本当は「ボルゲーゼ美術館展」と「マッキアイオーリ展」の感想を書きたいのだが、先に石鍋真澄氏の東京都美術館「ボルゲーゼ美術館展」講演会の感想を書こうと思う。理由は、閑散とした「サン・ファン館」の紹介でジモティ魂が目覚めてしまったから(笑)
宮城県民なら学校で支倉常長の慶長遣欧使節について教えられるのだが、多分、全国的にはメジャーじゃないのだろう。今回の「ボルゲーゼ美術館展」に《支倉常長像》が出展され、初めて知る方たちも多かったようだ。ちなみに、あの肖像を描いたのはクロード・デリュエではなく、アルキータ・リッチであるという資料が最近発見されたそうだ。
アルキータ・リッチ《支倉常長像》(1615年)
さて、石鍋氏の講演テーマは「ボルゲーゼ美術館 ラファエロ・カラヴァッジョ・ベルニーニ」ということで、主にボルゲーゼ美術館のコレクション形成過程に関わるお話が中心だった。拙ブログでも扱ったが、そのコレクションはローマ教皇パウルス5世の甥で大の美術愛好家であったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の収集が基になっている。
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
彼はピンチアーナ門外に広大な土地を所有し、1612年から1615年にかけて、芸術コレクションを収め展示する館としてヴィッラを建設した。この白亜の館は、教皇庁の迎賓館としても使われ、完成直後の1615年には日本の支倉常長率いる慶長遣欧使節団がここを訪れて歓待されている。今回展示されている支倉の肖像画もシピオーネが描かせたものだ。
と言うことは、支倉が館内に飾られたカラヴァッジョ作品を目にした可能性は極めて高く、石鍋氏のお話にも出たが、以前から私もカラヴァッジョ作品を観た最初の日本人は支倉常長ではないかと思っている(^^;;;
また、石鍋氏は今回の展覧会でパネル展示されている仙台市博物館所蔵の《支倉常長像》の「一条ロザリオ」についても研究をされていて、通常「環状のロザリオ」が多いが、当時の絵画から「一条ロザリオ」も使用されていたことを画像で説明してくれた。
ところが、だ。ネットで調べていたら、興味深い話が出てきた。
「仙台市博物館が所蔵する国宝の肖像画「支倉常長像」をめぐり、真贋(しんがん)論争が起きている。青森中央学院大(青森市)の大泉光一教授(日欧交渉史)が「博物館の現存画は模写」と偽物説を打ち出し、博物館の浜田直嗣前館長が「現存画が本物なのは史実的に明らか」と反論。学界を巻き込んだ議論に発展している。」とのこと(・.・;)
「捏造された慶長遣欧使節記―間違いだらけの「支倉常長」論考」(大泉光一・著/雄山閣・発行/2008年)
どうやら論争は、古写真と現在展示作品が異なっている点が多いことから来ているようだ。その争点の一つに挙げられているのが「一条のロザリオ」である。古写真は「環状のロザリオ」なのだ。
この論争についてネットで調べた大泉氏側に同調する意見。その1、その2。
その中で論拠として紹介されている信憑性が高いという古写真。伊勢斎助・大内大円編『支倉六右衛門常長斎帰品宝物写真』帳(昭和三年発行)から。
実は、何故か私も「伊達政宗 欧南遣使考全書」(伊勢斎助・輯/東京書肆裳華房・発行/昭和3年)という本を持っている(^^;;。確かに仙台市博物館で展示されている「支倉常長像」と、そこに掲載されている《支倉常長油絵の肖像》の写真とは異なっている。「宝物写真」を若干修整している写真のようで、私的にはやや荒っぽい絵と感じられる(汗)。そして、写真のロザリオは環状である。
「支倉常長油絵の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?) (仙台市博物館所蔵)
更に、同書に掲載されている「パウルス5世の肖像」写真は現在博物館に展示されている絵と同じに見える。だとしたら、何故支倉像だけが違うのか??
「パウルス5世の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?) (仙台市博物館所蔵)
多分、石鍋先生のお話は大泉氏の指摘する「一条のロザリオ」に関しての反証をされたのだと思う。私は大泉氏の本も、それに対する仙台市博物館側の反論も読んでいないので、何とも言えないが、肖像画自体に関しての謎は依然として残るような気もするのだ。仙台に帰省することがあったらもっと調べてみたいと思う。
今回の感想文は講演会感想と言うより、なんだか美術ド素人の興味本位な感想文になってしまったようでお許しあれ(^^;;;
宮城県民なら学校で支倉常長の慶長遣欧使節について教えられるのだが、多分、全国的にはメジャーじゃないのだろう。今回の「ボルゲーゼ美術館展」に《支倉常長像》が出展され、初めて知る方たちも多かったようだ。ちなみに、あの肖像を描いたのはクロード・デリュエではなく、アルキータ・リッチであるという資料が最近発見されたそうだ。
アルキータ・リッチ《支倉常長像》(1615年)
さて、石鍋氏の講演テーマは「ボルゲーゼ美術館 ラファエロ・カラヴァッジョ・ベルニーニ」ということで、主にボルゲーゼ美術館のコレクション形成過程に関わるお話が中心だった。拙ブログでも扱ったが、そのコレクションはローマ教皇パウルス5世の甥で大の美術愛好家であったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の収集が基になっている。
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
彼はピンチアーナ門外に広大な土地を所有し、1612年から1615年にかけて、芸術コレクションを収め展示する館としてヴィッラを建設した。この白亜の館は、教皇庁の迎賓館としても使われ、完成直後の1615年には日本の支倉常長率いる慶長遣欧使節団がここを訪れて歓待されている。今回展示されている支倉の肖像画もシピオーネが描かせたものだ。
と言うことは、支倉が館内に飾られたカラヴァッジョ作品を目にした可能性は極めて高く、石鍋氏のお話にも出たが、以前から私もカラヴァッジョ作品を観た最初の日本人は支倉常長ではないかと思っている(^^;;;
また、石鍋氏は今回の展覧会でパネル展示されている仙台市博物館所蔵の《支倉常長像》の「一条ロザリオ」についても研究をされていて、通常「環状のロザリオ」が多いが、当時の絵画から「一条ロザリオ」も使用されていたことを画像で説明してくれた。
ところが、だ。ネットで調べていたら、興味深い話が出てきた。
「仙台市博物館が所蔵する国宝の肖像画「支倉常長像」をめぐり、真贋(しんがん)論争が起きている。青森中央学院大(青森市)の大泉光一教授(日欧交渉史)が「博物館の現存画は模写」と偽物説を打ち出し、博物館の浜田直嗣前館長が「現存画が本物なのは史実的に明らか」と反論。学界を巻き込んだ議論に発展している。」とのこと(・.・;)
「捏造された慶長遣欧使節記―間違いだらけの「支倉常長」論考」(大泉光一・著/雄山閣・発行/2008年)
どうやら論争は、古写真と現在展示作品が異なっている点が多いことから来ているようだ。その争点の一つに挙げられているのが「一条のロザリオ」である。古写真は「環状のロザリオ」なのだ。
この論争についてネットで調べた大泉氏側に同調する意見。その1、その2。
その中で論拠として紹介されている信憑性が高いという古写真。伊勢斎助・大内大円編『支倉六右衛門常長斎帰品宝物写真』帳(昭和三年発行)から。
実は、何故か私も「伊達政宗 欧南遣使考全書」(伊勢斎助・輯/東京書肆裳華房・発行/昭和3年)という本を持っている(^^;;。確かに仙台市博物館で展示されている「支倉常長像」と、そこに掲載されている《支倉常長油絵の肖像》の写真とは異なっている。「宝物写真」を若干修整している写真のようで、私的にはやや荒っぽい絵と感じられる(汗)。そして、写真のロザリオは環状である。
「支倉常長油絵の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?) (仙台市博物館所蔵)
更に、同書に掲載されている「パウルス5世の肖像」写真は現在博物館に展示されている絵と同じに見える。だとしたら、何故支倉像だけが違うのか??
「パウルス5世の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?) (仙台市博物館所蔵)
多分、石鍋先生のお話は大泉氏の指摘する「一条のロザリオ」に関しての反証をされたのだと思う。私は大泉氏の本も、それに対する仙台市博物館側の反論も読んでいないので、何とも言えないが、肖像画自体に関しての謎は依然として残るような気もするのだ。仙台に帰省することがあったらもっと調べてみたいと思う。
今回の感想文は講演会感想と言うより、なんだか美術ド素人の興味本位な感想文になってしまったようでお許しあれ(^^;;;
そうそう支倉常長展示されていましたねえ。
国宝でびっくりしましたが、Juneさん、昭和3年発行の本なんて何でもっておられるのですか?
僕は高校で世界史取ったので、日本史はちょっと暗いですね。しかし真贋論争がおこっているとは。
マッキアイオーリですか、僕は読売ファミリーサークルというところでもらいましたよ。
新聞屋は西洋美術館の招待券はくれないのですか?
僕は雑誌でもらいましたよ、招待券の切り取られるほうに顔が印刷してあるという面白い券ーよろしければ送りますよ
で、実は、あの本は学生時代からの読書の師匠から借りたままになっている本なのですよ(^^;;;
それにしても、okiさんの時代は日本史は選択だったのですか?私の時代は全部ありで、苦手でも取らざるを得ませんでした。今では全然覚えていませんがね(笑)
で、さすがokiさんですねぇ、マッキアイオーリも既に入手されていたとは!新聞屋さんは西美は持っていなかったので、もし頂けたら嬉しいです。ありがとうございます!!
東京都美術館のボルゲーゼ展を見て、以前仙台博物館で、感激しながら「支倉常長の慶長遣欧使節」についての展示物を見たのを思い出し、思わずコメントを書いてしまいました。
確かにロザリオの形が異なりますね・・・(okiさんのおっしゃるとおり、「昭和3年の本」をお持ちとは、これも驚きですが・・・)。この絵も、ラファエロの絵のように、詳しく調べなければならないのでしょうか?
でも私にとっては、あの時代にたった1つの藩の判断だけで、太平洋、大西洋を越え、更にローマ市民権を与えられ、ヴェネチアまで訪れた侍一行がいた現実自体が、驚きであり、奇跡に近いと思っています。その事実を前にすると、絵の真偽も興味あるけれどもむなしい、などと思ってしまいました。
先日テレビで、世界遺産の街ヴィチェンツァ(ヴェネチアとヴェローナの間にある)のオリンピコ劇場(私も以前ブログに書いたことがあるのですが・・・面白い劇場です)の放送を見たのですが、この劇場の内部上部の壁に、ヨーロッパ人達の間に武士一行のフレスコ画も描かれていて、それは「支倉常長の慶長遣欧使節団」を表していると説明していました。
イタリアには、ちゃんとその足跡が残っています。なんと素晴らしいことでしょう!
私のように何も知らなかった方々が、このボルゲーゼ美術館展を見て、「ヘーッ」と感心してくれたら、私はそれで満足です。
でも残念ながら、知人の友人は、京都でこれを見て「あまり面白くなかった」と感想を漏らしたそうです。私はボルゲーゼには3回行きました(花耀亭さんは、もっと多いと思われますが)が、それでもこの美術展は十分に楽しめたのに・・・一体何がそうさせたのでしょうか?
それはさておき、花耀亭さんの肖像画についての疑問も面白いですし、次回の探求報告も楽しみにしております。
で、Cojicoさんもボルゲーゼ展をご覧になったのですね!Cojicoさんも支倉常長に興味を持たれていたことを知り嬉しいです~)^o^(
おっしゃる通り、あの時代にスペイン、イタリアまで足を延した侍がいたなんて凄いことですよね!仙台市博物館で持ち帰った遺品の数々を見ると胸に迫るものがありますが、欧州にも彼らの足跡が残っているのが驚きです。ヴィチェンツァにも一行を描いたフレスコ画があるなんて知りませんでした。Cojicoさん、貴重な情報をありがとうございます!
私も去年の秋にクイリナーレ宮大広間の支倉一行を描いたと言われる壁画を見て感慨深かったです。反宗教改革期の教皇庁にとって、彼らは絶好の宣伝になってくれたのでしょうけど、それ以上に異国の風俗はヴィジュアル的にも好奇心の的だったのかも(^^;;
で、今回の展覧会に「あまり面白くなかった」というご感想もありましたかぁ...。各人それぞれ期待するものが違いますしね。今回来日した作品は渋めのものが多かったので、「名作揃い」を期待する方たちには少々物足らないのかもしれませんね。カラヴァッジョ1枚だけでも満足できる自分が幸せに思えます(笑)
ということで、Cojicoさんも感激された支倉常長一行の業績、私もちょっと追っかけてみますね(^^ゞ
安土桃山末期、江戸初めの1608年に、ロドリゲスというポルトガル人が日本に布教に来て、日本語教科書を作るため、茶道を含む、日本文化を幅広く聞き書き収集して著した、「日本大文典」という印刷書籍です。400年前の広辞苑ほどもあるような大部で驚きです、さらに家康の外交顧問もしていました。特に銀山開発には家康はスペインからの技術者導入のために尽力しています。スペイン国王からは難破船救助のお礼に、「家康公の時計」をもらっています。
興味深いことに、この本の終わりに、当時ヨーロッパ外国人が聞き書きした、日本の歴史が記載され、この頃あった、古代からの日本の歴史についての考を知ることができる タイムカプセル でしょうか。これが戦国時代直後までの古代史の認識で、明治以後にはこの歴史認識は失われてしまったようです。日本大文典のこの内容は、ウィキなどにも出ていません、もう既に見ていますか。
ついでに
倉西裕子著 『「記紀」はいかにして成立したか』 720年日本紀 と 日本書紀 は 別物という考証があります。
宜しくお願いします。
ロドリゲスの「日本大文典」を初めて知りました。イエズス会のヴァリャーノの通訳をしていたのですねぇ。当時の日本人の古代史観がわかるなんて、本当に興味津々です。一般人向けのわかりやすい解説本が出ると良いのですが...。
で、いしやまさんは古代史がお好きなようですね。私はどうも古代史がよくわからなく、実は記紀も読んダことがなくって(^^;;。でも、わからないからこそのロマンがありますよね。いつか読んでみたいと思います。
いしやまさん、貴重な本&情報、ありがとうございました!