10月15日
白洲正子さんが高天原ではないかとも書いた高野山麓天野は時間が止まったようにそのころとも
変わっていないような自然と畑と民家が少しだけある美しい場所でした。
10時10分発の高野山麓世界遺産アクセスバスまで天野の景色を見ながら、史跡を回ることにしました。
前夜に計画を話し合って、南峰庵の客殿さんにも話をお聞きしながら計画を再考しました。眺めのいい二ツ鳥居まで
行きたかったのですが、そこに行くには時間的に無理で、雨の後だと滑りやすいと言うことで諦めました。当初の計画に
戻って、西行堂や院の墓などを回ることにしました。
友人は夜明けの頃から周りを偵察に行っていました。ハイキングコースと言われていてもなかなか道を発見するのが
難しそうでそれほど多くの人が訪れる場所でもありそうにない場所です。彼はどこかで道なき道を行くのが好きだと
話していたことを思い出しました。
10月15日タイムライン
南峰庵【8:00】-奥之沢明神-有王丸の墓-院の墓-横笛の恋塚-西行堂- 西行妻娘宝篋印塔-南峰庵-丹生都比賣神社前【10:10】
南峰庵の朝食
土鍋で炊いたご飯がおいしかったのですが、あまり食べれなかったので、梅干しとたらこと海苔を残して、
おにぎりを作ろうかと思ったけれどうまく作れそうになかったので客殿さんにお願いしたらお弁当にして
いただけました。感謝
時間は2時間くらいあったので荷物を預けて天野ハイキングに出発。
最初は近くの奥之沢明神。丹生明神が初めて天野の地を踏んだ場所です。
ここから近くの貧女の一燈、お照の墓は食事前に彼が見に行って、私には険しくてちょっと無理
だと思うと言われて、残念でしたが、パスしました。
マクロレンズではないのでピンク色が出ていません。
有王丸の墓
俊寛の弟子の有王丸は流罪となった俊寛の遺骨を高野山に納め、天野で生涯を終えたと
伝えられています。
そして見落とした院の墓を探して再び戻って歩き回りました。
院の墓
鳥羽上皇の皇后に仕えた中納言の局の墓。西行とのかかわりも深く療養のために
天野に移り住み、生涯を終えたと言われています。
行ったり来たり探して歩いているうちに封鎖されている町石道や八町坂を見て、二ツ鳥居には行けなかった
ことを知り、計画から外したことは正解でした。
霞がかった田園風景を見ると、心が広がっていくようです。
横笛の恋塚
父のおすすめだった滝口入道の話は読んだことはありませんが、悲しい恋の話は
語り継がれていくのですね。
なんだかコースと逆回りにしたせいか、この西行堂を見つけるのが大変でした。
もっと先の八幡神社まで行ってしまいました。
一番の難問が西行妻娘宝篋印塔でした。この辺にあるはずなのだけど・・・
そこに至る道は草ぼうぼうでした。
西行の後を追って尼になって天野で暮らした西行の妻子の供養塔。やっとみつけて、時間ギリギリ近くに南峰庵に戻り
荷物を取って丹生都比賣神社前のバスに急ぎました。
このバスは違うバスですが、どうしてもアーチ形を撮っておきたくて最後に写しました。
出家した人の家族や、弟子たちの想いが渦巻く高野山麓でした。
実家から持ってきた白洲正子の「西行」ちょっと読んでやめちゃったのでいつか読んでみようかな。
Oct. 15 2023 Amano