ふだんなかなか言い表すことができなかった思いがふと漏れたこの場の
空気が一つに包まれた瞬間。
祖母が亡くなったときからのお付き合いのご住職とももう30年以上のお付き合い。
いつも車を運転して駆けつけてくださいます。毎回一期一会と思い大切にしてくださっています。
人生のすべての瞬間が一期一会なのですね。年齢を重ねこういうことができるのもこれが最後かも
しれないと渋滞に巻き込まれてふと思われたそうです。もう80歳になられるとか・・(10歳以上若く
見えるので初めてお聞きして驚きました。)
真夏のような灼熱の太陽の中、コロナで昨年は葬儀にも出席することができなかった親戚が集まって
静かにこの世を旅立ってしまった叔母の一周忌とと50代で突然亡くなってしまったいとこの七回忌法要は
お坊さんのお経もいつもより長く気持ちが込められているように感じました。前回は2018年に
祖母の33回忌、祖父の23回忌、叔父の17回忌が行われたので、お坊さんとも37年くらいのお付き合い
になるのですね。4年ぶりにいとこたちにも会うのですが、Mちゃんに本物のおばあさんになったと言われて
ちょっとショック。髪は白いし、背中が丸くなって本当にそうなんだけどはっきり言われるとね・・・
まだ小さかったいとこの子供たちも浪人生や大学生や社会人になっていて成長ぶりに驚きました。
今回出席したのは母方の親戚で、82歳の叔父(母の一番下の弟)と長男と次男夫婦、長女だった母の娘(私と妹
とそれぞれ娘と息子)施主のいとこ(母の上の弟の次男と息子と義理の娘)亡くなったいとこ(施主の兄)の妻と息子
二人とその母方の祖母、母の妹の長女と夫、30年以上前に亡くなった祖母の甥と姪のそれぞれご夫婦でした。
MちゃんはNTTに勤務なので、さっそく最近のニュースで全員在宅で出社は出張扱いついて聞いたら、社内での評判が
悪く現実的でないと話していました。母の兄弟では唯一出席できたJちゃんのことが一番気がかりでした。叔母がもう
長いこと施設にいて、黒いトイプードルと暮らしています。
他の叔母も今は施設にいるので、コロナでまだ外出が難しい状態です。トイプーと暮らしている叔父も面会が
できずリモートで会っているとのことでした。なんだか寂しい時代になってきました。もうそろそろ大丈夫か
とも思うのですが、老人の施設はまだ厳戒態勢のようです。
法要後の会食がフォレストイン昭和館の車屋さんで行われました。
行く途中また横田基地の横を通り、U.S. Air Forceと大きく書かれているのを
見て日本の中にあるアメリカを久しぶりに感じました。
食事の最後の方で施主のいとこがご挨拶をして、自分の子供たちにも今何してるかみんなに話してと
ふってまず最初にDがおばあちゃんとの思い出を語りました。いとこが離婚後も連れ子だったDはいとこを
慕っていたようで、家族関係はずっと続いていて双方のために良かったと思いました。いとこに子供ができた時に
主産で大変だった嫁を叔母は助けてDの面倒をよく見たようです。皆さんの口から思い出が零れ落ちました。
いとこのハーフの男の子はゲームばっかりやっていたのですが、CGの勉強を今しているとのことで
現代っ子らしい面を見せていますが、父親であるいとこは人間関係が薄くなっていくのが心配のようでした。
彼はまだ大学生であまり人の死に会っていません。今まで一番お線香をあげたのは愛犬のチワワだったと
話していました。
7回忌の行われた今回の施主の兄の奥さんと子供たちも一言話していましたが、突然夫を亡くした奥さんは
夢中で二人の子供を育て、小学生だった次男は今浪人生、長男は大学を卒業して社会人になって3年目とか・・
長男は早くお母さんを楽にさせてあげたいと言い、3人だけの生活が日常になってしまったことの複雑な心境を
話していましたが、しっかりと父親の後姿を見ているのだと思い、その率直な思いに感動しました。次男は結構
父親が仕事で現場にいることが多かったせいか、亡くなった実感が少なく法事があると現実だったのだと思うと
少し寂しげに話していました。
軽井沢に永住を始めたいとこのSちゃんもやっと法要に出ることができました。今までは高齢の叔母がいるので
なかなか外との接触ができなかったのですが、叔母が今は施設にいるので東京にも出てくることができました。
若くして亡くなったTちゃんとも仲良しで、ずっと会っていなかったせいかここにきて亡くなったことを実感した
と悲しんでいました。穏やかな人柄を誰もが惜しみました。Mちゃんの弟のK君もバランスの取れた人間性と話して
テニスの試合に誘ってくれた思い出を話しました。K君の奥さんも最近父親を亡くされて、実感がない気持ちが
よくわかると共感を表すとともにTちゃんの奥さんのご苦労をねぎらいました。
Sちゃんの夫のSさんも軽井沢で叔母にかわいがってもらった話をよく聞いていたと話してその人柄を偲びました。
長男の嫁として苦労の多かった叔母でもありました。叔父も小姑がいた家での最初の生活は大変だったと思うと
話していました。今では野菜作りからソロキャンプへと趣味が変わっていっている長男のMちゃんは二世帯住宅の
叔父との生活で叔父のことを気遣いながら芸能界に入っている娘の心配もして過ごしています。
妹も夫を私より数年前に亡くしていますが、今では一緒にいるような感じと話していました。
いつも面と向かっては話さないような心の声を聞くこともできました。娘は4月より配属が異動になって通信教育の
スクーリング等の世話をしているのですが、何か最近は楽しそうだとはたから見ても思っていましたが、初めて仕事が
楽しく思えたと話していました。亡くなった叔母ちゃんを見習って人とも積極的に話せるようになりたいと話していま
した。最初「おしゃべり好き」と表現していましたが、甥のSちゃんに「社交的」と言い直されていました。
Dに会うのは彼女が小学生の時以来かと思います。娘と軽井沢で会ったときはよく遊んでいた活発でおませな女の子でした。
その後いとこがウズベキスタン出身の奥さんと離婚してしまったのですが、連れ子だったDはずっと自分の子供と同じように
かわいがっていたようです。叔母の死をとても悲しんでいて、亡くなる少し前の誕生日にも一緒に過ごしている写真を見せて
もらいました。
Dのインスタより
叔母は男の子二人だったので女の子はかわいかったらしく、うちの娘もかわいがって頂きました。
Dも法要に駆けつけて、まったくお化粧けのない顔にマスクをしていましたが外した時にとても美しくて。今年大学を卒業
して、結婚したと報告がありました。もっとおばあちゃんといたかったと話していて、日本に来たのは幼稚園の頃ですが、
今でもウズベキスタンに親戚がいるからよく帰ると話していました。彼女の母親も病気の私の叔父の面倒を見てくれた
やさしい人柄でした。
ふだんは普通に仕事をしているとのことですが、モデルの仕事が時々入り、エステ関連の広告がニューヨーク タイムズ
スクウェアの電光掲示板に流れたといとこが話していました。インスタの中の彼女はドバイやパリなど海外からの投稿も多く、
娘はセレブな彼女とどうやって付き合ったらいいかわからないと話しながら、20年ぶりの再会を喜んでいました。
久しぶりの猛暑でしたが、家に帰ってからマンションの上の方は意外と涼しくて、これからエアコンの掃除をしてから
つけようかと思っているところです。
法事というのはまるで亡くなった人が生きている人を励ましてくれるような会ですね。
June 25 2022 Nishitama