今は夏祭りの道具を作ったり、子どもの水遊びのおもちゃ作り、遊び道具の箱を作ったり
している子ども園の日々です。子供が作ったおじいちゃんおばあちゃんをお招きした日の
プレゼントのコースターも壁に貼ってある絵ものびのびとした子供の創造力には驚かされます。
折り染をしてから押し花をはって、ラミネートします。 ラミネートが私の仕事でした。
折り染の色が何とも生き生きとして素敵でした。
昨日は中学の1期上の先輩にお会いして、同期会の運営について教えていただきました。
なんとその方も蓼科と東京を行ったり来たりして暮らしている方で、東京に戻った
日程の中で時間を割いてくださいました。一人で全部されているということで
驚きました。2期上のかたもメールでは説明できないというので電話で長いこと
説明していただきました。同じ中学出身というだけで全然今までお会いしたことも
ないのにとても親切にしてもらいました。
私が持っていた情報は髭を生やしていただけ。少し早目に行っていた私を見事に
みつけてくれました。
お話を伺ってから、伊勢丹をまわっていつも行く遠くのスーパーまで山手通りを
歩いて、家まで歩いて帰ったらなんだか足が疲れてぐったり。
昨日は帰ってからパエリアを作って、あとはモッツァレラチーズとトマトを
グリルしてタラのムニエルに朝作ったポテトサラダの夕食。
そのあとは1か月前になるけれど藤の花の写真を見ながら、ブログに
載せる準備をしようかしら。
夜のニュースでボブ・ディランの講演が流れ、感動的でした。
ノーベル賞の連絡があった時から、なぜノーベル文学賞なのかずっと考えていたのでしょう。
その中で、3冊の本の中に白鯨が入っていたことが嬉しかった。
亀井俊介先生が白鯨ってとんでもない小説だと話していたのが今でも記憶に残っています。
いまだにこのとりとめもない小説に挑戦できないでいる。アメリカ文学では
ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」もいつか読んでみたい本の一つ。
そしてまた、Scott Walkerもどこかのインタビューで詩と歌詞の違いについて語っていたことを
思い出して。歌詞はメロディーに乗せるもので詩より難しいようなことを言っていたような記憶。
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ディランさんの講演は、「ノーベル文学賞を受賞した時、最初はなぜ、私の歌が文学に関係あるのか戸惑ったが、
それについてじっくりと考え、文学と私の歌がどう繋がっているのか理解したいと思った。そして今からその答えに
ついてお話をしようと思う」と始まる。
音楽との出会い、作曲を始めるに至る経緯などを語っている。古代ギリシャのホメロスの叙事詩「オデュッセイア」、
メルビルの「白鯨」、レマルクの「西部戦線異状なし」などの世界的に有名な文学作品に触れ、文学も音楽も
「意味そのものよりも人を感動させることがすべて」だ、と語った。
最後に、歌と文学のつながりについて、という講演のテーマについて、以下のように締めくくった。
(文学も)歌も、常にうつろうこの世界で生きている。でも、歌と文学は違う。歌は読まれるのではなく、
歌われることを意図してつくられている。シェイクスピアの言葉はステージで演じられることを意図されている。
それはちょうど歌が、ページの上で読まれることではなく歌われることを想定しているのと同じように。
歌を意図されたままに聴いてみてほしい。コンサートでもレコードでも、人々が歌を聴く時に最近使う方法でも、
どんな手段でもいいから。私は今一度、ホメロスに戻っていく。「ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、
物語を語ってくれ」と言ったホメロスに。
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あいち国際女性映画祭が姪のドキュメンタリーをノミネートしてくれたので、9月にまた日本に
戻ってくるという嬉しい知らせも届きました。
している子ども園の日々です。子供が作ったおじいちゃんおばあちゃんをお招きした日の
プレゼントのコースターも壁に貼ってある絵ものびのびとした子供の創造力には驚かされます。
折り染をしてから押し花をはって、ラミネートします。 ラミネートが私の仕事でした。
折り染の色が何とも生き生きとして素敵でした。
昨日は中学の1期上の先輩にお会いして、同期会の運営について教えていただきました。
なんとその方も蓼科と東京を行ったり来たりして暮らしている方で、東京に戻った
日程の中で時間を割いてくださいました。一人で全部されているということで
驚きました。2期上のかたもメールでは説明できないというので電話で長いこと
説明していただきました。同じ中学出身というだけで全然今までお会いしたことも
ないのにとても親切にしてもらいました。
私が持っていた情報は髭を生やしていただけ。少し早目に行っていた私を見事に
みつけてくれました。
お話を伺ってから、伊勢丹をまわっていつも行く遠くのスーパーまで山手通りを
歩いて、家まで歩いて帰ったらなんだか足が疲れてぐったり。
昨日は帰ってからパエリアを作って、あとはモッツァレラチーズとトマトを
グリルしてタラのムニエルに朝作ったポテトサラダの夕食。
そのあとは1か月前になるけれど藤の花の写真を見ながら、ブログに
載せる準備をしようかしら。
夜のニュースでボブ・ディランの講演が流れ、感動的でした。
ノーベル賞の連絡があった時から、なぜノーベル文学賞なのかずっと考えていたのでしょう。
その中で、3冊の本の中に白鯨が入っていたことが嬉しかった。
亀井俊介先生が白鯨ってとんでもない小説だと話していたのが今でも記憶に残っています。
いまだにこのとりとめもない小説に挑戦できないでいる。アメリカ文学では
ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」もいつか読んでみたい本の一つ。
そしてまた、Scott Walkerもどこかのインタビューで詩と歌詞の違いについて語っていたことを
思い出して。歌詞はメロディーに乗せるもので詩より難しいようなことを言っていたような記憶。
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ディランさんの講演は、「ノーベル文学賞を受賞した時、最初はなぜ、私の歌が文学に関係あるのか戸惑ったが、
それについてじっくりと考え、文学と私の歌がどう繋がっているのか理解したいと思った。そして今からその答えに
ついてお話をしようと思う」と始まる。
音楽との出会い、作曲を始めるに至る経緯などを語っている。古代ギリシャのホメロスの叙事詩「オデュッセイア」、
メルビルの「白鯨」、レマルクの「西部戦線異状なし」などの世界的に有名な文学作品に触れ、文学も音楽も
「意味そのものよりも人を感動させることがすべて」だ、と語った。
最後に、歌と文学のつながりについて、という講演のテーマについて、以下のように締めくくった。
(文学も)歌も、常にうつろうこの世界で生きている。でも、歌と文学は違う。歌は読まれるのではなく、
歌われることを意図してつくられている。シェイクスピアの言葉はステージで演じられることを意図されている。
それはちょうど歌が、ページの上で読まれることではなく歌われることを想定しているのと同じように。
歌を意図されたままに聴いてみてほしい。コンサートでもレコードでも、人々が歌を聴く時に最近使う方法でも、
どんな手段でもいいから。私は今一度、ホメロスに戻っていく。「ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、
物語を語ってくれ」と言ったホメロスに。
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あいち国際女性映画祭が姪のドキュメンタリーをノミネートしてくれたので、9月にまた日本に
戻ってくるという嬉しい知らせも届きました。