札幌 2019
<週刊テレビ評>
2019年を振り返る
戦争伝えなかった夏の民放
今年のテレビ界を振り返ってみたい。まずドラマだが、最も熱かったのが4月クールだ。「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)は働き方と生き方の関係を描く、社会派エンターテインメントの秀作だった。
主人公は残業をしない中堅社員、東山結衣(吉高由里子)。かつて恋人(向井理)が過労で倒れたことなどから、働き過ぎを警戒し、定時で帰ると決めている。しかし、その働き方には工夫があり、極めて効率的だ。「会社のために自分があるんじゃない。自分のために会社はある!」という宣言も多くの共感を呼んだ。
同じ時期、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちが登場するドラマも同時多発した。
ゲイの男性教師(古田新太)が主人公の「俺のスカート、どこ行った?」(日本テレビ系)。男性2人(西島秀俊、内野聖陽)の同居生活を描く「きのう何食べた?」(テレビ東京系)。年上の恋人(谷原章介)がいる高校生(金子大地)が女性との恋に悩む「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」(NHK)などだ。いずれも「ダイバーシティ(多様性)」を表象したドラマで、自分らしい生き方を求める時代であることが伝わってきた。
次にバラエティーだが、7月に「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)の「やらせ疑惑」に関して、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が意見書を公表した。問題となったのは2017~18年に放送されたタイの「カリフラワー祭り」やラオスの「橋祭り」など。
宮川大輔が世界各地の珍しい祭りに参加する人気企画だが、BPOは二つの「祭り」は伝統的なものではなく、番組のために現地で用意されたものとしながら、「重いとは言えない放送倫理違反」と結論付けた。バラエティーとはいえ、ドキュメンタリー的要素が強い企画だっただけに、制作側の姿勢が問われる事案となった。
8月3日からの2週間、NHKは十数本の戦争関連番組を流した。その中にはNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」やETV特集「少女たちがみつめた長崎」などの秀作があった。
一方、民放にはこうした番組がほとんど見当たらない。マスメディアの影響力は、何かを「伝えること」だけにあるのではない。何かを「伝えないこと」による影響も大きい。戦争のことを思う時期である8月ですらも、そうした番組を流さないとすれば、視聴者が戦争や平和について考える機会を奪うことになる。テレビのジャーナリズムとしての存在意義が問われる事態だった。
(毎日新聞「週刊テレビ評」 2019.12.14)
週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。
シン・ゴジラの乱杭歯の秘密とは?
倉谷滋『怪獣生物学入門』
インターナショナル新書/968円
1960年代は「怪獣」の全盛期だ。東宝の『ゴジラ』シリーズが毎年のように公開され、テレビの『ウルトラQ』や『ウルトラマン』が人気を集めていた。
当時、怪獣に関する知識を提供してくれたのが「怪獣博士」こと大伴昌司だ。雑誌に掲載された「怪獣図解」は、怪獣たちの身長や体重といったデータから体内の構造までを明らかにする画期的なものだった。大伴の解説が持つ独特の世界観とリアリティが怪獣ファンを魅了したのだ。
そんな「大伴の生徒たち」にとって、倉谷滋『怪獣生物学入門』は手に取らずにいられない一冊だ。とはいえ、そこには一種の警戒感もある。「形態進化生物学者」の著者によって、怪獣がアカデミズムの立場から検証され、存在自体を否定されたら辛い。怪獣がフィクションであることを承知で楽しんでいるからだ。
しかし、それは杞憂だった。本書は、「もしそれが本当に起こったなら」を前提に、科学的事実や法則という側面から怪獣を捉え直す試みである。
もともとゴジラはどこに棲んでいたのか。宇宙怪獣キングギドラはなぜ地球の脊椎動物と類縁性を持つのか。マタンゴになることは感染なのか。「ウルトラ怪獣」のジラースが持つエリマキの構造と機能とは。さらに、『シン・ゴジラ』のゴジラが見せた乱杭歯(らんぐいば)は何を意味するのか。
こうした設問に答えていく著者の筆致は喜びに満ちている。科学者であると同時に、年季の入った無類の怪獣好きでもあったのだ。
(週刊新潮 2019.11.14号)
羽田 2019
自分の内部に聞き耳をたてること。
その訓練を積むこと。
そして、
勇気を出して、
少しずつ自分の内部の声に従うこと。
中島義道 「哲学者とは何か」
松重豊が五感を刺激する
「孤独のグルメ」の共有する楽しみ
2012年に始まり、今回がシーズン8となる「孤独のグルメ」。主人公の井之頭五郎(松重豊)も、仕事で訪れた街で味わう「一人飯」という構成も不動のままだ。いわば不変という名のオアシスがここにある。
さらに、このドラマの名物である、五郎の「実況中継風モノローグ」も変わらない。いや、ますます絶好調だ。たとえば、御茶ノ水にある南インドカレーの店。定食のサントウシャミールスを前に「カレーの香りに黄色い魔女が住んでいる」。そして食べた瞬間、「見た目と味が頭の中ですれ違っている!」の名言だ。
また豪徳寺で食したのは、ぶりの照り焼き定食。ご飯を、脂が乗った「ぶりの皮」で包み、口に運ぶ。「いい時間だ。これが俺には必要なんだ」と納得し、同時に「定食のかけがえのなさを人は忘れがちだ」と自戒する。
先週は、台風前にロケが行われたと思われる、あの武蔵小杉だった。タワーマンションの足元にある、昔ながらの飲み屋街でジンギスカンの店を見つける。
羊の肩ロースであるチャックロールやもも肉などを、網焼きと鍋焼きで堪能する五郎。「羊たちの猛攻に胃袋がサンドバッグ状態」と、うれしい悲鳴だ。「欲望のままに羊をかっ食らう。俺はヒグマだ!」の雄たけびに笑ってしまう。
見る側も五郎の言葉と表情に五感を刺激され、一緒に味わっている。孤独ならぬ共有のグルメだ。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2019.12.18)
正しい進化を遂げた「ドクターX」
2012年に放送を開始した米倉涼子主演「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日-HTB)。今期がシリーズ第6弾となる。「不動の定番」などと呼ぶのは簡単だが、長年にわたって高い人気を持続するのは容易なことではない。ではなぜ、このドラマはそれが可能なのか。
シリーズ物が衰退する時、最大の要因は制作側と出演者の「慢心」にある。安定と長期化にあぐらをかき、緊張感がゆるんでいく。ストーリーがワンパターンの繰り返しとなれば、視聴者は飽きてしまう。自己模倣と縮小コピーに陥って消えたシリーズ物は数多い。
そうならないために必要なのは「現状維持」ではなく、「正しい進化」だ。ただし、ドラマの基本となる「世界観」は変えてはならない。大枠は「いつもの、あれ」でありながら、細かな部分は世の中の動きを反映させていく。しかも柔軟に変えていくのだ。それをこのシリーズは実現している。
今期の舞台である東帝大学病院では、最新のAI(人工知能)が手術の現場を仕切っている。執刀医たちはAIの指示で動くロボットのようだ。しかも、AIの言いなりになっているうちに患者の命が危うくなる。それを救うのが大門(米倉)だ。
第2話では、2人の患者の肝臓移植を連続して行う「生体ドミノ肝移植」という離れ業も披露された。しかも治療で優遇される富裕層と、病室から追われる貧困層を対比させ、「命の格差」の現状を描いていた。AIも格差社会も、今どきのリアルを巧みに織り込んだ展開が見事だ。
次が物語の重層構造化である。たとえば第4話では陸上選手の「滑膜肉腫」が主題かと思いきや、外科部長(ユースケ・サンタマリア)の母親(倍賞美津子)の「水頭症」を発見し、手術を成功させた。また第6話では「後腹膜原発胚細胞腫瘍」の少女が登場したが、彼女を自分の売名のために支援していた青年実業家(平岡祐太)の「肝細胞がん」のほうが本命の手術だった。
ある患者の難しい手術が見せ場と思わせて、途中から別の患者のもっと困難な現場へと移っていく。2階建てのストーリーというか、「1話で2度おいしい」贅沢(ぜいたく)を楽しめるのだ。
大門の天才的外科手術と組織内の人間模様。いつもと変わらぬ「ドクターX」ワールドを堅持しながら、適度な「新規性」や「意外性」を盛り込んでいく。その絶妙なバランスこそが、このドラマを「2010年代」を代表するシリーズの1本に押し上げている。
(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2019.12.07)
NHK「パラレル東京」
地震描写が息をのむほどリアルだった
先週、月曜から4夜連続で放送された、ドラマ「パラレル東京」。首都直下地震を描くシミュレーションドラマだった。物語の舞台は架空の民放テレビ局だ。このドラマの放送初日と同じ12月2日、夕方の東京をM7・3の巨大地震が襲う。テレビ局のスタジオでは、スポーツ担当の倉石美香(小芝風花、好演)が急きょ、キャスターを務めることになる。
まず、ドラマとはいえ「どこで、どんなことが起きるか」の描写が具体的かつリアルで、見ていて息をのむほどだった。それは被害予測など最新の研究データに基づいているためだ。
初日の建物崩壊、火災同時発生、群衆雪崩。2日目の火災旋風、デマによる情報混乱、広域通信ダウン。3日目には避難所の食料不足、通電火災、閉じ込め被災者救出の難航。そして4日目は余震による土砂崩れ、堤防決壊の危機も迫る。
一方、こうした状況を伝え続けるメディア側も多くの葛藤を抱える。行政も機能停止する中、「未確認だが重要な情報」をどうするのか。テレビの呼びかけで多くの命が救われる場合も、その逆もあり得るからだ。キャスターの美香も悩むが、政府に忖度(そんたく)して躊躇(ちゅうちょ)する上司(室井滋)に向かって叫ぶ。
「起きたことを伝えるだけの報道に意味はあるんですか!」
たった今から準備をしよう。見る側にそう思わせてくれた意義は大きい。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2019.12.11)
コカ・コーラ 自販機キャンペーン
「世界一カフェ」篇
いつもの自販機 私には「世界一」
北陸のどこかにある町。女子高生(古川琴音、紫乃)にとって、海辺のバス停のベンチは「特別な場所」だ。座るのも寝そべるのも自由。自販機があり、たった130円で、まったりとお茶できる。
周囲に誰もいないから、秘密を打ち明けても大丈夫だ。「ねえ。やっぱし東京にするわ、大学」と琴音さん。平気を装いながら「ほうけ」と応じる紫乃さん。
「ほやけど、ここが世界一のカフェやわいね」と琴音さんが続けると、紫乃さんはすかさず「オーシャンビューやし」と笑いかける。2人の個性的な少女と、あたたかみのある方言が印象に残るが、実はこれ、飲み物ではなく自販機のキャンペーンCMなのだ。
さらに琴音さんが海に向かって「東京オ~、待っとれやア~!」と叫ぶ。すると紫乃さん、やはり海に向かって大声で「この娘(こ)、頼むさけなア~!」。かけがえのない故郷の親友も、自販機が待つカフェも、やっぱり世界一だ。
(日経MJ「CM裏表」2019.12.09)
2019年師走の半月
人間にとっての
正しいあり方は、
「勝とう」と考えるよりも、
「負けない」と考えることだと
思います。
橋本 治「負けない力」