いよいよ最後の第一部鑑賞
早めについてなんばのデパートを少しうろつく。
そこから戎橋通を通って松竹座へ。よくこのあたりも若い頃はうろついていたなーと遠い目。
朝から結構な人出である。
丹青堂本店を通り過ぎたので帰りに岩絵の具を買って帰ろうと思う。
ちょうどいい頃合いに座席へ。
今回は西側の前から四列目。
花道七三がかろうじて観える。三列目よりいい感じ。私の前の座席はついに誰も来なかった。前売りの時は埋まっていたのできっと忘れているかコロナかな?今回の公演はとても男性観客率が高い。
一幕目。「傾城反魂香」通称ども又。この芝居は何度観たかわからないくらい観た。又平、女房おとくも立役、女方色々な役者さんで観た。特に京都の顔見世で上演されることが多かったような気がする。
調べてみるとこの又平は「岩佐又兵衛」がモデルとのこと。
絵描きファンタジー&お家騒動物である。
絵に描いた日本に生息しない虎が現われたり、また筆でかき消されたり、石に描いた自画像が向こうに突き抜けたり。
何ともファンタジー。
今回は鴈治郎の又平、猿之助のおとくである。
猿之助が凄かった。おとくの役は後ろに控えて存在を消している時もあるし、役としてはしゃべり倒すし、しどころも多い。
出から猿之助がオーラを放つ。場ができる。どもりの夫を心底愛しながら「どうしてどもりに生まれたのか。」と嘆く場面では溢れる情愛に本当にほろりと来る。歌舞伎の人間情愛の切り取られた場面の誇張なのだがこれが歌舞伎の神髄かな?
猿之助が絡む芝居には舞台の中が真空になり、観客席が水を打ったようにシーンとなる一瞬がある。
私はこれを真空の場を作ると勝手に読んでいる現象。先代猿之助、玉三郎や仁左衛門、古くは六代目歌右衛門の無言の一人芝居にしばしば真空の場が現われる。
すごい役者さんだ。
余談だが、今話題にのぼっている市川中車(香川照之)が本来は血筋からすると継ぐべき猿之助の名代だったのだ。
中車が歌舞伎の世界から離れていたのと現猿之助のたぐいまれなる才能と努力で猿之助を継いだ現代の名優だ。
昔先代猿之助(現猿翁)がスーパー歌舞伎ではなく、普通の古典歌舞伎に出演する演目を観るのが凄く好きだった。
名優が脇に回れば回っただけお芝居に厚みが出るのだ。もちろん先代の宙乗りも飽きるほど観たけれど。
なんだか歌舞伎界は凄い世界だなと改めて思う。血とヒエラレルキーと芸と感性と才能と努力。
中車の息子の市川團子がまたいい役者に育ちつつあるみたい。いいなー、観たいな。
二幕目「男女道成寺」
京鹿の子娘道成寺のそのままの振りと伴奏を立役、女方2人が躍り分ける。
狂言師左近は片岡愛之助、花子は中村壱太郎。
壱太郎さん申し分なく時分の花で美しく初々しかった。衣装の着付けによるんだろうか、今回はすごくぴしっとしてた。
この長唄は調べると名曲で(当たり前だが)花子が着替える間に奏でられる。この三味線演奏の間に昔は必ず拍手が起こったものだが、最近はとんとない。いつもドキドキする。歌舞伎鑑賞が久しぶりなのと今コロナで声が掛けられないから大向という慣習がすたれてしまったので拍手するタイミングを伺うも私は勇気が出ない。こういう時につまらないなと思う。いい演奏だ。
「恋の手習い」の振りはやっぱり花子で観たかった。
私の大好きな振り、鈴太鼓を2人で踊るのは楽しかった。調べると本来田植え歌だそうだ。
結構高度な運動神経が必要とされる道成寺の舞である。
最後の鐘入り
若さがあってきびきびとしていい舞台でした。
早めについてなんばのデパートを少しうろつく。
そこから戎橋通を通って松竹座へ。よくこのあたりも若い頃はうろついていたなーと遠い目。
朝から結構な人出である。
丹青堂本店を通り過ぎたので帰りに岩絵の具を買って帰ろうと思う。
ちょうどいい頃合いに座席へ。
今回は西側の前から四列目。
花道七三がかろうじて観える。三列目よりいい感じ。私の前の座席はついに誰も来なかった。前売りの時は埋まっていたのできっと忘れているかコロナかな?今回の公演はとても男性観客率が高い。
一幕目。「傾城反魂香」通称ども又。この芝居は何度観たかわからないくらい観た。又平、女房おとくも立役、女方色々な役者さんで観た。特に京都の顔見世で上演されることが多かったような気がする。
調べてみるとこの又平は「岩佐又兵衛」がモデルとのこと。
絵描きファンタジー&お家騒動物である。
絵に描いた日本に生息しない虎が現われたり、また筆でかき消されたり、石に描いた自画像が向こうに突き抜けたり。
何ともファンタジー。
今回は鴈治郎の又平、猿之助のおとくである。
猿之助が凄かった。おとくの役は後ろに控えて存在を消している時もあるし、役としてはしゃべり倒すし、しどころも多い。
出から猿之助がオーラを放つ。場ができる。どもりの夫を心底愛しながら「どうしてどもりに生まれたのか。」と嘆く場面では溢れる情愛に本当にほろりと来る。歌舞伎の人間情愛の切り取られた場面の誇張なのだがこれが歌舞伎の神髄かな?
猿之助が絡む芝居には舞台の中が真空になり、観客席が水を打ったようにシーンとなる一瞬がある。
私はこれを真空の場を作ると勝手に読んでいる現象。先代猿之助、玉三郎や仁左衛門、古くは六代目歌右衛門の無言の一人芝居にしばしば真空の場が現われる。
すごい役者さんだ。
余談だが、今話題にのぼっている市川中車(香川照之)が本来は血筋からすると継ぐべき猿之助の名代だったのだ。
中車が歌舞伎の世界から離れていたのと現猿之助のたぐいまれなる才能と努力で猿之助を継いだ現代の名優だ。
昔先代猿之助(現猿翁)がスーパー歌舞伎ではなく、普通の古典歌舞伎に出演する演目を観るのが凄く好きだった。
名優が脇に回れば回っただけお芝居に厚みが出るのだ。もちろん先代の宙乗りも飽きるほど観たけれど。
なんだか歌舞伎界は凄い世界だなと改めて思う。血とヒエラレルキーと芸と感性と才能と努力。
中車の息子の市川團子がまたいい役者に育ちつつあるみたい。いいなー、観たいな。
二幕目「男女道成寺」
京鹿の子娘道成寺のそのままの振りと伴奏を立役、女方2人が躍り分ける。
狂言師左近は片岡愛之助、花子は中村壱太郎。
壱太郎さん申し分なく時分の花で美しく初々しかった。衣装の着付けによるんだろうか、今回はすごくぴしっとしてた。
この長唄は調べると名曲で(当たり前だが)花子が着替える間に奏でられる。この三味線演奏の間に昔は必ず拍手が起こったものだが、最近はとんとない。いつもドキドキする。歌舞伎鑑賞が久しぶりなのと今コロナで声が掛けられないから大向という慣習がすたれてしまったので拍手するタイミングを伺うも私は勇気が出ない。こういう時につまらないなと思う。いい演奏だ。
「恋の手習い」の振りはやっぱり花子で観たかった。
私の大好きな振り、鈴太鼓を2人で踊るのは楽しかった。調べると本来田植え歌だそうだ。
結構高度な運動神経が必要とされる道成寺の舞である。
最後の鐘入り
若さがあってきびきびとしていい舞台でした。