Reflections

時のかけらたち

慈尊院からスタート ・・・ trip to Koyasan & Kumano Kodo -1 

2023-10-23 23:51:59 | wonderland

10月14日

品川6:28発ひかり631号新大阪9:24 JR京都線・JR関空快速- 新今宮 南海高野線 橋本
慈尊院・丹生官省符神社入口12:00慈尊院、丹生官省符神社(お弁当)道の駅柿の郷くどやま 14:53発
丹生都比賣神社前15:23丹生都比賣神社、石造五輪卒塔婆群南峰庵〈泊〉

早い新幹線だったので、家から浅野屋のレーズンパンとチーズ、ゆで卵を持って行って、朝食にしました。
軽井沢で食べて以来少しハマっているレーズンパン。

 

高野線からの眺め



橋本駅に着いて、バスが来るまでちょうどお祭りの最中で駅前に山車がやってきたところだったので見ていました。
「だんじり」*と書いてある看板をどこかで見ました。
*日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼称。

九度山から歩いてもよかったのですが、ぐるっとパスのチケット引換券をいただいていたので、乗り降り自由な
アクセスバスで橋本からまず慈尊院に行くことにしました。弘法大師空海のお母さんを祀ってあり
高野山へのお参りの始まりと言われている所です。

 

 

 

この回転するのは祇園祭を思い出しますね。

 

 

 

しばらくバスに乗って移動します。

 

慈尊院への道もゆったりしていていいですね。

下乗石

この石は、馬に乗って到着した参詣者や訪問者が徒歩で寺に向かうため馬から降りるべき地点を示したものです。
公家や大名でさえ、旅の最終の部分はかごから降り自分で歩くことになっていました。 慈尊院は高野山の伽藍への
玄関口とされていたため、自分で歩くことは空海(諡号 弘法大師、774-835)に対する敬意の表れと見なされていました。

平安時代(794-1185)に最初に造られた時、高さおよそ3メートルのこの石柱は紀の川の近くにおかれていました。
残存するのは、1540年に川が氾濫した後に回収された石柱の一部のみで、この部分は慈尊院入口正面の現在の場所に移されました。

 

土塀がすてきでした。

 

 

 

慈尊院から階段を上がると丹生官省符神社があります。

碧空が出てきて、ここでお弁当。友人が名古屋で鰻のお弁当を買って持ってきてくれました。
愛知は鰻の産地なのですね。

 

雨が少しぱらつき始めました。

 

銀木犀の香りが漂っていました。

慈尊院に降りて、御朱印をいただいて、お堂の中で説明を聞きました。
説明を聞き終わって帰る時に、御朱印の忘れ物とお寺の人が持ってきてくれたのはなんと私の御朱印帳でした!
御接待の柿をいただく時に、横に置いて忘れていたのですね。

御接待というのは巡礼者を地元の人が接待して食べ物などをいただくことです。四国のお遍路に行くとよく置いて
あると聞きました。

 

もともと紀ノ川沿いに置いてあった下乗石は流されて、一部発見されたものは今はお寺の近くに置いて
ありました。

 

この後時間があったので道の駅まで行ったのですが、道の駅くどやまから乗るバス停が道路を何度も行ったり来たり
してもみつからず、バス会社に電話したり、道の駅の人に聞いたりして大変でした。道路にではなく、民家にくっついて
置いてあったので、二人して見逃しました。やっと見つけることができて、バスを待ちましたが、雨がまた降りだし、
バス停の近くの家の人が軒先を貸してくれました。バスは一日に4本しかないので逃すと大変です。無事切り抜けました。
この日は御朱印帳を忘れたり、バス停が見つからなかったり・・ハプニングがありましたが、無事丹生都比賣神社に移動
することができました。道の駅ではバス停が見つかりホッとして、柿のソフトクリームをいただきました。

 

 

 

 

 

Oct. 14 2023  Koyasan

 

コメント
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