気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

夕暮れの家路を行く ・ JR桜井線(奈良県)

2018年02月07日 | JR西日本エリア
奈良盆地を南北に、近畿日本鉄道橿原線と並行してJR桜井線が走っています。その桜井線の沿線に大神神社(おおみわじんじゃ)が有って、その線路脇には大鳥居が建っており、印象的な光景が広がっていました。

この大鳥居の下は一般道になっていて、自動車での通行も可能になっています。
写真の左側方面を少し行くと大神神社の最寄り駅、三輪駅(みわえき)があります。太陽が西方の山に沈みかけた時、奈良方面行きの列車がやって来ました。
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昭和の時代を彷彿させる光景 ・ 阪堺電車(大阪府)

2018年02月06日 | 阪堺電気軌道
大阪市内南部と堺市内を結んで、阪堺電気軌道の路面電車が走っています。私は時々1日フリー切符を購入して、カメラを手に電車を乗り降りしながら小さな旅を楽しんでいます。

この沿線では昭和の光景が色濃く残っている所も有って、懐かしい雰囲気に浸る事が出来るので、何度も訪れています。走っている路面電車も旧型のレトロな型式の車輌も有って、タイムスリップした感覚にとらわれます。


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国内最後の旅客用2軸車輌 ・ 紀州鉄道(和歌山県)

2018年02月04日 | 紀州鉄道
和歌山県を走るローカル線の紀州鉄道では、旅客用の鉄道車両としては珍しい、車軸2本で構成された列車が走っていました。
現在、一般的に走っている旅客用の鉄道車輌の多くは、車軸を2本備えた「ボギー台車」と呼ばれるユニットを車輌の前後に2セットを装備、つまり車軸は4本で構成された状態で走行しています。

この写真は、近鉄吉野線を走る特急列車を撮りました。列車の車体下部には車輪が前部と後部で各2個ずつ、車軸が4本で構成されているのが確認出来ます。


この車輌は紀州鉄道で走っていた、車軸が2本だけで構成された車輌です。(撮影:2011年3月5日)






現在、日本では車軸2本で構成される車輌は、一部のレールバスと小型の貨車に用いられていました。
この紀州鉄道の様な2軸車輌は、国内では他の路線では走行しておらず、ここだけで運転されていました。鉄道雑誌で読んだのですが、この車輌も昨年2017年5月で運転を終え、現在は走行していません。
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JR名松線 伊勢竹原駅(三重県)

2018年02月03日 | JR東海エリア
JR名松線は当初、三重県の松阪市と名張市を結ぶ路線として計画され、その両都市の頭文字をとって名付けられました。しかし、この路線が全線開通する前に、参宮急行電鉄(近畿日本鉄道の前身)が別ルートで名張⇔松阪間を開通させた為、現在の伊勢奥津駅(いせおきつえき)が終点駅となって名張まで繋がる事なく終わりました。

途中駅の伊勢竹原駅(いせたけはらえき)です。
この駅は1935年(昭和10年)12月に開業されており、駅舎は開業当時のまま残されていました。






駅舎内はこじんまりしていて、ベンチには地元の方の手作りでしょうか、座布団が置かれていて暖かみを感じました。






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悠久の空間平城宮跡を行く ・ 近鉄奈良線(奈良県)

2018年02月01日 | 近畿日本鉄道
復元工事や発掘が進む奈良市の平城宮跡の中を、近鉄奈良線が走り抜けています。

現状は近鉄線が平城宮跡内を通過している状態になってますが、埋蔵文化財や遺跡が発掘される前から、近鉄の前身である鉄道会社の路線がここを通っていて、その後順次遺跡が発掘されて現在の状態になっている様です。

以前にTVのニュースで見た記憶がありますが、平城宮跡内を通過しているこの近鉄の線路を、ここを通らない別のルートへ変更する事が検討されているようです。

写真左側は復元された朱雀門です。その前を近鉄奈良駅行きの列車が通過していきます。




太陽が沈んで西方の空が茜色に染まってきました。写真後方に見える山は、奈良県と大阪府の県境にある生駒山系で、山頂にはTV塔が林立しているのが見えます。
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