碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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今学期の「実習科目」、おつかれさま!

2018年01月17日 | 大学
「テレビ制作」



「視聴覚教育」

「倉本聰 ドラマへの遺言」 第6回

2018年01月17日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第6回

「これはもうテレビドラマは
やめた方がいいのかなと…」


14年7月期に放送された日曜劇場「おやじの背中」シリーズ(TBS系、全10回)は「父と子」をテーマに掲げた1話完結のオムニバスドラマ。10人の脚本家によるオリジナル脚本の競作で、単発のホームドラマが基本だった同枠の原点回帰ともいえる企画で話題を呼んだ。倉本氏は第3話「なごり雪」(西田敏行主演)で旧知の演出家・石橋冠とタッグを組んだが、世間の反響をよそに俳優と演出の関係にギャップを感じたという。

碓井 石橋冠さんと倉本先生が組んだドラマといえば、私も大好きな一本で、浅丘ルリ子さん(写真右)と石坂浩二さん(同左)が共演した「2丁目3番地」(日本テレビ系、71年)がありますよね。そして「北の国から」の3年後、天宮良さん初主演ドラマ「昨日、悲別で」(同、84年)の演出も石橋さんでした。「おやじの背中」は同世代で戦友ともいえる石橋さんとの仕事だったわけですが。

倉本 出来上がったVTRを見るとイライラしちゃうんですよ。書いた本人が。めちゃくちゃイライラするんで、これはもうテレビドラマはやめた方がいいのかなと。実は「やすらぎの郷」でもそうだった。しかも長丁場だったので、「おやじの背中」以上に相当激しくイライラが出た。これは振り返れば、僕の台本がダメなんだなっていう気がしているんです。

碓井 台本がダメって、どういうことですか。

倉本 そもそもシナリオライターというのは、2つの役割がありましてね。一つはプロットを作る仕事。そして、もう一つは撮影台本を作る仕事です。

碓井 ドラマや映画でいうプロットは物語の筋、つまりストーリーですよね。大きく分ければ原作ありのものと、原作なしのオリジナルと2種類あります。どちらの場合も、そのプロットを基に書かれた撮影台本をベースにしてドラマが作られていく。

倉本 ですが、日本では原作ありも原作なしも「シナリオライター」とひとくくりで呼ばれている。実はそれこそがテレビドラマの弊害の一つになっている。僕らは映画からこの世界に入りましたが、当時の映画会社では若造がいきなりオリジナルシナリオを書くなんてあり得なかったんですよ。

碓井 ある程度キャリアを積まないと、オリジナル脚本は書かせてもらえなかったと。

倉本 十数年は経験を積まないと駄目ですね。僕自身もシナリオライターになった時、作家といわれるのはまだ無理だ、まずはシナリオ技術者になろうと思ったものです。とにかく右から注文が来ても左から注文が来ても受ける。そして意向に沿って膨らませ、形にする。当時の映画会社にはプロットライターというものがいまして、企画部が筋までは完璧に作ったものを脚本家に渡す。だから、僕らの仕事は撮影台本を書くことに徹した。分業の訓練を受けてきたので、いまとは全く違うわけですね。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





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倉本聰、碓井広義
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