
心の中の鏡が曇る

今月号のPHPの8月を読んでいると、「ものさし」という題で言葉と振る舞いについて書いていたエッセイがありました。読みながら、自省しなければならないと感じました。ちょっと読んでみて下さい。PHP8月号からです。
自分の何気ない言葉や振る舞いが、意に反して人の心を傷つけたり、嫌な思いをさせたりすることがある。そのことにすぐに気づけば詫びることもできるけど、往々にして気づかない。
相手が面と向かって抗議をしてくれればまだいい。ほとんど場合、気分を害しても、それを口に出さず黙っている。そしてその裏でデリカシーに欠けた人、思いやりのない人だと反発し、心を閉ざす。そうなっては人間関係の修復はなかなか難しい。
世の中にはいろいろな人がいる。他人には思いも及ばぬ事情、悩みを抱えた人や、自分とはまったく違うものの見方、考え方をしている人もいる。同じ物事でも受け取り方、感じ方はさまざま。たとえ悪気はなくても、自らの不用意な行動やひと言が人を不愉快にさせかねないのである。
「自分がこう思うのだから、人もこう思うはず。」
ではなく、みんな違うという前提で考え、行動し、言葉を発することが大切であろう。
自分のものさしと他人のものさしは異なるということを、常に心にとどめていたい。

でここから私見です。
読みながら、納得する部分が多いですね。相手と口論になって、まず、思うのが、よほど、相手が〇対10で悪い場合は、別にして、相手と言い争う場合、言えば言うほど、相手は、相手なりの正論の考えがあり、こちらは、こちらで正論が形作られています。
だから、言い負かすということは、よほどでない限り、人間関係において無理です。それは、「ものさし」が違うからです。だから、大事なのは、落としどころです。曲げられない意見もあるでしょう。その時は別です。
しかし相手と意見が違うときの言い合いは、落としどころはどこなのか、また自分の意見の中に隙間もつくることも大事なのかなと年齢を重ねて最近になってそう思います。
「ものさし」を読みながら、学ぶことができました。