「週刊新潮」に寄稿した書評です。
車谷長吉
『癲狂院日乗(てんきょういんにちじょう)』
新書館 2860円
作家・車谷長吉が没して9年。本書は『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞した1998年の日記だ。書名の「癲狂院」とは精神病院のこと。車谷は強迫神経症で通院していた。記述で目立つのは編集者たちとの確執だ。しかもほとんどが実名で、相手に対する反感、嫌悪、恨みが半端ではない。また、書きたいことの八割は書いたから「もういつ死んでもよい」という嘆息にも作家の業が潜んでいる。
七尾和晃
『戦場の人事係~玉砕を許されなかったある兵士の「戦い」』
草思社 1870円
太平洋戦争末期の沖縄。死が目前に迫った戦場で、戦時名簿の管理者である准尉・石井耕一に中隊長が命令した。死んだ者たちのことを「生きて伝えてくれ」と。捕虜となって生き延びた石井は隠しておいた名簿を回収。後に戦友たちの遺族を探し出し、彼らの最期を語り伝えていく。記録作家の著者は米国側の資料も参照しながら石井の証言を再構成し、「最後の伝令」の記憶と体験を次代に残した。
デイヴィッド・フィンケル:著、古屋美登里:訳
『アメリカの悪夢』
亜紀書房 2680円
著者は『帰還兵はなぜ自殺するのか』などで知られるピュリッツァー賞ジャーナリスト。本書はイラク戦争の帰還兵を軸に描くアメリカの実相だ。舞台はジョージア州アトランタ。そこに暮らす普通の人々は、2016年と20年の大統領選挙をどう感じながら日々を過ごしたのか。また当時のトランプ大統領が利用した、米国民が抱える「恐怖」とは。今秋の大統領選挙の背後に潜むものが見えてくる。
滝口明祥
『井伏鱒二~ハナニアラシノタトエモアルゾ~』
ミネルヴァ書房 3850円
太宰治など多くの作家たちに慕われた井伏鱒二。戦前の「山椒魚」から戦後の「黒い雨」まで、その作品は今も教科書に掲載されている。豊かな作家人生を思わせる井伏だが、実は秘めたる苦悩や絶望を抱えていた。近代文学が専門の著者は若き日の井伏に注目し、学生時代の恩師との確執や作品に込められた「加害者性」などを明らかにしていく。浮上するのは「ためらいとよろめき」の作家像だ。
(週刊新潮 2024.09.19号)