碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「 ザ・まるごとレモン」CMの姉弟(小池栄子・永山瑛太)が可笑しい

2021年06月16日 | 「日経MJ」連載中のCMコラム

 

 

「なんぞ……」で表す家族の時間

サントリー -196℃ ザ・まるごとレモン

「姉と弟とまるごと篇」

 

永山瑛太さんは三人兄弟の真ん中だ。兄の竜弥さんは俳優で写真家。弟の絢斗さんも俳優をしている。

姉や妹はいないのだが、小池栄子さんが実の姉だと言われても信じてしまいそうだ。それくらいサントリー「-196℃ ザ・まるごとレモン」のCMでの姉弟役が似合っている。

瑛太さんに「姉ちゃん、最近驚いたことある?」と聞かれ、「ああ?」と気のない返事の小池さん。

「これ、飲んでみ」とグラスを渡され、一口飲んだ途端に衝撃を受ける。

「なんぞ、これ!」と絶叫する姉。思わずニンマリする弟。普段は強い姉の言いなりであろう弟が、珍しく主導権を握った貴重な瞬間だ。

このCMに誘発され、さっそく実際に飲んでみた。ウオッカとレモンのバランスが絶妙で、小池さんの驚きも当然だ。つい「なんぞ……」と言いかけてしまう。

〝家飲み〟が日常化してずいぶん経った。飲み過ぎに注意は必要だが、終電を気にしなくていいだけでなく、家族とのコミュニケーションという意味でも悪くない。

(日経MJ「CM裏表」2021.06.13掲載)

 


伝説のプロデューサーが語る、「情報番組」が熱かった時代

2021年06月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

伝説のプロデューサーが語る、

「情報番組」が熱かった時代

 

朝の情報番組が様変わりしてから、2ヶ月以上が過ぎました。
 
立川志らくさん司会の「グッとラック!」(TBS)が、お笑いコンビ「麒麟(きりん)」の川島明さんで「ラヴィット!」に。
 
スタジオはお笑いタレントさんでにぎやかです。時事ネタがなくなり、コンビニスイーツや生鮮食品といった、チラシ広告的な情報が中心となりました。
 
また小倉智昭さんが長年司会を務めた「とくダネ!」(フジテレビ)は、俳優の谷原章介さんを起用した「めざまし8」に変わりました。
 
こちらは基本路線を継承しており、政治や経済からエンタメ情報までが並んでいます。
 
谷原さんの司会は危なげないし、視聴者の高齢化対策という意味では成功と言えそうです。
 
幅広い対象に迫る「情報番組」
 
今や、「情報番組」全体が、衣食住に遊びを加えたような「生活情報」を軸とする番組と思われているようです。
 
しかし、元々「情報番組」は、もっと幅広い対象にさまざまな角度から迫れるジャンルでした。
 
それは先日出版された、太田英昭著『フジテレビプロデューサー血風録 楽しいだけでもテレビじゃない』(幻冬舎)を読むとよく分かります。
 
太田さんは、フジテレビのプロデューサーを経て情報制作局長となり、フジ・メディア・ホールディングス社長や産経新聞会長を歴任した人物です。
 
フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」を標榜(ひょうぼう)していた1980年代後半に、情報番組の新機軸として、逸見政孝さんを司会に『なんてったって好奇心』を立ち上げます。
 
その後もニュースを深掘りする『ニュースバスターズ』、趣味性の強いカルチャー番組『ワーズワースの庭』、さらに『とくダネ!』も手掛けました。
 
『なんてったって好奇心』の熱気
 
中でも『なんてったって好奇心』は、太田さんというリーダーと同じく、異様な熱気に満ちた情報番組でした。
 
「全部見せます!プロ野球中継の裏側」といった企画から、「世界初公開!これがソ連監獄・酷寒の女囚達はいま」などの潜入物まで、硬軟両方の素材に挑んでいったのです。
 
中には、〝フォークの神様〟岡林信康さんがリポーターとなって、東京で暮らす外国人労働者の素顔と生活に迫ったものや、「秘宝切断 日本に眠るアンコールワット仏の謎」といった美術ミステリーも。
 
ドキュメンタリーとエンタテインメントの境目を行くのが持ち味で、肩に力が入っておらず、親しみやすさの中に知りたいことへの執念を秘めていました。
 
そして何かトラブルが起きれば、太田さん自身が修羅場に乗り込んだ。
 
とはいえ今、『好奇心』を、そのまま復活させるのは困難です。予算や人員など、できない理由がたくさん挙がるはずです。
 
しかしそれ以前に、作り手側の「知りたい」「伝えたい」という、一種の熱狂のようなものが、どれくらいあるかでしょう。
 
もし、それがあるなら、先が見通しづらい社会にアプローチする「手法」として、情報番組はもっと生かされていいかもしれません。

今期ドラマに「漫画家」と「編集者」が大量発生したのは、なぜ?

2021年06月14日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

今期ドラマに

「漫画家」と「編集者」が

大量発生したのは、なぜ?

 

ドラマにおいて、同じジャンルが同時多発すること自体はよくあります。刑事ドラマとか、医療ドラマなどですね。
 
今期、目立ったのが恋愛ドラマです。しかも、「漫画家」や「編集者」が登場する作品が並びました。
 
まず『レンアイ漫画家』(フジテレビ)の主人公は、少女漫画家の刈部清一郎(鈴木亮平)です。
 
恋愛漫画のネタを求めて、無職だった久遠あいこ(吉岡里帆)を雇い、「疑似恋愛」を命じました。
 
雇用関係から生まれる恋愛というわけですが、設定と配役に、やや無理があったのではないでしょうか。
 
次が、『あのときキスしておけば』(テレビ朝日)の漫画家、唯月巴(麻生久美子)です。
 
彼女は旅行中の事故で亡くなり、「魂(たましい)」だけが見知らぬ男、田中マサオ(井浦新)に乗り移りました。
 
井浦さんは「内面が女性の男性」を好演しているのですが、「入れ替り物語」という意味での新規性は薄かったと思います。
 
また、主人公が編集者のドラマとしては、北川景子主演『リコカツ』(TBS)があります。
 
ファッション誌の編集者だった咲(北川景子)は、航空自衛官の緒原紘一(永山瑛太)とスピード結婚しますが、別れるのも早かった。
 
離婚したことで相手や自分の本心が見えてくるという展開には、ちょっと目新しいものがあります。
 
そして、『カラフラブル』(読売テレビ制作・日本テレビ系、放送終了)のヒロイン、町田和子(吉川愛)は漫画誌の編集者。
 
しかし、そのエネルギーはもっぱら美形の男性スタイリストなどに向けられ、あまり熱心に仕事をしているようには見えませんでした。
 
『リコカツ』の咲も、そして和子も、編集者の仕事より私生活のほうが忙しいという印象です。
 
なぜ、これらの恋愛ドラマで、「漫画家」や「編集者」がもてはやされるのか。
 
それは、制作側にとっての「望ましいイメージ」があるからでしょう。
 
人気漫画家なら、我がままでエキセントリックなのも当たり前。突飛な行動も許される。
 
編集者は自由度の高い職業で、好きな時に、様々な人と会うことができる、といったイメージです。
 
実際の漫画家や編集者がどうなのかはともかく、制作側には、ストーリーに沿って自在に操れる、使い勝手のいいキャラクターだと思われている。
 
でも、その発想って安直であり、やや陳腐です。
 
一方、こちらには、いわゆる恋愛ドラマではありませんが、全力で記事を作る女性たちがいます。
 
NHKドラマ10『半径5メートル』です。
 
主人公の前田風未香(芳根京子)は、女性週刊誌の生活情報班に所属しており、「半径5メートル」に象徴される身近なネタを、視点を変えながら深掘りしていきます。
 
指南役は、ベテランフリーライターの亀山宝子(永作博美)。
 
彼女は、たとえば料理における「手作り」の意味が曖昧なことを明らかにしました。
 
また、アンティークチェアを使って人と物の関係を探る実験を行うことで、「断捨離ブーム」を検証したりします。
 
自分の流儀で仕事を進める亀山と、取材を通じて「ものの見方」が深まっていく風未香。
 
時々、風未香の恋愛模様も描かれますが、何と言っても、2人の記事作りのプロセスがスリリングです。
 
ドラマは現実を映す鏡。仕事も恋愛も、ひと筋縄ではいかないところに、醍醐味(だいごみ)があるのではないでしょうか。
 

【書評した本】 適菜収『コロナと無責任な人たち』

2021年06月13日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

コロナがあぶりだす無責任な行動、言説

適菜収『コロナと無責任な人たち』

祥伝社新書 946円

もう1年半近く続いているコロナ禍。危機も日常化すると感覚が麻痺してくる。それにしても、なぜこんなことになったのか。この状況をどう捉えたらいいのか。立ち止まって考える時、刺激は強いが参考になる一冊として、適菜収『コロナと無責任な人たち』がある。

昨年3月以降の新型コロナ感染の拡大は人災であり、この国の危機管理の脆弱性が招いたと著者は言う。特に、平時はもちろん緊急時にも「その場しのぎの嘘」をつく、安倍晋三という政治家が国のトップにいたことが不幸だったと。

たとえば自粛を要請する一方で、ブレーキとアクセルの踏み間違いのような「Go Toキャンペーン」に充てた、1兆6794億円の税金。医療体制の拡充やワクチン開発に投入していたらと思わずにいられない。しかも次に首相となった菅義偉は、失政の安倍政権を支えてきた人物だ。「森友問題」の公文書改竄事件も、「桜を見る会」の権力私物化も、事実隠蔽で乗り切ろうとしてきた。国家や国民を軽視する姿勢はコロナ対策でも一貫している。

この2人をはじめ、著者は「無責任な人たち」とその蛮行を挙げていく。「ファクト」を無視する小池百合子東京都知事。「命の選択」を安易に口にする吉村洋文大阪府知事などだ。

さらに、医師でも感染症の専門家でもない人たちが展開する、無責任な言説にも釘を刺す。著者が指摘する「ナショナリズムの衰退と国家の機能不全」の実態と危うさが見えてくる。

(週刊新潮 2021年6月10日号)

 


【気まぐれ写真館】 3度目の「重版出来!」 感謝です!!

2021年06月12日 | 気まぐれ写真館

「六月十日 四刷」の文字。ありがたいいことです。

 

全国の書店さんにも、お世話になっております!

 


「大豆田とわ子と三人の元夫」について、朝日新聞のインタビューを受けました

2021年06月11日 | メディアでのコメント・論評

 

 

 

「大豆田とわ子」識者はこう見る 

「坂元さんは確信犯」

 

放送中のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」(フジ系、火曜夜9時)が15日に最終回を迎えます。脚本は、「最高の離婚」「カルテット」などを手がけた坂元裕二さんによるオリジナルで、ドラマ好きをうならせています。

識者はどう見るのか。メディア文化評論家で、多くのドラマ評論を手がける碓井広義さんは、その過去作から「ホップ・ステップ・ジャンプした」と言います。そのわけは――。(8話までのネタバレになる内容が含まれています)

ストーリーよりセリフ

 ――「大豆田とわ子と三人の元夫」の印象は。

坂元さんの「実験作」であるというのが全体の印象です。ドラマ作りの固定観念に縛られないことを意図してやっているように思えます。

 ――どういう点が実験作なのですか。

一つは「脱ストーリー」という点です。このドラマは極端に言えば、起承転結がなく、粗筋に意味はありません。ストーリーに頼らないドラマに挑戦しているからです。

どんなドラマでも、例えば、何かが起きて恋が生まれたり、何かの危機にさらされて乗り越えたりといった起伏があるものです。しかし、その辺をとっぱらっている印象です。

ストーリーに代わって、全力投球している印象を受けるのが、登場人物のセリフです。セリフは、人物のそれぞれの個性と関係性から生まれるもの。「ストーリーを追っかけるよりも、セリフを聞いてくれよ」「彼らの関係性を面白がってくれよ」。そんな坂元さんの声が聞こえるような気がします。

 ――他に新しい点はありますか。

「脱ストーリー」の次に挙げるとしたら、「脱ジャンル」です。

個性的な登場人物たちから生まれる関係性は、恋愛ドラマでもないし、お仕事ドラマとも言いがたい。ジャンルにとらわれないドラマだと言えるでしょう。個性的な登場人物がいて、日常にこそドラマがあることを映し出しているのではないでしょうか。

視聴者を共犯者に

 ――俳優の伊藤沙莉(さいり)さんが癖になるナレーションをしています。ドラマの冒頭、今週あった出来事として全体の説明をしますが、どんな意図があると思いますか。

最近は、なくなってしまいましたが、「火曜サスペンス劇場」といった2時間ドラマで使われていた「アバンタイトル」ですね。最初に見どころなどをダイジェスト的に見せて、視聴意欲をかき立てます。しかし、このドラマでは、それを見て展開を予想しても、裏切られる。面白い試みです。

 ――大豆田とわ子がタイトルコールをします。どんな意味があるのでしょうか。

これも画期的なのですが、タイトルコールは、松たか子さんではなく、ドラマの架空の人物、大豆田とわ子が視聴者に語りかけています。

なぜか。思うにこのドラマは、単なるフィクションではないと視聴者に伝えているんだと思います。物語の登場人物が語りかけるのは、「あなたは私のことを見ているけれど、私もあなたのことを見ているわよ」ということ。つまり、ある種の風刺や教訓とかが入った寓話(ぐうわ)だと捉えてほしいのです。

人によっては引いてしまうかもしれないけれど、一方で目が離せなくなる人もいる。視聴者を目撃者、共犯者にする効果があるのでは。

固定観念に縛られない関係性

 ――坂元さんの過去作と比較して、今作はどういう位置付けにありますか。

「最高の離婚」(フジ系、2013年)「カルテット」(TBS系、17年)、そして「大豆田とわ子と三人の元夫」の流れで見ています。

「最高の離婚」はキャッチフレーズのように言えば「離婚から始まる好き」。坂元さんはずっと「結婚は恋愛のゴールですか?」と投げかけている。

「カルテット」は、舞台のようなセリフ劇をドラマでどこまで成立させられるか挑戦したものでした。しかも、サスペンスの要素も入っていたので、登場人物の言動の不一致が、ハラハラドキドキ感を生み、視聴者は一生懸命、言葉の裏側を読み取ろうとしました。

そして今放送中の「大豆田とわ子と三人の元夫」です。「最高の離婚」に続き、「男女が恋愛をし、結婚して家庭を築く」といった固定観念に縛られない関係性を描いている。その象徴の一人が、亡くなってしまったとわ子の親友・かごめだと思うんですよね。

 かごめは男性に好意を寄せられても、こんなセリフを言います。「恋愛が邪魔。女と男の関係がめんどくさいの。私の人生にはいらないの。そういう考えがね、寂しいことは知ってるよ。実際たまに寂しい。でもやっぱり、ただ、ただ、それが、私なんだよ」(4話)

かごめという人物は、男女の関係が面倒くさいという今の若者の気持ちをすくい取っているのかもしれません。1人でいることは孤独ではないし、孤独は悪ではない。男と女の関係も同性同士の関係性も、決まった正解などないと示唆しています。

また、「カルテット」で試みたセリフだけで、どれだけ人間関係を含めて人間の本性というか描けるかという実験もある。「カルテット」では、サスペンス要素がストーリーを構成しましたが、今回はとっぱらってしまった。関係性とセリフだけでドラマを作っていて、過去2作からホップ・ステップ・ジャンプしたと考えています。

「無意識過剰」の人たち

 ――松田龍平さん、角田晃広さん、岡田将生さんが演じる元夫たちの描き方はどうでしょうか。

他人の目を過剰に気にすれば自意識過剰と言われますが、このドラマに登場する人物はみんな逆です。周りからどう見られるか、あまり気にしていない「無意識過剰」の人たち。一方で、元夫たちとかかわりをもった、3人の女性たち(石橋静河(しずか)ら)の自意識とは異なりますよね。

 ――元夫たちは社会的な地位が高いといわれそうな職に就いています。

とわ子は社長で、最初の元夫・田中(松田)はレストランのオーナー、2人目の佐藤(角田)はファッションカメラマン、3人目の中村(岡田)は弁護士です。はたから見たら、うらやましい生活であり、社会的な地位や階層は高いかもしれない。皆どこか高等遊民的な部分があり、周りからどう見られるか、あまり気にしていない人物で、とわ子を含め4人は、周りから少しずつはみ出している部分がある。

そこをどう感じるかによります。「面白いな」「いとおしいな」と思えた人は、はまってしまう。逆に、面倒だと敬遠する人もいる。それが視聴率にも表れているのではないでしょうか(8話までの関東地区の世帯視聴率は5・5~7・6%、ビデオリサーチ調べ)。

ストーリーがなくて、登場人物もとらえどころがない。このドラマの楽しみ方がわからないと言う人がいてもおかしくありません。逆に、はまった人はそれらが魅力に感じる。つまり、こんなドラマは今までにないじゃんと。民放のドラマで可能なギリギリを攻めている坂元さんは確信犯だと思っています。【宮田裕介】

(朝日新聞デジタル 2021.06.09)

 


「リコカツ」の終盤戦が見逃せない 永山瑛太が憎めない男を好演

2021年06月11日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

TBS「リコカツ」の終盤戦が見逃せない

永山瑛太が憎めない男を好演

 

2013年に、当時の瑛太が主演したドラマが「最高の離婚」(フジテレビ系)だった。キャッチコピーは「なぜだろう。別れたら好きになる。」。

8年後の今期、永山瑛太として再び“離婚した男”を演じているのが、金曜ドラマ「リコカツ」(TBS系)である。

航空自衛官の紘一(永山)は、編集者の咲(北川景子)と交際なしの電撃婚を果たす。だが、結婚してみたら、性格も価値観も全く合わない。結局、スピード離婚した。とはいえ2人の中には、勢いで決行した離婚を悔やむ思いがある。

しかし、どちらも意地っ張りで不器用なため、自分の気持ちを認めることができずにいた。本心に気づいたのは、咲の元カレ(高橋光臣)や、紘一を慕う女性自衛官(田辺桃子)のおかげだ。

■極めて現実的な課題のドラマ

このドラマのキモは、ライフスタイルが確立している30代男女が、結婚という「生き方」をいかにして共有するかにある。離婚したことで見えてくる、結婚の実相と言ってもいい。極めて現代的な課題のドラマなのだ。

特に目が離せないのは、時代錯誤に見えるほど愚直な男女観を持つ紘一だ。思い込みと直情的行動の困ったやつだが永山が演じることで、どこか憎めない可愛げのある男になっている。

紘一と咲は「別れたら好きになる」ではなく、別れなくても好きだった。どんな着地を果たすのか、終盤戦に注目だ。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.06.09)


朝日新聞で、「大豆田とわ子と三人の元夫」について解説

2021年06月10日 | メディアでのコメント・論評

 

 

ままならぬ日々、リアルに軽妙に 

フジ系「大豆田とわ子と三人の元夫」

 

放送中の連続ドラマ「大豆田(おおまめだ)とわ子と三人の元夫」(フジ系、火曜夜9時)が15日に最終回を迎える。脚本は、「最高の離婚」「カルテット」などを手がけた坂元裕二さんによるオリジナルで、ドラマ好きや音楽好きをうならせている。その魅力、世界観とは。

■つながり感じる脚本

3回離婚した住宅建設会社社長の大豆田とわ子(松たか子)が、3人の元夫(松田龍平、角田晃広、岡田将生)に振り回される一方で、親友のかごめ(市川実日子)の死に直面。その1年後には、会社を買収された外資系ファンド勤務の男(オダギリジョー)と出会う。今後のとわ子や彼らの関係が注目される。

「コロナ禍で他者との断絶が起こり、生きづらさが増した。そんな中で坂元さんのドラマが見たいと思った」。制作する関西テレビの佐野亜裕美プロデューサーはそう語る。

「カルテット」で坂元さんとタッグを組んだ佐野さんは、知人が急死したり、コロナ禍で家族と面会できずに死んでしまう人のニュースを見たりした。一方で、数カ月に1回しかいかないお店なのに自分のことを覚えてくれていたことも思い浮かんだ。「1人で生きているようで、色んなつながりの中で生きている。そのことが感じられるドラマになれば」

全10話で、8話までの関東地区の世帯視聴率は5・5~7・6%(ビデオリサーチ調べ)と高いとはいえない。だが、週ごとの「ドラマ満足度ランキング」(ORICON NEWS調べ)では、1位を獲得するなど熱烈なファンはいるようだ。

とわ子やレストランのオーナー、カメラマン、弁護士という元夫たちのキャラクターにもそれぞれ癖がある。メディア文化評論家の碓井広義さんは「他人からどう見られるか気にしていない、はみ出した人たち。そこにセリフ劇の要素も相まってわかりやすくはない。だから敬遠する人と面白がる人で温度差があるのでは」とみる。

「男女が恋愛をし、結婚して家庭を築く」といった固定観念に縛られない関係性を描いている、とも。例えば、かごめの「女と男の関係がめんどくさいの。私の人生にはいらないの」というセリフ。「1人でいることは孤独ではないし、孤独は悪ではない。男と女の関係も同性同士の関係性も決まった正解などないと示唆している」

ライターの西森路代さんは、努力や意思に反した「ままならない出来事」の描き方が秀逸だと語る。「『ままならないこと』に対しての向き合い方は、ドラマでは明確に示されないかもしれない。だけど、私たちは作品を通じて、その時が訪れることを想像し、心の準備をすることができる」【弓長理佳、宮田裕介】

(朝日新聞 2021.06.08)


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2021年06月09日 | 気まぐれ写真館

朝日新聞 2021.06.09


『大豆田とわ子と三人の元夫』で、脚本の坂元裕二が「仕掛けたこと」

2021年06月09日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『大豆田とわ子と三人の元夫』で、

脚本の坂元裕二が「仕掛けたこと」

 

『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ制作・フジテレビ系)は、今期最もクセになる、不思議なテイストのドラマです。
 
何しろ、人から「どんな話?」と聞かれて、「こんな筋だよ」と即答するのが難しいのですから。
 
「大豆田(おおまめだ)」という珍しい姓を持つ建設会社社長、とわ子(松たか子)。
 
平凡な姓の田中(松田龍平)、佐藤(角田晃広)、中村(岡田将生)の3人が、元夫です。
 
彼らは離婚した後も、とわ子が気になって仕方ありません。
 
とはいえ、元妻の争奪戦を繰り広げるわけではない。
 
とわ子を軸とした4人の「微妙な関係」と「日常」が、ゆっくりとユーモラスに描かれていきます。
 
それでいて、一瞬も目を離すことが出来ません。
 
いや正確には、どんなセリフも聞き逃すことが出来ないのです。
 
なぜなら、このドラマにおいて、ストーリーよりも大事なのは、登場人物たちの「やりとり=関係性」と、彼らが口にする「セリフ」だからです。
 
「関係性」と「セリフ」で構築されるドラマの試み。
 
脚本の坂元裕二さんが仕掛けた、<脱ストーリー>という実験作と言ってもいい。
 
松たか子主演(共演者に松田龍平も)の坂元作品で、2017年に放送された『カルテット』(TBS系)以上に、舞台劇のような言葉の応酬はスリリングで、行間を読む面白さがあります。
 
とわ子が、亡くなった親友・綿来かごめ(市川実日子、好演!)に、元夫との関係が「面倒くさい」と愚痴ったことがありました。
 
かごめは、言います。
 
「面倒くさいって気持ちは好きと嫌いの間にあって、どっちかっていうと好きに近い」
 
また、皮肉ばかり口にする中村を、田中が諭(さと)しました。
 
「人から嫌われることが怖くなくなったら、怖い人になりますよ」
 
懲りずに勝手な持論を展開する中村。とわ子も責めます。
 
「私が言ってないことは分かった気になるくせに、私が言ったことは分からないフリするよね」
 
とわ子には、当然、3回の離婚経験があります。
 
そのことを指して「かわいそうな女性」で、「人生に失敗している」と決めつける、取引先の社長がいました。
 
この時の、とわ子の反論がふるっています。
 
「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてないと思います!」
 
ドラマ全体が、まるでアフォリズム(警句・格言)を集めた一冊の本のようです。
 
個々のセリフが持つニュアンスを、絶妙な間と表情で伝える俳優陣にも拍手でしょう。
 
さらに、恋愛や結婚、そして離婚に関する一般的イメージや既成概念を、さり気なく揺さぶっていることも、このドラマの特色です。
 
たとえば、かごめは「恋愛になっちゃうの、残念」と言っていました。
 
互いを好ましく思う男女に、恋愛や結婚以外の繋がり方があっていい。
 
同時に、一人でいることを幸福と感じる生き方もある。それぞれ、もっと自由に、自分らしさを大切にして生きてみたら? 
 
かごめは、そう言いたかったのではないでしょうか。
 
ドラマは終盤に入って、とわ子に新たな出会いがありました。オダギリジョーさんが演じる外資系ファンドの男です。
 
よもや4回目の結婚でハッピーエンドなんてことはないと思いますが、最後の最後まで、見る側の予想など綺麗に裏切って欲しい。そう願っています。

前略、倉本聰さま。 『北の国から2021』が見たいです。

2021年06月08日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム
 
 
 

前略、倉本聰さま。

『北の国から2021』が見たいです。

 
今年3月24日、『北の国から』の主人公、黒板五郎を演じた田中邦衛さんが亡くなりました。88歳でした。
 
4月3日、フジテレビは追悼番組として、『北の国から ’87初恋』を放送しました。
 
横山めぐみさんが、ヒロイン「れいちゃん」を演じた、名作の1本です。
 
平均世帯視聴率は、何と9.4%に達しました。
 
ほとんど予告なしの放送だったにもかかわらず、最近は新作ドラマでもなかなか難しい、10%近い数字を獲得したことは驚きです。
 
そして、北海道・富良野にある、ドラマのロケ現場「五郎の石の家」に、田中邦衛さんのための「献花台」と「記帳台」が設置されたのは、4月10日のことでした。
 
田中さん、そして「五郎さん」をしのんで集まった人は、初日だけで1800人に達したそうです。
 
連続ドラマ『北の国から』全24話が放送されたのは、1981年10月から82年3月まででした。
 
83年からはスペシャルの形となり、『北の国から2002遺言』まで続きます。
 
放送されていた20年間、徐々に年老いていく五郎の姿がありました。
 
その一方で、成長し、大人になっていく子どもたちの仕事、恋愛、結婚や離婚、いや不倫までもが描かれていきました。
 
見る側は、フィクションであるはずの「黒板一家」を親戚か隣人のように感じながら、五郎と一緒に笑い、泣き、悩み、純や螢の成長を見守り続けたのです。
 
彼らと同じ時代を生き、年齢を重ねてきた人たちの中で、2002年からの「その後の20年」はもちろん、「現在」も物語は続いているのではないでしょうか。
 
そうでなければ、34年前に放送された作品が多くの人に視聴され、主演俳優と彼が演じた劇中の人物を慕って、たくさんの人がわざわざ富良野まで足を運んだりはしません。
 
やはり『北の国から』は、見る側の心の中で、終わってはいないのでしょう。
 
しかも、今年は「放送開始40周年」に当たります。
 
6月3日の読売新聞などの報道によれば、40周年記念として、第1回が放送された10月9日前後、富良野に当時の出演者などが集まる「同窓会」の計画があるそうです。
 
そんな話を聞いていると、どうしても、こう思わずにはいられません。
 
『北の国から』の新作が見たい!
 
『2002遺言』から約20年を経た、「現在の黒板一家」に会いたいです。
 
前略、倉本聰さま。
 
『北の国から』の新作が見たいです。
 
黒板家の人たちは、たとえば東日本大震災を、どこでどんなふうに経験し、昨年からのコロナ禍の中、どう生きているのか。
 
もちろん、今、田中邦衛さんはいません。
 
でも五郎さんは、今もどこかで、いや、きっと富良野で、飄々と暮らしているような気がします。
 
純は、蛍は、何をしてるンだろう。何を思って生きてるンだろう。会ってみたいです。
 
前略、倉本聰さま。
 
『北の国から2021』の脚本を、ぜひ書いてください!
 

「大豆田とわ子と三人の元夫」  脱ストーリーの実験作

2021年06月06日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「大豆田とわ子と三人の元夫」 

脱ストーリーの実験作

 

困ったドラマだ。「どんな話?」と聞かれて、「こんな筋だよ」と即答しづらいのだ。「大豆田とわ子と三人の元夫」(関西テレビ制作・フジテレビ系、火曜午後9時)である。

珍しい姓の大豆田とわ子(松たか子)。平凡な姓を持つ田中(松田龍平)、佐藤(角田晃広)、中村(岡田将生)が元夫だ。3人は離婚後も、とわ子が気になって仕方ない。とはいえ元妻の争奪戦を繰り広げるわけではない。4人の微妙な関係と日常が、じんわりとユーモラスに描かれていく。

しかし一瞬も目を離すことはできない。いや、正確にはどんなセリフも聞き逃すことができない。ストーリーよりも大事なのは、登場人物たちの関係性が生む「セリフ」だからだ。脚本の坂元裕二が仕掛けた、<脱ストーリー>という実験作と言っていい。

2017年の「カルテット」(TBS系)以上に、舞台劇のような言葉の応酬はスリリングで、行間を読む面白さがある。個々のセリフが持つニュアンスを、絶妙な間と表情で伝える俳優陣にも拍手だ。

とわ子が、亡くなった親友・綿来かごめ(市川実日子)に、元夫との関係が「面倒くさい」と愚痴ったことがある。かごめは「面倒くさいって気持ちは好きと嫌いの間にあって、どっちかっていうと好きに近い」と言い当てる。

また、勝手な持論を展開する元夫の中村に、とわ子が言う。「私が言ってないことは分かった気になるくせに、私が言ったことは分からないフリするよね」

そして、3回の離婚経験があるとわ子は「かわいそう」で、「人生に失敗している」と決めつける取引先の社長がいた。「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてないと思います」と言い返す、とわ子。ドラマ全体が、まるでアフォリズム(警句・格言)を集めた一冊の本のようだ。

さらに、このドラマの特色として、恋愛や結婚そして離婚に関する一般的イメージや既成概念を揺さぶっていることがある。たとえば、かごめは「恋愛になっちゃうの、残念」と言っていた。互いを好ましく思う男女に、恋愛や結婚以外のつながり方があっていい。

同時に、一人でいることを幸福と感じる生き方もある。それぞれもっと自由に、自分らしさを大切にして生きてみたら? かごめは、そう言いたかったのではないか。

ドラマは終盤に入り、とわ子に新たな出会いがあった。オダギリジョーが演じる外資系ファンドの男だ。よもや4度目の結婚でハッピーエンドなんてことはないだろうが、ぜひ見る側の予想など、きれいに裏切ってほしい。

(毎日新聞 2021.06.05夕刊)


「漫画家」「編集者」花盛り  ドラマが描く仕事と恋愛

2021年06月06日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

 

 

碓井広義の放送時評>

「漫画家」「編集者」花盛り 

ドラマが描く仕事と恋愛

 

刑事ドラマや医療ドラマなど、同じジャンルが同時多発することがある。今期、目立つのが恋愛ドラマだ。しかも、「漫画家」や「編集者」が登場する作品が並んでいる。

まず、「レンアイ漫画家」(フジテレビ-UHB)の主人公は少女漫画家の刈部(鈴木亮平)だ。恋愛漫画のネタを求めて、無職だったあいこ(吉岡里帆)を雇い、「疑似恋愛」を命じた。雇用関係から生まれる恋愛だが、設定にやや無理がある。

次が「あのときキスしておけば」(テレビ朝日-HTB)の漫画家、巴(麻生久美子)である。旅行中の事故で亡くなり、魂が見知らぬ男(井浦新)に乗り移る。井浦は好演しているが、「入れ替わり物語」という意味での新規性は薄い。

主人公が編集者のドラマとしては、北川景子主演「リコカツ」(TBS-HBC)がある。咲(北川)はファッション誌の編集者だ。自衛隊員(永山瑛太)とスピード結婚するが、別れるのも早かった。離婚したことで相手や自分の本心が見えてくるという展開は、ちょっと目新しい。

そして、「カラフラブル」(読売テレビ-STV、放送終了)のヒロイン、和子(吉川愛)は漫画誌の編集者。しかし、そのエネルギーはもっぱら美形の男性スタイリストなどに向けられ、あまり熱心に仕事をしているようには見えなかった。咲も和子も編集者の仕事より私生活のほうが忙しいのだ。

なぜ、恋愛ドラマで漫画家や編集者がもてはやされるのか。制作側にとって望ましいイメージがあるからだ。漫画家ならわがままでエキセントリック。突飛(とっぴ)な行動も許される。編集者は自由度の高い職業で、さまざまな人と出会うことができる。実際はともかく、恋愛ドラマでは使い勝手のいいキャラクターだ。

一方、恋愛ドラマではないが、全力で記事を作る女性たちがいる。NHKドラマ10「半径5メートル」の風未香(芳根京子)は、女性週刊誌の生活情報班。身近なネタを、視点を変えながら深掘りしていく。指南役はフリーライターの亀山(永作博美)だ。料理における「手作り」の意味が曖昧なことを明らかにし、アンティークチェアを使って人と物の関係を探り「断捨離ブーム」を検証する。

自分の流儀で仕事を進める亀山と、取材を通じて「ものの見方」が深まっていく風未香の様子がスリリングだ。ドラマは現実を映す鏡。仕事も恋愛も一筋縄ではいかないところに醍醐味(だいごみ)がある。

(北海道新聞  2021.06.05)


毎日新聞に寄稿した、エッセイ「なつかしい一冊」

2021年06月06日 | メディアでのコメント・論評

 

 

今週の本棚・なつかしい一冊

碓井広義・選 

『モッキンポット師の後始末』

  =井上ひさし・著 講談社文庫 660円

 

大学生になったのは1973年。オイルショックの影響でトイレットペーパーが店頭から消えた年だ。見つけた下宿は台所もトイレも共同の四畳半。農家が崖の下の「納屋」を改造して作ったもので、私を含む3人の1年生が入った。家賃6700円は大学生協が斡旋(あっせん)する最安値だった。

壁は薄いベニヤ板だったからプライバシーなどない。3人はすぐ仲良くなった。一緒にバイトをしたり、実家から送られてきた米を融通し合ったりするビンボー学生生活を面白がることができたのは、前年に出版された井上ひさしの連作小説集『モッキンポット師の後始末』のおかげだ。

物語の背景は昭和30年代。主人公の小松は仙台の孤児院で高校までを過ごし、東京の「S大学文学部仏文科」に入学する。同時に「四谷二丁目のB放送の裏にある『聖パウロ学生寮』」に住み始め、土田や日野という親友もできる。S大学は井上さんの母校である上智大学(ソフィア・ユニバーシティー)を指す。B放送は当時四谷にあった、ラジオの文化放送だ。モッキンポット師(神父)も実在の神学部教授がモデルだった。

モッキンポット師は、小松のバイト先が「フランス座」だと知った時、「コメディフランセーズといえば、フランスの国立劇場や。するとあんたは、国立劇場の文芸部員……?」などと勝手に勘違いする素敵な人だ。もちろんフランス座は浅草のストリップ劇場であり、小松はこっぴどく叱られる。

次々と珍事件を起こす小松たち3人組。彼らの尻ぬぐいに奔走するモッキンポット師。やがて聖パウロ学生寮は閉じられてしまうが、主人公たちの友情と騒動は続いていく。その愛すべき愚行は大いに笑えて、ちょっとしんみりもして、小説の中の登場人物たちに励まされた。

大学4年生の頃、文章講座の授業に井上さんがゲストとしてお見えになった。終了後に雑談する機会があり、私は『モッキンポット師の後始末』に助けられ、べニヤ壁の下宿も楽しむことができたと感謝した。井上さんは「それは貴重な体験ですよ。いつか書いてみるといい」と笑いながらおっしゃった。この時は、三十数年後に自分がS大学文学部教授になることなど想像もしていない。

井上さんが亡くなったのは2010年の春。75歳だった。思えば、大学の教室で向き合った時はまだ40代だったのだ。当時の井上さんの年齢をはるかに超えてしまったが、「いつか書いてみるといい」と言われたあの言葉は、今も宿題のままだ。

(毎日新聞 朝刊 2021.06.05)

 

 

 

 


毎日新聞に、エッセイ「なつかしい一冊」を寄稿

2021年06月05日 | メディアでのコメント・論評

素晴らしいイラストは、寄藤文平さん。

上智大学近くの土手に寝転がっているのは、

井上ひさしさんですね。

こちらで笑っているのは、

どうやら私みたいで、似てます(笑)。

「毎日新聞」朝刊 2021.06.05