気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

日本とトルコが友好国となった起点の出来ごと(和歌山県)

2022年01月17日 | 旅行風景(近畿地方)
トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難し、地元住民の懸命な救助活動もむなしく多くの乗組員が亡くなりました。この時の日本の村人達の献身的な対応が、トルコ国民に感謝の気持ちとして心に深く刻み込まれて、今日の友好関係の始まりとなった、と言われています。現在も5年ごとに、町と在日トルコ大使館の共催で慰霊祭が行われています。

遭難した現場海域、及び遭難慰霊碑を訪ねましたので、その時の様子をまとめました。(撮影:2013年2月11日)
この時のフォトチャンネルも新規追加致しました。

以下の内容は遭難現場を見渡せるヶ所に設けられた『トルコ記念館』を訪ねた時に受け取ったパンフレットを参考にまとめました。
明治23年(1890年)6月にトルコ国皇帝特派使節として来日して任務を果たした後、帰国の途中9月16日の夜に和歌山県の熊野灘沖で暴風雨に遭って650余名の兵士を乗せた同軍艦は難破し、580余名の命が奪われました。遭難現場は、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で、この時地元の村人達は深夜でしかも暴風雨の中、島にたどり着いた69名の乗員を救助して村人達の手持ちの食糧や衣服、布団等を提供しました。離島にある小さな村の事、一度に69名もの来客があれば備蓄の食糧等はたちまち底をつきますが、歓待の意を表し喜んで食糧の一切を提供したとの事です。
その後、遺体の捜索もなされましたが発見された遺体は樫野崎の丘に埋葬されるも、300名以上の兵士の遺体は発見される事無く、樫野の海底で眠り続けています。

私自身は、トルコの軍艦が和歌山県沖で沈没した事がある、といった程度の事しか知識はありませんでした。はっきりした記憶はありませんが、学校でもこの事は習って無かったように思います。しかしトルコでは学校の教育現場でも、この事は子供たちにも正しく教えられて、現在の日本との友好国関係を築く礎になっている様です。

私一個人の力では何も出来ませんがこのような友好国との関係は、より一層深める事が大切だなと感じました。

日本とトルコの国旗が翻るトルコ記念館です。記念館内にはエルトゥールル号の模型や遺品、写真やその他資料が展示されてました。


遭難海域の現場です。


陸地からは200~300m前後も離れてなかった様に見えました。この日は快晴で海は大変穏やかな状態でしたが、この海域で上記の様な大惨事が起きたのは想像を絶する大荒れの天候だったんですね。


遭難現場をアップで狙いました。この岩礁に激突した様です。


記念館の近くに設けられた軍艦遭難慰霊碑です。








トルコ共和国の初代大統領でトルコ国民の英雄である ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像です。日本とトルコの強い結びつきを感じさせます。



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