碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

60~70年代サブカルチャーへのタイムトラベル

2017年01月09日 | 本・新聞・雑誌・活字


本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/reviews/1677404


60~70年代サブカルチャーへのタイムトラベル

自伝や回顧録を読む楽しさは、書き手が「どう生きてきたのか」を知るのはもちろん、背景となる「時代そのもの」に触れられることだ。

津野海太郎『おかしな時代~「ワンダーランド」と黒テントへの日々』(本の雑誌社)は、まさにそんな一冊である。 『本の雑誌』に連載中だった頃も、毎月、楽しみに読んできた。

1960年代のはじめ、早大生だった津野さんは、劇団「独立劇場」を仲間と立ち上げ、演劇の世界に入っていく。同時に、雑誌『新日本文学』で編集者としても歩み出す。

その結果、演劇人として、また編集者として、60~70年代のサブカルチャーを創出する一員となった。

この自伝の最大の魅力は、著者である津野さんを通じて、この時代を熱く生きた有名・無名の人たちと出会えることだ。とはいえ、圧倒的に有名人が多い。

演劇青年だった唐十郎、岸田森、草野大吾、蜷川幸雄。文学界では花田清輝、大西巨人。デザインの杉浦康平、若き日の池田満州夫。さらに編集者・小野二郎や装丁家の平野甲賀もいる。

津野さんは小野が興した晶文社に入社。ポール・ニザンや植草甚一の本を手がける。そして、やがて幻の雑誌『ワンダーランド』を創刊するが、それが後の『宝島』へとつながっていく。

私が大学生になったのは1973年で、その頃、初めて<晶文社の本>を目にした。あの犀のマークの背表紙だ。ぴちっと装着された、ビニールのカバーの感触も忘れていない。

晶文社の本は、いずれも学生にとって少し高めの値段だった。こまめに古本なども探して、植草さんの著作などを、バイト代で一冊、また一冊と手に入れていった。そうそう、渋谷の古書店では、ときどき植草さん本人に遭遇したりして、ドキドキしたものだ。

津野さんは当時の自分を振り返って、「腰のすわらない、ごくあたりまえの、混乱したガキのひとりだった」と書いている。自らを伝説化せず、時代を俯瞰することを忘れない冷静な目が、この傑作自伝を生んだのだと思う。

オリコン「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」の審査会

2017年01月08日 | テレビ・ラジオ・メディア


今年初の六本木へ。

オリコン本社で、「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」の審査会が行われました。

10月クール分と2016年全体、その両方の審査です。

業界的に、かなり豪華な顔ぶれである審査員の皆さん。

何時間にも及んだ、熱い議論。

その結果は?

オリコンからの発表があるまで、しばし、お待ち下さい(笑)。

【気まぐれ写真館】 今年も、梅咲く  2017.01.06

2017年01月07日 | 気まぐれ写真館

“朝倉かすみワールド”へ、ようこそ!

2017年01月06日 | 本・新聞・雑誌・活字



本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/columns/1677278


“朝倉かすみワールド”へ、ようこそ!

「朝倉かすみ」という作家の名前を知ったのは、2003年のことだ。もう14年も前になる。

その前年に、北海道にある大学に単身赴任していた。住民票も移して、ちゃんと県民ならぬ北海道民となった。クルマも冬対策で4WDにしたし、新聞も多くの北海道民と同じく、宅配で「道新(北海道新聞)」を取るようになった。

そして2003年、道新で「朝倉かすみ」の名を目にする。小説「コマドリさんのこと」で、第37回「北海道新聞文学賞」を受賞したというのだ。小樽市の女性らしかった。

その「コマドリさんのこと」をちゃんと読めたのは、2005年11月。第72回「小説現代新人賞」を受賞した表題作を含む初作品集『肝、焼ける』(講談社)だ。

表題作の主人公「わたし」は、年下の男と遠距離恋愛中の独身女性31歳。相手の自分への気持ちがつかめない。そんな「肝、焼ける(じれったい)」状態から脱したくなって、男が住む北の町へとやってきた。

会うまでの微妙な時間を過ごす銭湯や寿司屋。これまでの仕事や恋愛の回想が、ほろ苦くも愛しい。そして、ついに男と向き合う瞬間が近づいてくる。

朝倉さんの文体の特長は、短いセンテンスの連打にある。観察と表現に齟齬と遅延がなく、リズムが心地よい。また、ヒロインの眼から見た若い男女、中高年の男女がリアルでユーモラスだ。そして、全作品に共通するのは、30代女性の日常と本音をすくい上げる力の確かさである。新人とはいえ、すでに自分の「ポジション」を持っているのだ。

他には、小さな田舎町の小さな事務所で働く独身女性の心の軌跡を優しく描いた「コマドリさんのこと」(北海道新聞文学賞受賞作)。同僚である40代独身女性たちの恋や不倫を眺めながら、自身も揺れている若い女性がヒロインとなる「一番下の妹」など、いずれも30代女性の“普通の生活”が非凡に描かれている。

「コマドリさんのこと」もよかったが、「肝、焼ける」は、さらに上手い!と思った。新人とは思えないほど、独自の小説世界を巧みに構築していた。こういう嬉しい”出会い”があるから、「本読み屋」はやめられないのだ。


次々と出てくる新刊を読んでいると、ついこの間読んだ本のことさえ忘れてしまいそうになる。『田村はまだか』(光文社)は、2008年の2月に出た本。ちょうど、6年におよんだ北海道の大学への単身赴任が終りを迎え、東京の大学に移る直前だった。ずいぶん懐かしい。

でも、この小説のことは、よく覚えている。とてもよかったからだ。読了後、家族にも薦めたので全員が回し読みしている。実は、朝倉さんの小説の中で、今でも一番好きなのは、この『田村はまだか』である。

深夜、路地の奥にある小さなスナックに5人の男女が集まっている。小学校の同級生で、皆40歳。クラス会の3次会だった。そして彼らは田村を待っている。店に向かっているはずだが、現れない。ふと誰かが口にする。「田村はまだか」・・・。

田村は小学校時代から不思議な男だった。父親はいない。男出入りの激しい母親との二人暮らし。年中ジャージを着て、頭は虎刈り。だが、勉強はできたし走るのも速い。とはいえ、田村が皆から一目置かれていたのは、一人だけどこか大人の風格があったからだ。「孤高の小6」だった。

実に巧妙な小説である。そこにいない田村のことを各人が想い、同時に「忘れられない人」「自分に影響を与えた人」のことを振り返る。それは会社の先輩だったり、年下の“恋人”だったりする。共通するのは「その人がいなければ今の自分はない」と思えるような人物であることだ。深夜のスナック、昨日と今日の境目で、彼らの過去と現在とが交錯していく。それにしても、田村は一体どうしたのか・・・。

朝倉さんの作品の特徴である小気味いい短文の連なりと、深い情感をさりげない言葉に託す表現に、益々磨きがかかっている。


『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞した後に出た、朝倉さんの長編小説が『感応連鎖』(講談社)だ。例によって、男からはうかがい知れない、女たちの内なる葛藤のドラマが描かれている。

登場するのは4人の女性だ。節子は子ども時代からの肥満体。顔も大きい。周囲に自分を「異形」と認識させることで、いじめから逃れてきた。絵理香は他人の気持ちを読み、操るのが得意。美少女の由季子は、その外見ゆえに自意識過剰気味だった。そして4人目が彼女たちの担任教師・秋澤の妻である。

ごく普通の男であるはずの秋澤を触媒に4人の女たちの心が化学反応を起こす。一人の行動が、玉突きのように他者へと影響を与えていくのだ。感応連鎖である。

自らの人生における主人公は自分だ。そんなヒロイン同士は、互いの眼にどう映っているのか。どう思われているのか。何気ない日常が女たちの戦場と化すのだ。


そして、なんとも不思議な味わいの長編小説が、『幸福な日々があります』(集英社)。ここにはヒロインである「わたし」が2人いる。結婚したばかりの幸福な時代の「わたし」と、夫と別れようとしている10年後の「わたし」が交互に登場するのだ。

森子は46歳の専業主婦。3つ年上の夫は大学教授だ。見た目も穏やかな性格も、森子を大事にする気持ちにも文句はないはずだった。しかし、森子は突然宣言してしまう。親友としてはすごく好きだが、「夫としてはたぶんもう好きじゃないんだよね」と。離婚に応じようとしない夫を家に残し、ひとり暮しを始める。

10年前に結婚した時も言いだしたのは森子のほうだ。どこか安心したかったからだが、望み通りの生活に入ってからも時々心が揺れた。たとえば夫は何でも習慣化する。森子は単純作業は好きだが習慣は苦手だ。「しなければならない」という雰囲気、ルールめいた感じが窮屈なのだ。他人には贅沢と思われそうだが、森子は誰にも言わなかった。

物語は10年を行ったり来たりしながら、ゆっくりと進んでいく。連載時のタイトルは「十年日記」であり、心の動きがまさしく詳細に書き込まれている。人はなぜ人を好きになり、なぜそうではなくなっていくのか。夫婦の深層にじわりと迫っていく。


最後に、『ぜんぜんたいへんじゃないです。』(朝日新聞出版)は、朝倉さんの初エッセイ集。当時50歳だった“新人”作家の日常は、恋愛や冒険や蘊蓄に溢れているわけではない。それなのに、独自の“おかしみ”につい引き込まれてしまう。中でも母親をめぐる「京子レジェンド」は必読です。

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった「紅白歌合戦」

2017年01月04日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム


2015年の「紅白」は、正体不明の音楽バラエティ!?

前回、2015年のNHK「紅白歌合戦」で目立ったのは、内外のヒットコンテンツの援用だった。民放各局のヒットアニメのテーマ曲が、その映像と共に流された。映画「スター・ウオーズ」の人気キャラクターも登場した。しかし、いずれも演出が凡庸で、サプライズ感も有難味も弱かった。

また、「紅白」では珍しくない、ディズニーのショーも披露された。ミッキーのキレのいいダンスは見事だったが、年始客獲得を狙う東京ディズニーランドのプロモーションにしか見えなかった。さらに吉永小百合も登場したが、主演映画「母と暮せば」の宣伝とのバーター感が強く、がっかりさせられた。

全体として、1年を締めくくる音楽番組というより、正体不明の音楽バラエティという印象だった。

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった2016年

今回は、バラエティ要素にも工夫があった。映画『君の名は。』や『シン・ゴジラ』、ドラマ『逃げ恥』、さらに『PPAP』など、2016年のポピュラーカルチャーを反映したものだという点で、音楽で1年を振り返るという、「紅白」本来の趣旨にも合致していた。

視聴者側には、「こういうものが見たい」という願望がある、つまり「紅白」には「求められているもの」がある。また制作陣には、「こういうものを見せたい」という意志、つまり「創りたいもの」がある。

ひとことで言えば、この「見たいもの=求められているもの」と「見せたいもの=創りたいもの」のバランスが絶妙だったのだ。

たとえば、楽曲とリンクした「ミニ・ドキュメンタリー」とでも呼べるVTRが、いくつか流された。

ゆずの「見上げてごらん夜の星を ~ぼくらのうた~」は、昨年7月に亡くなった永六輔さんが作詞した名曲に、新たな詩とメロディーを加えたものだ。ゆずは、永さんの“親友”である黒柳徹子さんを訪ね、永さんとこの曲について話を聞いていた。

桐谷健太は、奄美大島の小学校や東日本大震災の被災地である石巻市を訪問。その上で、全国各地から集まった歌声と共に、「海の声」を歌い上げた。また、氷川きよしが「白雲の城」を歌った生中継先は、昨年4月の熊本地震で被災した熊本城だった。

司会の有村架純は、昨年夏の台風で大きな被害を受けた岩手県久慈市に行き、復旧活動のボランティアを行ってきた地元の中学生たちと交流していた。同じく司会の相葉雅紀は、1964年の東京オリンピックで、金メダル第1号となった重量挙げの三宅義信さんにインタビュー。昨年がオリンピックイヤーだったこと、また4年後には東京がその舞台となることを思わせた。

これらの「ミニ・ドキュメンタリー」は、短いながらも内容が充実していた。しかも押しつけがましさが希薄だった。オーバーに言えば、「紅白」は見るけど、「NHKスペシャル」や「ETV特集」などはあまり見ないという視聴者にも、2016年がどんな年だったのかを、テレビを通じて再認識させてくれたのだ。

見たことのない「4つのカット」

さらに、映像的に高く評価したい「演出」が、少なくとも4つあった。

まず、郷ひろみと土屋太鳳のダンスのコラボだ。曲の終盤、大サビ以降の50秒間を、「手持ちのワンカット」で押し通した。カメラは2人を追って、ステージ上を自在に動き回った。歌詞やダンスが表現するものを、最大限効果的に見せるための見事なカメラワークだった。

次が、松田聖子とX JAPANのYOSHIKIがコラボしたシーンだ。その2カット目で、ピアノを弾くYOSHIKIの手の向こうに、会場の上段に立つ聖子が見えた。また、エンディング近くでは、逆に聖子の背中側にカメラが回り込んで、聖子越しのYOSHIKIを捉えていた。メインステージの他に歌う場所を設置したことで、画面空間に奥行きが生まれ、それを生かした映像設計がしっかりと行われていたのだ。

3番目は、THE YELLOW MONKEYの「JAM」である。「外国で飛行機が墜ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」(中略)僕は何を思えばいいんだろう」といった歌詞が印象深い。発表されたのは96年。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった翌年だ。20年の時を経て、今の時代に、この曲が「紅白」で歌われることの意味は大きい。ステージは濃いブルーで統一された照明で、テレビ画面で「歌詞」が鮮明に読み取れる。メッセージ性の高いこの曲にふさわしい映像だった。

最後は、「2017年、皆さんの夢が叶いますように」と言って歌った、司会の相葉を含む嵐のメドレーだ。2曲目の「Happiness」から、3曲目の「One Love」に移る際の、ステージの美しさが群を抜いていた。荘厳なステンドグラス風から、巨大な緑の樹と青空という明るい背景へ。さらに、他の出演者も登場して、アーティスト越しの観客を見せた。いわば観客との一体感を示す映像だ。その観客には、テレビを通じて見ている多くの視聴者も含まれている。

トリを飾った嵐のステージを見ていて、シンプルだが、「世代交代」という言葉が浮かんだ。それは音楽的にも、それ以外のジャンルでも、同じ12月31日で解散となったSMAPの、かなりの部分を継承していくのは嵐なんだろうなあ、という感慨でもある。

今後の「紅白歌合戦」

音楽に対する趣味・嗜好も多様化し、過去のように、単なる大型音楽番組を目指していけばいい時代ではない。また、昨年までのように、中途半端なバラエティ番組にしてしまうのは、あまりに惜しい。

そんな中で今回の「紅白」は、「見たいもの」と「見せたいもの」のバランスを巧みに保ちながら、「ショー」としての成熟度・洗練度を増していた。おそらく、この方向性の延長に今後の「紅白」があるのだろう。特に、これからの数年は一種の改革期間であり、出場歌手の顔触れも、楽曲の見せ方も、まだまだ大きく変わっていくはずだ。その第1歩として、2016年の「紅白歌合戦」を高く評価したい。

「子役」が抱える問題は、すべての子どもの問題でもある

2017年01月02日 | 本・新聞・雑誌・活字



本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/reviews/1677149


「子役」が抱える問題は、
すべての子どもの問題でもある

2001年に、『マリオスクール』(テレビ東京系で放送)という番組をプロデュースしていた。

司会が、渡辺徹さんとこずえ鈴(りん)チャン。毎回、マリオバディ(バディは相棒の意味)と名づけた複数の子どもたちが、ゲームをしたり(任天堂の一社提供だった)、様々な挑戦(カトリーヌあやこサンにイラストを習ったり)をしていた。私の狙いとしては、テレビの中に<架空の学校>を作ってみようと思ったのだ。

この番組を始める際、マリオバディとして出演する子どもたちを、オーディションで選んだ。対象は、小学校高学年から中学生までの男女。集まった子どもたちの中には、すでに「子役」としてドラマやCMで見たことのある顔もあったし、これが「子役」としての初オーディションという子もいた。できるだけ、まっさらな”新人”を選んだ。

彼らは、収録を重ねるごとに、本当のクラスメートのような、仲間のような雰囲気になっていき、最後の頃は立派なユニットとして画面の中で生き生きと動いていた。そう、彼らは番組を通じて「プロ」になっていったのだ。

ちなみに、この時のマリオバディの一人が、『涼宮ハルヒの憂鬱』などの声優として人気者となった平野綾さんである。元気な笑顔の13歳だった「アヤちゃん」も、今は29歳のオトナだもんなあ(笑)。

かつての「天才子役たち」と、かつての「天才子役」が対談するという、ちょっと変わった本がある。中山千夏『ぼくらが子役だったとき』(金曜日)だ。

ただし、年齢的に、私は千夏さんの子役時代の舞台もドラマも見ていない。私にとって最初の<ちなっちゃん>は、1960年代の人形劇『ひょっこりひょうたん島』(NHK)の天才少年・ハカセの声だ。ハカセ、懐かしいねえ。

その後は、突然、70年代。学生時代の愛読誌の一つ『話の特集』で”再会”する。それから、『話の特集』が母体みたいな政治団体「革新自由連合」の活動が始まり、千夏さんは革自連の闘士(?)といった感じ。80年には参議院議員になっちゃった。現在は著述家であり、市民運動家でもある。

さて、対談集『ぼくらが子役だったとき』。

ここには、14人の元「子役」が登場する。松島トモ子・小林綾子・長門裕之・浜田光夫・四方晴美・柳家花緑・小林幸子・和泉雅子・水谷豊・風間杜夫・矢田稔・弘田三枝子・和泉淳子・梅沢富美男。豪華メンバーだ。

リアルタイムで子役として知っているのは、四方晴美、水谷豊、小林綾子あたりだろうか。だが、直接その子役姿を見ていない人たちの話も面白い。

特に、「オトナばかりの中で働く、(普通の)子どもらしからぬコドモ」という共通点はあるものの、彼らがオトナをどう見ていて、自分というコドモをどう感じていたかという点は、意外や結構ばらばらだった、というところだ。

千夏さんによれば、子役とは「オトナ社会を子どもが生きる体験」である。この対談集で語られていることのいくつかは、「実年齢よりも幼い」と言われてしまう昨今の「新社会人」や「新人君」が、会社や社会で”体験”していることにも通じるような気がする。ふーむ、新人君は子役だったのか!?

【気まぐれ写真館】 信州から謹賀新年 2017.01.01

2017年01月01日 | 気まぐれ写真館



故郷の信州から、
謹賀新年です。

2017年も
どうぞよろしく
お願いいたします!


碓井 広義

「SMAPノムコウ」にも、きっと何かが待っている

2017年01月01日 | メディアでのコメント・論評


オピニオンサイト「iRONNA」に、SMAP解散について、以下のコラムを寄稿しました。


「SMAPノムコウ」にも、
きっと何かが待っている

2016年12月31日をもって、解散することになったSMAP。あらためて、その軌跡を振り返り、また彼らの今後について考えてみたい。

SMAPが結成されたのは1988(昭和63)年である。翌89年1月には、年号が昭和から平成へと変わった。SMAPは昭和最後の年に誕生したアイドルグループなのだ。

CDデビューが91年。この年は、いわゆる“バブル崩壊”の年であり、そこから「失われた20年」とか、「失われた25年」などといわれる年月が始まった。つまり実質的には25年間の活動だったSMAPは、“平成という名の長い低成長期”と共に歩んできたわけだ。

そんなグループが、天皇の譲位が話題となってきた今、解散する。そう聞けば、「時代の変わり目」といった言葉をつい連想してしまう。確かに、“ひとつの時代”の終幕を象徴する出来事なのかもしれない。

また、多くのヒット曲を持つSMAPだが、彼らの「シングル売上げランキング」のトップ10を見ていると、意外に思うことがある。

1位の「世界に一つだけの花」(2003年)と、3位の「ライオンハート」(00年)の2曲を除けば、他は第2位の「夜空ノムコウ」をはじめ全てが90年代の楽曲なのである。音楽的なピークは90年代だったとも言えるのだ。

それにも関わらず、現在までSMAPとして存続してこられたのは、5人それぞれが単独活動も可能な才能を持っていたからであり、その集合体としてのグループが輝いていたからだ。

2017年から、「SMAPのいない芸能界」、そして「SMAP不在の時代」が始まる。寂しいことではあるが、ファンはもちろん、業界もまた受け入れるしかない。そして、慣れていくしかない。

その一方で、5人の新たな活躍を見る楽しみが待っていると思いたい。ただし、乱暴な予想としては、5人とも「ソロ歌手」という選択はしないだろう。音楽的に、個人でSMAPの実績を超えるのは、かなり難しい。むしろ音楽以外の場、タレントや俳優としての活動が中心になるはずだ。

キムタクドラマから木村拓哉ドラマへ

まずは木村拓哉だが、今後、ますます演技力に磨きをかけるだろう。その萌芽は、すでに2015年春のドラマ『アイムホーム』(テレビ朝日系)にあった。これは、いわゆる“キムタクドラマ”ではなかったのだ。脚本も演出も脇役も、ひたすら木村をカッコよく見せることだけに奉仕するのがキムタクドラマなら、この作品は違った。そこにいたのは“キムタク”ではなく、一人の俳優としての“木村拓哉”だった。

主人公は、事故で過去5年の記憶を失った家路久(木村)。なぜか妻(上戸彩)や息子の顔が白い仮面に見えてしまう。彼らへの愛情にも確信がもてない。その一方で、元妻(水野美紀)と娘に強い未練をもつ自分に戸惑っている。

原作は石坂啓の漫画で、仮面が邪魔して家族の感情が読み取れないというアイデアが秀逸だった。その不気味さと怖さはドラマで倍化しており、見る側を家路に感情移入させる装置にもなっていた。

自分は元々家庭や職場でどんな人間だったのか。なぜ結婚し、離婚し、新たな家族を持ったのか。知りたい。でも、知るのが怖い。そんな不安定な立場と複雑な心境に陥ったフツーの男を、木村拓哉がキムタクを封印して誠実に演じたのが、このドラマだ。

何より木村が、夫であり父でもあるという実年齢相応の役柄に挑戦し、きちんと造形していたことを評価したい。今後は、顔の細部を動かすようなテレビ的演技だけでなく、たたずまいも含め、全身で表現できる役者を目指してもらいたいと思う。

年明け早々に始まる医療ドラマ、TBS日曜劇場『A LIFE〜愛しき人〜』が、旧来の“キムタクドラマ”の延長にあるのか、それとも“木村拓哉ドラマ”の確立となるのか。当面の試金石だろう。

俳優・草彅剛とMC・稲垣吾郎の展開

木村と同様、俳優としての才能を生かしそうなのが草彅剛だ。2016年1月クールに放送された『スペシャリスト Specialist』(テレビ朝日系)に注目したい。

無実の罪で10年間服役していた刑事・宅間(草彅)という設定が意表をついていた。刑務所で学んだ犯罪者の手口や心理など、いわば“生きたデータ”が彼の武器だ。

草彅は、飄々としていながら洞察力に秀でた主人公を好演。また、ひと癖ある上司(吹越満)や、勝手に動き回る宅間に振り回される女性刑事(夏菜)など、脇役陣との連携も巧みだった。

年明けの1月クール、草彅は『嘘の戦争』(フジテレビ系)で主演を務める。冤罪だった父親のために詐欺師となって復讐を果たす男の役だ。誠実そうな風貌の草彅だからこそのキャスティングであり、そのギャップをどれだけ見せられるかが勝負だ。

3人目は稲垣吾郎である。三谷幸喜監督『笑の大学』(2004年)や三池崇史監督『十三人の刺客』(2010年)、また今年春のドラマ『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)などが印象に残る。いずれも、いわゆる主演ではないものの、しっかりと存在感を示していた。

中でも、『十三人の刺客』が強烈だった。稲垣は役所広司たち刺客の敵であり、悪役である将軍の弟。この“狂気の人”を、想像以上の迫力で見事に演じていたのだ。今後も、稲垣の持ち味を生かせる役柄であれば、主役・脇役を問わず出演すべきだと思う。

また同時に、ブックバラエティ『ゴロウ・デラックス』(TBS系)で見せる、実に自然体なMCがとても魅力的だ。今月放送された、みうらじゅんと宮藤官九郎がゲストの前後編でも、これだけ個性の強い面々を相手に、自分を見失わず、しかも自分の性癖さえ適度にはさみみ込みながらトークを展開していた。これは立派な才能であり、今後はもっと活用すべきだ。

不透明な香取慎吾と、中居正広の「兄貴路線」

そして香取慎吾だが、実は5人の中で、今後が一番見えにくい。NHK大河ドラマ『新選組!』(2004年)や、『薔薇のない花屋』(2008年、フジテレビ系)での好演は記憶にあるが、2016年夏のTBS日曜劇場『家族ノカタチ』は、あまり感心できなかった。

繰り返される「結婚できないんじゃなくてしないんだ」という台詞が象徴するように、こだわりが強くて独身ライフを謳歌(おうか)しているという設定が、阿部寛主演の『結婚できない男』(フジテレビ系)とイメージがダブったのは仕方ないにしても、香取演じる独身男は、他人を拒否し、いつもイライラしていて不機嫌な人にしか見えなかった。

もちろん脚本や演出に従っただけかもしれないが、香取が俳優としてどのように進んでいきたいのかが、見る側に伝わってこなかったのだ。

あとは、テレビ朝日系『SmaSTATION!!』(スマステーション!!)のようなバラエティーということになるが、今回のSMAP解散への過程を経て、どこか香取自身が以前と比べて楽しんでいるように見えない。むしろ痛々しささえ感じてしまい、視聴者側も手放しで楽しめなくなっている。年が明けたら気分を一新し、今後の方向性を打ち出していって欲しい。

最後は中居正広だ。ドラマ『ATARU』(2012年、TBS系)は、主人公の特異なキャラクターが功を奏して適役だった。しかし、その後の『新ナニワ金融道』(2015年、フジテレビ系)などでの演技は、あまり進化しているように見えず、困った。

恐らく今後も、俳優としてより、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)など自身の冠バラエティーで活躍していくのではないか。今年、「ベッキー復帰問題」で見せた、芸能界の“ちょっとヤンチャな愛すべき兄貴”といったポジションも悪くないだろう。ただし、キャリアとしては実質的な大物になっているだけに、逆に大物風の言動にならないよう、気をつけたい。

SMAPノムコウ

2016年1月、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で行われた異様な“生謝罪”に象徴される、後味の悪い独立騒動。そして、どこかスッキリしないまま、終幕を迎えた解散劇。

この1年で、5人のイメージは明らかにダメージを受けた。かつてのように、素直に彼らを見て楽しめない“しこり”が残ってしまった。どんなに取り繕っても、それは事実だ。

今後、5人はそれぞれに、この現実を踏まえて芸能活動を行っていくことになる。いや、実際の活動を通じて、イメージを回復し、しこりを解消していこうと努力するだろう。

“夜空ノムコウ”には明日が待っていたが、“SMAPノムコウ”にも、きっと何かが待っているはずだ。たとえそれが、「あのころの未来」とは違っていたとしても。

(iRONNA 2016.12.31)