7月23日
夜中の3時過ぎくらいだったか月があまりにも大きく見えたので撮りました。
ウィーン在住の姪がまだ移動が大変な時代に一時帰国しました。義理の姉の容態が悪くなりホームからホスピスに転院させるために戻ってきて、横浜のマンションに民泊で滞在中です。直行便が欠航になって乗り継いで帰国しましたが、その分PCR検査の回数が増え、子供がフランスのパスポートだったので日本への入国が大変だったとか。邦人だと出入国できるのですね。
今栄養が点滴からしか取れなくなって、かなり危険な状態とお聞きしました。面会も限られるので、この日には会えなかったのですが、見せていただいた写真では意識もはっきりしているので、お元気そうに見えまた。
家族で深刻な問題を抱えているのですが、関西から上京した義理の姉と一緒に訪問して和やかな再会の時間でした。義理の姉は80を過ぎているので小学生のお孫さんと一緒で、私は娘を連れて行きました。親戚で会うというのはもう私の方では妹の家族しかいないので、なにか久しぶりで味わう感覚です。そこに3歳の子どもがいたので、とても和やかな感じでした。
彼女は小さいながらも空気を読み、小学生の男の子が鼻血を出してしまった時ははしゃいでいたのに急に静かになって心配そうにしていたり、あいうえおのカードを見るときは難しい顔をしたりして、3歳の子供の感情の豊かさを感じました。最初に発した言葉はママとかマンマという音でなく、ノンだったというのがフランス人らしい。なんでも自分でというトリリンガルの女の子です。保育園ではドイツ語なので、遊ぶときはドイツ語になっていて、お父さんとはフランス語、母親とは日本語で話しているとか・・
姪はそろそろ映像の仕事を再開しようかと話していました。今は子育てが楽しくてたまらないと言った感じでした。
病気の義理の姉のアルバムをみんなで見て、アルバムが途中からカラー写真になってミニスカの時代とかほとんど同時代なのでなつかしく、若いはつらつとした彼女の写真に自分が重なりました。その中に若かりし主人の写真があったので、もらって帰りました。家にもあったはずなのですが、見つからなかった写真です。写真の好きな義理の兄ターシが撮ったものだと思います。ポートレートになっています。
難病なのにいつも笑っていた彼でしたが、なにかカッコつけていますね。
亡くなったとてもお世話になった義理の姉も思い出します。
July 23 2021 Yokohama