖母子と天使たち」のトンドが存在します。しかし、これらは聖母が立っている姿勢の絵なので、今回問題にしている幼児キリストが立ち、聖母が腰かけているタイプの絵とは違うので除外しました。

また、前回のコメントで取り上げた手の表現が酷似しているヴェロッキョ工房の大理石浮彫りの聖母子ですが、引用したブログ記事の解説では、「フランチェスコ・ディ・シモーネ・フェルッチ1437~93 聖母子1470~80c」となっています。私はSADEA/SANSONIのDIAMANTI DELL’ARTEシリーズ8 VERROCCHIO(私が持っているヴェロッキョ単独の唯一の本)を見てヴェロッキョ工房作と書いたのですが、この作者について少し調べてみました。なお、SADEA/SANSONIの本ではこの大理石浮彫の聖母子について、「工房作。同じバルジェロのテラコッタの聖母子については、ヴェロッキョの部分的な介入を排除しないが、それと同等とまでは言えない」として、ヴェロッキョ本人の関与にはやや否定的のようです(私のイタリア語の訳が間違っていなければ、ですが)。ヴァザーリの列伝(白水社版の彫刻家建築家列伝)のヴェロッキョの項目を読むと、ヴェロッキョの弟子としてフランチェスコ・ディ・シモーネのことが書かれていて、訳者の注釈には「初頭にはデジデリオ・ダ・セッティニャーノの影響が強いが、やがてヴェロッキョの作風に近づく」とあります。さらに本文中の「アンドレア(ヴェロッキョ)はまた、大理石の祭壇に幼子を抱いた聖母マリアの半身像を半浮彫で彫った」とあり、その注釈として「現在バルジェロ美術館にある大理石浮彫聖母子と同一作品とみられる」としています。これらのことから、(工房の弟子の誰が実際に彫ったのかは別として)当該作品は間違いなくヴェロッキョ工房の作であり、ブログ記事を書いた方は美術館の展示解説に弟子のフランチェスコ・ディ・シモーネと書いてあるのを見てそれを採用したのではないかと思います。

前コメントでジャクマール・アンドレの聖母子のうち幼児キリストの表情について書くのを忘れていました。私にはこの顔は可愛いすぎる、現代的すぎるという気がします。ボッティチェリの絵でも、天使は10代前半ぐらいの少年として可愛いと感じる顔が多いと思いますが、幼児キリストはどれもあまり可愛いいと思えない。最近見たテレビ番組(BS日テレぶら美?)で「聖母子の絵の幼児キリストはどれも可愛くない」という話が出ていましたが、幼児キリストは神と一体なので威厳を持って描くというものなのでしょうか。また、芸術新潮2018年1月号の贋作特集でロンドンのコートールド所蔵のボッティチェリ?の聖母子の聖母マリアの表情について、ケネス・クラークが映画女優のようだとして贋作を見破った話が紹介されています(後に科学的検査で19~20世紀の贋作と確定)。この聖母マリアの顔は一見するとウフィツィのサン・バルナバの聖母やザクロの聖母に似ていますが、よく見ると目や口の表現が微妙に違うようです。さすがにケネス・クラークの鑑識眼は素晴らしいと思いますが、時代の雰囲気というものはどこかに現れるものだと感じます。ジャクマール・アンドレの幼児キリストの表情はご紹介の写真でははっきりと見えませんが、現代的「可愛さ」を感じます。この部分も後世の加筆があるかを知りたいものです。

LNG展に出ているウッチェロの聖ゲオルギウスが1470年頃、そしてジャクマール・アンドレのボッティチェリ?の聖母子も1470年頃ということで、たまたまほぼ同じ時点のフィレンツェでの新旧画家の話題になりましたが、ウッチェロの方はカタストの記録でその頃の晩年の困窮が書かれ、ボッティチェリの方はこの頃にフォルテッツアで華々しいデビューを飾り、その後の活躍はよく知られている通りです。しかし、ボッティチェリも30数年後には晩年の困窮がヴァザーリの列伝に書かれ、最近ではその証拠(多額の負債と遺族の相続放棄の記録)も発見されています(この件についてはLNG展聖ゼノビウスの奇跡の感想の時に書きます)。その1470年頃のフィレンツェの美術界ではウッチェロやピエロ・デラ・フランチェスカのような遠近法研究はよく知られた当然のこととされ、画家の関心は別の方面に移っていたようです。ボッティチェリも1470年のフォルテッツアではぎこちなかった遠近法表現が、その後の作品では完璧なものになっていますが、よく似た作風のフィリッピーノ・リッピは15世紀末の時点でもあまり正確でない遠近法表現をしていたようです。長くなるので、この辺のことについては晩年のボッティチェリのことを書く時にでもまた。

ここまで書いた後で、ヴェロッキョ工房の聖母子について参考になりそうなものを一つ見つけました。2016年ボッティチェリ展図録の出品作17ヴェロッキョ工房作大理石聖母子浮彫です。これも同じタイプの半身像の聖母の斜め前に幼児キリストが直立する像で、このタイプの像はヴェロッキョ工房内で大理石、漆喰、テラコッタなどにより多数作られたとのことです。私はジャクマール・アンドレの聖母子とバルジェロの大理石浮彫りで手の表現がよく似ているので、ジャクマール・アンドレの絵はヴェロッキョ工房に関係しているだろうと推定したのですが、このボッティチェリ展図録解説でそれが間違いではなかったことが確認できました。

追伸:ジャクマール・アンドレの聖母子の鮮明な写真、ありがとうございます。感謝感激です。上記で否定的なことをいろいろ書きましたが、なかなかいい作品ですね。ますます見てみたいと思いました。エジプトへの逃避も展示されていてご覧になられたのですね(うらやましい!)。パリ旅行も考えないといけないか?!

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ジャクマール・アンドレの聖母子(続き) (むろさん)
2020-09-26 23:34:01
ジャクマール・アンドレの聖母子の鮮明な写真と解説をご紹介いただいたので、もう少し考えてみました。同じテーマばかりの連続投稿をお許しください。

聖母の表情については、前コメントで取り上げたフォルテッツァ以下数点のボッティチェリの初期作品(ヴェロッキョの影響があるとされるもの)にやや近いという印象は変わりませんが、髪の毛と頭部のベールの表現はボッティチェリと異質のものを感じます。光輪は丁寧に描かれていますが、襟や手首の金色の装飾はボッティチェリの真筆作品ほどの出来とは思えません。ヴェロッキョ工房の大理石浮彫とよく似ていると思った左手の表現も拡大写真で見ると、爪の描き方などにぎこちなさがあり、また、幼児キリストの両足や左手もあまり上手とは思えません。

同じ頃のヴェロッキョ工房またはボッティチェリ作として、評価が分かれている作品が前コメントで書いた2016年ボッティチェリ展図録にもう1点ありました。出品作19信仰の寓意の素描です。この作品、1991年のフィレンツェ・ルネサンス―芸術と修復展の時にも来日していて、その時の図録解説ではボッティチェリ(帰属)となっていましたが、2016年の図録ではヴェロッキョ(帰属)とされています。この素描はウフィツィにあるボッティチェリ作フォルテッツァと一連のポライウォーロ作6人の美徳寓意像の注文に関する複雑な経緯(ヴェロッキョも応札したが落選。ソデリーニの横槍で1枚だけボッティチェリに注文)と関係する作品と考えられるので、作者の同定もヴェロッキョ、ボッティチェリ、ポライウォーロ間で揺れ動いているようです。

ジャクマール・アンドレの聖母子の作者判定では、ヴェロッキョ工房に関係した有名画家5人のうちではボッティチェリが最も可能性があるか?と書きましたが、ここにもう一人ボッティチーニを加えておきたいと思います。フランチェスコ・ボッティチーニはボッティチェリと名前も時代も作風も近いので、ヴァザーリを含めよく混同されることがあるようですが、ウフィツィにあるトビアスと3人の大天使やピッティにある幼児キリストを礼拝する聖母と6人の天使などを見ると、ジャクマール・アンドレの聖母子の作風に(ボッティチェリと同じぐらいには)近いものを感じます。例えばボッティチェリの描く光輪は円形の中に金の点描が多いようですが、トビアスと3人の大天使の光輪はジャクマール・アンドレの聖母の光輪と同じく、金の点描の間に揺れ動く金の波のような形を描いています(ボッティチェリにはあまり例がない)。ボッティチーニもヴェロッキョ工房に関係があったと考えられている画家であり、前コメントで書いたSADEA/SANSONIのVERROCCHIOの本にはウフィツィにあるトビアスと3人の大天使をヴェロッキョ工房作として取り上げています。なお、このトビアスと3人の大天使の作者については、2007年新宿ペルジーノ展図録にウフィツィ美術館館長のナターリ氏がヴェロッキョ工房のキリスト洗礼(レオナルドが関与)と合わせて興味深い論考を書いています。

以上はジャクマール・アンドレの聖母子の鮮明な写真を見ての感想ですが、解説の中に気になることが一つありました。それは初めの所に書いてある「oil on wood」です。30年ぐらい前までに言われていたのは、ボッティチェリには油彩画はほとんどなくて、油彩画のわずかな作例は晩年の1490年代以降に描かれたフォッグ美術館の「神秘の十字架像」とエルミタージュ美術館の聖ヒエロニムス、ドミニクスぐらい(ともにカンバスに油彩。エルミタージュの絵はテンペラを併用)であり、フレスコ画以外ではテンペラの板絵がほとんどで、1480年代頃のヴィーナスの誕生、パラスとケンタウロスその他同時期の少しの作品にテンペラ+カンバスが存在するといったぐらいでした。初期作品ではテンペラの板絵以外はありえないと思われていたと思います。

最近では初期作品も含め、いくつかの作品を油彩とする本も見かけるようになりました。例えばウフィツィの「ロッジアの聖母」(1466~67年頃のリッピの影響が残り、ヴェロッキョに関係する前の時期の初期作品)が油彩/板とされている(上野都美ウフィツィ美術館展図録及び渋谷ブンカムラのボッティチェリとルネサンスMoney and Beauty展図録の解説。2014年と2015年に来日)のが油彩で最も早い時期の例です。これは最近の科学的分析により、従来テンペラとされてきた作品のうち油彩と判断されるものが出てきたことなのかと思いますが、こういう早い時期にボッティチェリ周辺で油彩が使われていたのかをきちんと評価した研究は見たことがありません。修復や新規購入のタイミングに合わせて外部の分析機関に依頼して出てきた結果を、そのまま無批判に掲載しているだけということもあるのではないかとも思います。今回のLNG展に出ているウッチェロの聖ゲオルギウスが1470年頃のごく初期の油彩画の例ということですが、ジャクマール・アンドレの聖母子が1470年頃の油彩画なら、これはウッチェロの絵と同じく珍しいものになります(ウフィツィのロッジアの聖母はもっと古いということになる)。ジャクマール・アンドレの聖母子の作風は素直に解釈すれば1470年頃しかありえないので、油彩という判定が誤りなのか、あるいは油彩が正しいならボッティチェリ没後のコピー作なのか、あるいはロッジアの聖母とともに、ボッティチェリの初期の油彩画という希少な作品なのか、この絵の評価が一層難しくなったと思います。

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むろさんさん (花耀亭)
2020-09-28 01:03:11
むろさんさんのご指摘とご考察に、なるほど!!と、とても興味深く勉強させていただきました。ありがとうございました!!
ご紹介のブログの写真もですが、2019年春にフィレンツェのパラッツォ・ストロッツィで「ヴェロッキョ展」が開催され、彫刻&絵画を含めた聖母子像の数々も展示されたようで、むろさんさんご指摘の通りジャクマール=アンドレのボッティチェッリ(?)に似ているなぁと動画を見てしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=Ai7zyjhs2No&feature=emb_logo

>私にはこの顔は可愛いすぎる、現代的すぎるという気がします。
なるほどです!!おっしゃる通りで、確かにボッティチェッリ的では無いし、当時の聖母子像にしては現代的な可愛さですよね。1470年頃とする制作年も何やら疑問が出てきてしまいます(^^;

いずれにせよ、むろさんさんご考察のように謎は多く深まるばかりで、更には美術館独自の見解もあるでしょうが、帰属問題の難しさを改めて感じてしまいました。美術ど素人の私は美術館の表記をそのまま信じてしまう方なので、ちゃんと自分の眼と資料で確認しなければならないと反省してしまいましたです(^^;
むろんさんさん、本当に勉強になりました。ありがとうございました!!
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ルネサンス初期の油彩画 その他 (むろさん)
2020-10-01 21:52:00
ヴェロッキョ展に関する動画のご紹介、ありがとうございます。ジャクマール・アンドレの聖母子の作者を考えるのに当たり、ヴェロッキョ関係の資料も確認しましたが、その中でフィレンツェとワシントンNGのヴェロッキョ展のことも何度か検索していました。華耀亭さんもこの展覧会を見に行かれたのか、お聞きしようと思っていたところでした。
また、似たような動画で以下のものもありました。
https://mikissh.com/diary/verrocchio-national-gallery-of-art-washington-dc/
https://www.youtube.com/watch?v=T3IdSmKabwA&feature=youtu.be

ジャクマール・アンドレの聖母子の作者判定の件は、一応の結論としてこれまでに考えたことをつなげて都合よく解釈すると、以下のようになると思います。
「ヴェロッキョ工房にあったこのタイプの聖母子像の素描に基づき、1467~70年頃に工房の協力者となったボッティチェリがテンペラ・板絵で聖母子の絵を描いた。後世になって傷んだ部分が油彩で修復・加筆された。近年の材質分析でこの補修部分が分析されたために、油彩画と判断された。」
ウフィツィのキリスト洗礼やトビアスと3大天使のような大きな絵になると、工房での協同製作が考えられますが、このように小さな絵、しかも公式デビュー頃の若いボッティチェリならば単独での製作でよいと考えます。ボッティチェリらしくないと判断した部分は後世の補修と判断しました。聖母の光輪のようにボッティチェリらしくないが出来がよい部分は、後世の補修ではなく、ボッティチェリがいろいろと試していたと考えます。

なお、画材の分析の件ですが、ジャクマール・アンドレのエジプトへの逃避では、上記でご紹介いただいた美術館の説明書きには「カンバスに油彩」となっています。近年この絵が出品された美術展図録で私が持っているものを見ると、2003年のパリMusee Luxembourgのボッティチェリ展では「板絵にテンペラ(カンバスに移設)」、2009年のフランクフルト・シュテーデルのボッティチェリ展では「板絵(カンバスに移設)」とありテンペラか油彩かは明記していません。この絵は1490~1500年頃のボッティチェリ晩年の工房作なので、フォッグ美術館神秘の十字架像と同様、油彩画であってもおかしくないのですが、過去にテンペラとされていたものが現在油彩とされていることには疑問を感じます。
このように、初期ルネサンス絵画がテンペラか油彩かの問題は、前コメントで書いたように、まだ研究者が最近の動向についてあまり議論を交わしていない段階だと思います。X線・赤外線等の画像診断、材料分析、年輪年代測定、放射性炭素年代測定といった科学技術による研究結果については、専門外の美術史研究者は、その結果を受け入れるしかありません。日本美術の彫刻史研究の例でも木材の樹種判定について、かつてはほとんど檜とされていたものが、現在では奈良時代~平安初期にはカヤ材と判定されるものが多くなり、美術史が書き換えられつつあります。これは以前は特定の研究者の樹種判定しかデータがなかったので、皆がそれに従っていたのですが、現在は試料採取部分が適切であったか(後補部分から採取していないか等)の再検討や判定技術の進歩などにより、過去の常識が大きく変わっています。テンペラ、油彩の判定の問題も世の中に結果が定着するのには数十年単位で時間がかかると思っています。

今出ている結果を鵜呑みにすると、フィレンツェ周辺では最古の油彩画とされるLNGのウッチェロ作聖ゲオルギウス(1470年頃)よりも、ボッティチェリのロッジアの聖母(1466~67年頃)の方が油彩画として古いことになります。レオナルド・ダ・ヴィンチならヴェロッキョ工房にいた1472~75年頃の受胎告知やキリスト洗礼の天使を油彩で描いたということに疑問はありませんし、遠近法研究に夢中になっていた「変人」のウッチェロなら晩年になって油彩画に挑戦してもおかしくないと思います。また、芸術新潮2007年6月号のレオナルド受胎告知来日記念特集を読むと、1470年頃にはポライウォーロ(ウフィツィの六美徳寓意像)やヴェロッキョ(LNGのトビアスと大天使)の絵にも部分的に油彩を使っていると書かれています。しかしボッティチェリが20代前半、1467年頃のヴェロッキョ工房に関係する前に油彩画を描いたとはとても思えません。1470年前後にはフィレンツェでもいろいろな画家が油彩に取り組み始めていたので、ウッチェロ作LNG聖ゲオルギウスを1470年頃まで下げるということなら、必ずしもこの絵がフィレンツェで最古の油彩画とは言えなくなるのかと思います。(この問題について納得できる結論は自分が生きている間には出ないと思っていますが。)

ついでに情報を一つ。NHK BS1 世界のドキュメンタリー「疑惑のカラヴァッジョ」が10月6日夕方にまた再放送があります。このブログをご覧になっている方の多くは既にご覧になっていると思いますが、見逃した方は今度こそどうぞ。
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/schedule/te/Z95RPGX136/

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むろさんさん (花耀亭)
2020-10-04 00:42:05
「ヴェロッキョ展」がワシントンに巡回していたとは知りませんでした。ありがとうございました!!やは するとりWNGの動画は充実してますね(^_-)-☆
で、むろさんさんのお話から勉強させていただくと、ルネサンス初期のフィレンツェではテンペラ+板絵 ➡ 油彩+カンバスの移行期は1460~70年代だと考えられるようですね。ヴェロッキョやボッティチェッリ、ウッチェロを含め多くの画家たちが新しい試みに挑戦している息吹を感じます。きっと現代の科学研究が進めば年代測定を含め新しい事実が見えてくるのでしょうが、なかなかに大変そうですね(溜息)。むろさんさんのお陰で色々と勉強させていただきましたです(^^ゞ

で、また「疑惑のカラヴァッジョ」の再放送があるのですね!!本当に多くの人に見ていただきたい番組です(*^^*)
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LNG展ボッティチェリの聖ゼノビウスの奇跡を見て (むろさん)
2020-10-04 23:59:44
LNG展に先立ち、手持ち資料でこの絵に対する評価を再度確認したところ、自分は今まで矢代幸雄及び後継者の摩寿意善朗が言う「ボッティチェリ芸術の悲しきフィナーレ」といった言葉にとらわれ過ぎていた気がしました。15世紀末のメディチ家の経済的不振、人文主義サークルの崩壊、フランス軍の侵攻、サヴォナローラの神聖政治による混乱などで、ボッティチェリも「春」や「ヴィーナスの誕生」のようなフィレンツェの繁栄を謳歌する絵は描けなくなり、また、レオナルドやミケランジェロが活躍する1500年前後にはボッティチェリの絵が時代遅れになったのは、研究者が一致するところです。しかし、ボッティチェリの晩年作を「神秘的で魅力ある作品」と聖ゼノビウスやウィルギニアの物語のような「芸術的に衰退した作品」に分けるという考え方が正しいのかという疑問を持ちました。欧米の研究者(そして摩寿意以降の日本人研究者)は聖ゼノビウスの絵について、そこまではっきりと「ボッティチェリ芸術の終焉」といった評価はしていません。

ボッティチェリの晩年作に対する私の思いは、Fogg美術館「神秘の十字架像」のように魅力的と感じる作品と、Uffizi「誹謗」のようにそのとげとげしさから、好きになれない作品があります。Uffizi「聖母戴冠」では上部の天使の輪舞は最も好きな人物群像の一つですが、父なる神と聖母及び下部の四聖人は硬さが目立って好感が持てません。逆にLNG「神秘の降誕」は全体的にはとても魅力的に感じますが、上部の天使の輪舞は無表情で不気味な感じがします。同じLNGの今回来日している聖ゼノビウスの第一の奇跡の左端の一群にいる花嫁候補の女性の横顔の方がよっぽど美しいと感じます(近い将来LNGに行ったら、この2枚をじっくり見比べたいと思います)。

若桑みどり氏は芸術新潮2001年3月号ボッティチェッリ特集において、神曲挿絵とボッティチェリを論じる中で「矢代・摩寿意の著作と中世回帰の衰退した晩年様式」について触れ、「マニエリスムを堕落・衰退と見た時代にボッティチェッリ晩年の様式変化が堕落と見えたのは当然だったであろう」としています。若桑氏はボッティチェリにマニエリスムの先駆的な表現を見ていて、St Felicitaのポントルモ作「十字架降下」の身体表現がボッティチェリ作Uffizi「チェステッロの受胎告知」やミラノ・ポルディ・ペッツォーリ「ピエタ」の影響を受けているとしています。そのような点からはLNGの「聖ゼノビウスの奇跡」や「神秘の降誕」の色使いも、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の鮮やかな色とともにマニエリスムの先取りと思えます。なお、小さな人物を大勢描く「衰退した晩年様式」は神曲挿絵の描き方に慣れてしまったためにもたらされたもの、というのが(事実かどうかは分かりませんが)ヴァザーリのボッティチェリ伝以来の通説です。

矢代幸雄は1929年の著書BOTTICELLI(邦訳1977岩波)の中で「人は死ぬまでは生きなければならない。聖ゼノビウスの板絵がそう推定させるように、ボッティチェㇽリもその老衰の晩年に、彼にふさわしくない仕事をしなければならなかったに違いない。もし何か新しい歴史上の資料が発見されれば、私の考えは覆されるかもしれない。」と書いています。この出版以降の90年間で新しい発見はあまりないようですが、2005年にCecchi氏が発表した「1510年のボッティチェリの死の直後、兄のシモーネと甥のベニンカーザが、ボッティチェリの残した多額の負債に憤慨して相続を放棄したという記録があった」ということが重要な発見の一つだと思います。(日本語で紹介されたのは多分2016年都美ボッティチェリ展図録の同氏論文が最初。なお、この日本語訳文でベニンカーザを姪としているのはil nipote甥の誤訳です。)このことから推定されるのは、晩年のボッティチェリは時代遅れの画風から絵の注文がほとんどなくなったためか、困窮していたこと、そしてヴァザーリが伝えるボッティチェリ伝のその部分(晩年は貧困のうちに亡くなった)は真実を伝えているということです。サヴォナローラ派(泣き虫党)であった兄シモーネと共同で持っていたベッロズグアルドの別荘は当然手放したと思われるし(「神秘の十字架像」のフィレンツェの町並みはその付近から見た景色)、また、亡くなる5年前の1505年にはサン・ルカ画家組合の2年分の会費未納分を清算していますが、これを「聖ゼノビウスの絵」4枚分の支払いによって可能になったことと考える研究者(Bettini 1942年)もいます。多額の負債が残されたことによる遺族の相続放棄という事実が明らかとなった今、「聖ゼノビウスの絵」の代金による画家組合の負債の支払いという説の妥当性について、再度見直してみる価値もあるかと思います。(たまたま現代まで残った作品と歴史的事実を無理やり結び付けることには慎重であるべきですが。)

聖ゼノビウスの奇跡の絵の評価に戻ると、今回来ている第一の奇跡の絵の小さな人物の中にも、拡大して見るとボッティチェリらしい人物描写が見られます。左の花嫁候補、その近くの横向きのゼノビウス、右端の一群中の司教冠を受けるゼノビウスなどは出来が良くて、同じ晩年作の神曲挿絵天国編のベアトリーチェや天使にも匹敵するのではないかと思います。これと比べると、大きな人物像であっても、例えば2016年都美ボッティチェリ展に出た工房作「パリスの審判」の女性像などはボッティチェリ本人の手が感じられません。晩年様式を衰退とみなすのは建築と人物の乖離が目立つからであり、神曲挿絵天国編は天空に浮かんでいて建物がないために芸術的衰退という感じがしないのでしょう。神曲挿絵天国編とともに聖ゼノビウスの絵は(全ての部分が自筆ではないかもしれませんが)真筆作品であり、パリスの審判のような工房作とは違う質の高さを感じます。神曲挿絵を傑作と評価するなら、聖ゼノビウスの絵ももう少し高く評価してもいいのではないかと感じました。

「聖ゼノビウスの絵」一つとっても晩年のボッティチェリについて考えることはたくさんあります。私はロンドンで最初に聖ゼノビウスの絵2枚を見てから、ドレスデンの絵を見て4枚全てを見終わるまでに30数年かかりました。4年前に見たドレスデンの時はやっと4枚全てを見ることができたという思いだけで、この絵のボッティチェリ芸術における意義について深く考えることもありませんでした。今回のLNG展に当たっては事前に資料を確認し、絵自体を長時間眺めていろいろ考えることもあったので、この絵の良いところを再認識できたことと晩年のボッティチェリの理解に少しでも近づくことができたと感じています。また、今まで深く考えていなかった矢代幸雄の著書BOTTICELLIについても、この絵をきっかけにしてその意義と限界などを考え直すことができました。今後はSMデル・フィオーレにあるギベルティの聖ゼノビウスの奇跡の浮彫り彫刻との比較とか、15世紀末にボッティチェリと同様の変貌を見せたフィリッピーノ・リッピとの共通点、相違点は何かといったことも考えていくつもりです。

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Unknown (通りすがりの者)
2020-10-05 07:51:38
私もボッチチェリは、大好きですが、”むろさん”の知識とお考えには感銘を受けたところです。一般に彼の晩年作は、サヴォナローラにいかれたせいで、異教的な要素がなくなり、つまらなくなったというものです。今回のLNG展でじっくり見ましたが(ドレスデンのも見ました、同時にあったトンドの聖母子像の方が良いとは思いましたが)、いうほど悪くはないと感じましたので、”むろさん”のご意見に同感します。ところで、彼の晩年の困窮についてですが、オールドマスター時代の画家の晩年の困窮は、とても多いですね。時代がかなり下がったレンブラントの困窮は有名ですし、ピーテル・デ・ホーホも相当だったそうです。フェルメール晩年の借金も有名ですね。画家の地位は相対的に上がったと言っても、社会保障も何もない時代の転落の恐怖は、我々には想像しがたいと思います。運営者を飛び越してやりとりして失礼いたしました。
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むろさんさん (花耀亭)
2020-10-06 01:51:03
LNGで、《聖ゼノビウス伝より初期の四場面》は晩年様式だなぁ、とサクッと観ていたので(汗)、むろさんさんのご感想を拝読し、あらためて勉強になりました。ありがとうございます!!
カラヴァッジョも短命の画家人生でしたが、やはり晩年様式と言えるものがあります。最盛期の作品とは異質なものを感じますが、やはり作品をじっくり観ると、良い部分も、残念な部分も、併せてのカラヴァッジョ作品なのだなぁ、と思ってしまいます。多分、ボッティッチェッリ作品もそうなのでしょうね。
今回の展覧会でむろさんさんのボッティチェッリ理解が一層深まったようで何よりでした(^^)。新しい考察課題も見つけられたようで、むろさんさんのご考察の成果を楽しみにしております(^^)/
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