現在の東海道本線の膳所駅⇔京都駅間は、新橋⇔横浜間、大阪⇔神戸間、京都⇔大阪間に続いて1880年(明治13年)7月に開業しました。開業当初の膳所~京都間は、現在のルートから大きく南側に迂回していて、奈良線の稲荷駅を経由していました。
そのルートの途中には難所の逢坂山があって、664mのトンネルが建設されました。その掘削には、外国人技師は使わずに日本人だけで「手掘り」によって完成させた事から、当時としては画期的な工事と言われています。
しかし、このルートは25‰(パーミル:1000m進む間に25mの勾配がある。)の急勾配が6割以上占めていたので、1921年(大正10年)に現在のルートに変更されて、最急勾配が10‰に緩和されました。
ルートが廃止された現在も東側の坑口が当時のまま残されていて、鉄道記念物に指定されています。
左側が下り線で右側が上り線です。輸送力増強の為、明治31年に上り線を新設して複線化されました。
トンネル内部はSL時代の名残でしょうか、壁面や天井がすすけて黒く残っていました。
坑口上部に掲げられている篇額です。
そのルートの途中には難所の逢坂山があって、664mのトンネルが建設されました。その掘削には、外国人技師は使わずに日本人だけで「手掘り」によって完成させた事から、当時としては画期的な工事と言われています。
しかし、このルートは25‰(パーミル:1000m進む間に25mの勾配がある。)の急勾配が6割以上占めていたので、1921年(大正10年)に現在のルートに変更されて、最急勾配が10‰に緩和されました。
ルートが廃止された現在も東側の坑口が当時のまま残されていて、鉄道記念物に指定されています。
左側が下り線で右側が上り線です。輸送力増強の為、明治31年に上り線を新設して複線化されました。
トンネル内部はSL時代の名残でしょうか、壁面や天井がすすけて黒く残っていました。
坑口上部に掲げられている篇額です。