倉本聰 ドラマへの遺言
第12回
第12回
ドラマは履歴書を作らないと
“根っこのない木”になる
“根っこのない木”になる
碓井 八千草薫さんが演じていた大女優・九条摂子が、若い頃、特攻隊員の前で一緒に食事をしたというエピソードも印象的でした。
倉本 森みっちゃん(森光子)だったか高峰三枝子さんだったか、木暮実千代だったか。誰から聞いたか記憶の中で定かではないんですが、「たまらなかった」っていうのはおっしゃってましたね。普通の慰問とは違う形で飛行機だかトラックだかに乗せられ、何も言われないままテントの中に入ったら、20代の特攻隊員がズラーッといて。隊員たちもビックリしている中で一緒に食事をして。ただ、この話は世の中に史実として残っていない。
碓井 史実から消された事実、見ている側もいろいろなことを考えさせられました。最近は戦争の実相に触れるドラマってなかなかないんですよね。
倉本 戦争経験者で存命の多くは昭和から生きてきて、戦後もバブルも体験し年老いてきた人間の集合体です。当たり前ですが、芸能界に入る前にそういう何かを背負った過去があってしかるべき。だから僕は履歴書を丹念に作るんです。
碓井 いつ、どこで生まれ、どんなふうに育ち、ドラマにおける「現時点」までに何をしてきた人物なのか。
倉本 登場人物ひとりずつの履歴書を作ると、どこでAとBが会うのか。これまでにそれぞれが形成してきた履歴やキャリア、はたまた、Aという性格とBという性格が出会った時に起こる化学反応こそがドラマだと思うんですね、僕は。履歴書をしっかり作らないとドラマが湧きようもなく、“根っこのない木”になってしまう。根っこがなければ木は立つわけがないのに、強引に立たせたフリをして、花を咲かせたり、葉を茂らせたり、実をつけたりしている書き方っていうのは違いますよね。
碓井 登場人物の履歴は演じる側にとっても大事な足場になるんじゃないでしょうか。
倉本 その通りです。履歴には大履歴、中履歴、近履歴っていうのがあって、それぞれ、大過去と中過去と近過去をさすわけですが。大過去は生まれた時から社会に出るくらいまで、中過去はいまの境遇をつくった時、そして、近過去はこの舞台でカメラの前に立つ前にあなたは何をやっていたかってことなんですよ。
碓井 それを役者も考えるわけですね。
倉本 たとえば、駆け出しの役者なら喫茶店でお茶を出すような小さなキャリアから始まりますね。その時に昨日からお茶を出すまでに何があったのか。恋人から別れの電話があった状況でお茶を出すのと、結婚を申し込まれた状況で出すのとでは違いますでしょう。演技だって変わってくるはず。そういう足場、少なくとも近過去は、個々の役者が組み立てなくちゃいけませんよ。でも、日本の役者はやらないから、お茶を出しながらのインナーボイスが見えない。外国の役者にはそれが見え、ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノには確実にあるし、一番凄いのは、アンソニー・ホプキンス。内面で何をいっているのか分かりますよ。(つづく)
▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。
▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。
日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3212
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